目からウロコの百人一首|第17回 42 契りきなかたみに袖を絞りつつ末の松山浪越さじとは|はんざわかんいち

 2011年に起きた東日本大震災の時の津波によって、浪がついに「末の松山」を越えたということが、当時、一部で話題になりました。まさに「想定外」のことが起きてしまったわけです。

もちろん、この歌は天災とは関係なく、あえて言えば、人災です。

 

〔ウロコ1〕「契(ちぎ)りきな」

 「契りきな」とは、約束したよねー、という意味です。何を約束したかと言えば、第四句以降の「末の松山浪越さじとは」は、さかのぼって、初句の「契る」が受けるととれますから、第四句が約束の内容ということになります。

 まず唐突に、約束したよねー、と相手に念押ししてから、その後でジワジワと内容を示すような語り口は、日常会話でもよくありますよね。たいていはその約束が破られた時です。

 古典和歌で「ちぎる」と言えば、男女の仲に関する約束のことで、それは言葉による場合もあれば、共寝という実際の行動による場合もあります。この歌では、第二句以降の表現から、言葉による「契り」のほうがメインになるでしょう。

 

〔ウロコ2〕「袖を絞り」

 「袖を絞る」というのは、洗濯した服の水気を取ることではありません。古典和歌でのこの表現は、涙を流すことを表わします。つまり、それを拭う袖が絞れるほどに涙を流すということです。

 それにしても、この歌において、なぜそれほどに涙を流す必要があったのでしょうか。よりによって、2人の仲を約束する場面なのです。嬉し涙ということも考えられますが、古典和歌では、そういう涙は出て来ません。しかも、「かたみに」というのは、お互いにということですから、2人そろって涙に暮れたのです。

 考えられるとしたら、約束を交わした後すぐに、何らかの事情によって、2人が別れ別れになるという状況です。逆に言えば、そういう状況になったので、あらためて言葉で約束を交わしたのかもしれません。それならば、2人が泣くのも無理ないでしょう。

 

〔ウロコ3〕「末の松山」

 「末の松山」は、「波越さじ」とセットになって、絶対にありえないということを表わす歌枕です。今の宮城県の塩釜の近く、つまり海の近くにあるのですが、なぜかどんな大きな津波が来ても、そこを「越さじ」、そこまでは届かないと信じられていたことによります。

 この表現が恋愛に関して用いられると、相手を絶対に裏切らないという、固い「契り」になるわけです。しかし、現実はえてして、どちらかが裏切る結果になるものです。

 この歌も、まさにそういう事態です。別れ別れに暮らしているうちに、相手が別の人に心を移してしまったことがバレてしまったのでしょう。

 バレたのが、確かな証拠を握ってか、単なる噂や気配によるのかなど、問題ではありません。「契りきな」と、いきなり相手に迫るくらいですから、ともかく怒り狂っていることだけは確かです。

 

 恋に裏切りは付き物です。とくに遠距離恋愛ならば。それが判明した時の反応・対応はさまざまで、古典和歌でも、ショックで死にたいほどだと詠まれることもあれば、信じた自分がバカだったと詠まれることもあります。

 この歌のように、相手を難詰してしまうと、逆効果ということもありますよね。その相手は必死に弁解したのでしょうか。それとも…。

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