今、実践の記録から、熟議という話し方をふりかえってみる|第1回 騙らずに語ることはできるのか|吉田省子

1.はじめに

北海道大学農学部裏の第一農場北側のポプラ並木の脇に立つと,ビルディングを背景に牛や羊の小さな群れが草を食んでいるのが見える。ここは昔と変わらぬ姿だが,キャンパス北側第二農場は大きく姿を変えた。第二農場脇には,武蔵女子短期大学と民間マンションに接して北大の宿舎群が今もあり,これら三者は旧サクシュコトニ川の河川敷付近に立地している。

1980年代のある日,測量業者が宿舎裏にやってきた。母親たちは何事かと情報収集を試み,北大,短期大学およびマンション所有者とで河川敷部分を購入するのだと知った。短大の獲得部分で,宿舎との境界になっている小さな緩斜面には木々が育っていて,この木立は子供たちの遊び場で,短大児童図書室への近道だった。短大側は雑木なので伐採するのだという。子供たちの声に押され母親たちは話し合い,木々を残してほしいと短大宛嘆願書をまとめた。ところが,短大との面会が叶う段になり,何故か母親たちは交渉の場には出向かず,父親たちの語りに状況の打開を委ねた。

雑木は残った。圧力団体としての父親という問題以外に,別の問題も残った。それは,父親たちの登場で母親たちの話し合いが消えたことである。母親たちの交渉では拙かろう―母親は正しく語ることができない,母親の語りは客観的な語りではない,いわば騙りになるのではないか,大学間のトラブルは避けたい―という配慮が何処かで誰かに働いたのではないか。

2003年,札幌市内某研究所の水田で遺伝子組換え(GM)イネが試験栽培され,問題となった。私は,それよりも3年前の2000年に農水省の支援で実験的に行われた国内初の「遺伝子組み換え農作物を考えるコンセンサス会議」[1]に鼓舞され,北海道でのコンセンサス会議の開催に期待した。だが同時に,この熟議プロセスに参加できる市民は15名程度なので,多くの道民が参加できるわけではないとも理解していた。ちょうど北大の理学研究院後期博士課程を単位修得退学した私は,今できることは何かと考え,知り合った北大農学部の研究者を核にして,懸念する人々と科学者との間に学習会とは異なる,つまり教師と生徒という関係性を持たずに遺伝子組換え作物の栽培の問題について意見交換しあえる対話の場を創ることにした。仲間とのささやかな活動を通し,想像の翼は広がった。小規模な対話の場を複数個作り複数回実施し,次の段階で今後議論すべき課題を定めて,最後に傍聴者も議論の過程に入ることができる大きめの対話フォーラムを行いたいという,三段階モデルが構想されていった。

対話の場での最重要行動指針は互いに聴きあうことで,場自体やプロセスには知識や地位による上下関係や二項対立を持ち込まないことだった。その後、仲間との活動は2005年から2019年まで農学部を拠点に,科学技術振興機構社会技術研究開発センターJST/RISTEXや文科省等の助成の下で,私たちは食と農の周辺で不確実性に彩られた問題(BSE問題やゲノム編集作物も含む)に取り組んだ[2]

期待と落胆と希望の間で,私も含め対話の場での人々の話し方は変化し,その変化は私に熟議という企てへの内省をもたらした。そんなある日,ありがたくも,ひつじ書房より連載のお話をいただいた。大いに躊躇った。だが,すぐに気持ちが切り替わった。熟議や熟慮をめぐる理論的考察は私には無理だが内省を経た実践の現場からの言葉は紡ぐことができる,と。ひょっとして私は語りたいのではないか。

本連載の目的は,熟慮を片手に熟議の扉を開けることは今こそ必要だという希望を語るために,熟議という話し方を実践の記録から振り返ることにある。

2.最初のBSE対話/私は,私たちは騙ったのか語ったのか

皆さんは,牛のプリオン病である BSE(牛海綿状脳症)が2001年9月10日に日本でも見つかり大騒ぎになったことを,BSE問題を覚えているだろうか。BSEは感染因子である異常型プリオン蛋白質が含まれる飼料を牛が食べることによって感染する。正常型プリオン蛋白質が異常型プリオン蛋白質に変換し,特定部位に蓄積して障害を引き起こす致死性の感染症であり,特定部位を食べることによって人に感染する人獣共通感染症である[3][4]。牛の特定部位とは,脳,せき髄,眼,回腸遠位部である。なお,英国で大発生したBSEは従来型の定型BSEと呼んでいる。日本で見つかった36例のうち34例が定型BSEで,28例が北海道生まれの牛だった。2009年当時のBSE対策は,国はBSE検査を21か月齢以上としていたものの実質的には全頭検査体制であり,全月齢の特定部位の焼却が行われていた。なお,日本は2009年には管理されたリスク国に認定された。

今回の連載第1回で依拠した事例は下表の7つである。私たちはBSE対策がやがて緩和されるであろう時を念頭に置き,国や北海道が行うお仕着せの一方通行的な情報伝達の説明会とは異なる,専門家やステークホルダーとの双方向的なコミュニケーションを試みた。これらは,市井の私たちの声を政策決定する人たちに届けられたら良いなという期待を込めた,BSEで引き起こされた問題を考える市民対話だった(BSE対話と称することにする)。2010年から2016年の間に北大農学部を拠点に繰り広げられ,筆者のそこでの役割は,代表者補佐(代表は農学研究院の飯澤理一郎教授と小林国之助教)で企画立案および実践し報告する者で,2004年から2005年までの間に実践していた小さな対話の会での世話役兼進行役の経験を活かし(連載第2回で言及予定),ファシリテーターも担当した。

先行研究や実践を参考にしたが,確固とした理論に依拠してのことではない。なお,代表者たちの所属は北海道大学大学院農学研究院(以後北大農と表記)で,各報告書は()内のURLから探すことができる(http://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/)。

時期対話の名称/所要時間研究プロジェクト名/通称/代表ファンド/期間/他
2010年 1月 13日事例1) BSE対話「振り向けば,未来」 第1回「苦悩の多様性の再確認」/ 4時間アクターの協働による双方向的リスクコミュニケーションのモデル化研究/RIRiC/飯沢理一郎JST/RISTEX /2009年10月-2012年9月/非公開
2010年  7月 12日事例2)同  第5回「翻弄されたと畜場」/ 4時間同上同上/非公開
2010年 10月 4日事例3)同  第6回「食肉産業の努力」 / 4時間同上同上/非公開
2010年 11月 29日事例4)同  第7回「マスコミの伝え方」/ 4時間同上同上/非公開
2012年 7月7日事例5) BSE熟議場in 帯広 /7時間強同上同上/公開
2013年 1月 17日事例6) BSE熟議場in帯広 ステークホルダー会議 / 7時間市民参加型で暮らしの中からリスクを問い学ぶ場作りプロジェクト/RIRiC2/小林国之JST リスクに関する科学技術コミュニケーションのネットワーク形成支援/2012年10月-2013年3月/公開
2016年 8月17日事例7)BSEをめぐる対話/ 8時間リスコミ職能教育プロジェクト//小林国之文科省2014年10月-2019年3月/公開

2010年から始まったBSE対話は,2012年の事例5では北海道農政部のBSE対策の人たちや畜産農家の関心を引き寄せ,事例6では北海道肉用牛生産者協議会の生産者と消費者団体の人たちとの対話が実現した。このとき,北海道農政部畜産振興課畜産衛生担当課長がオブザーバー参加し,グループ討論を傍聴した。事例7は,健康牛でのBSE検査を廃止した際の健康影響評価が出るという2016年3月末に,北海道,と畜業者,消費者協会等の力を借りて企画し始めた。何故この時期なのかは後述する(4. 非定型BSEに関する意図せざる欺瞞的行為)。

最初のBSE対話は「振り向けば,未来」と名付けられ,2010年1月から2011年12月までの間に8回開かれた。時の経過というバイアスがあってもよいので,BSEで苦労していた2001年から2005年当時を思い出し,「異なる立場の人たちの語りに耳を傾け,語られた内容をお互い尊重し,当時の各人の感じ方を共有し合おう,語り合いを通じて未来を見つめよう」[5]という姿勢で行われた。始めたこの時期は,日本はBSEに関し無視できるリスクの国に復帰してはいないが,管理されたリスク国という扱いに転じた時期であった。参加する者たちによって語られることには社会的地位による優劣はなく,等しく価値があると考え,一方通行の説明会とは異なる熟慮と熟議が混在する場をめざした。北海道,十勝総合振興局,コープさっぽろ組合員活動部の助力で,2009年12月中旬に,JA,酪農家のSさん,科学者,消費者の参加が,十勝総合振興局農政課のオブザーバー参加が決まった。

しかし,年の瀬にSさんから参加辞退の電話があった。未だ続くBSE問題の影響の大きさが感じられ,対話の場がBSE検査の廃止に繋がる風潮に乗っかるのではないかとの危惧も理解できた。私は電話で私の思いを語ることを許してもらった。

納得してもらえないかと,何故「振り向けば,未来」なのかを切々と語り続けた。「BSE問題を関係者間で共有し直すことの大切さ」「少人数で過去の悲しみや苦しみ,そして嬉しかったことに向き合い,語り手の語りを受け止めあい,次の世代に何を語り継げるのかを探りたい」「全頭検査の撤廃や永久継続といった動きに加担するものではない」「先ずは,一回だけでも集まってみてはもらえないだろうか」[6]。語る主語は,話すうちに私たちから私に変わっていった。

吉田さんの言うことは分かった。1回だけは参加しよう。こう言われたときの安堵と,自分は薄氷を踏んでいるのだという緊張を今なお忘れてはいない。

さて,第1回「振り向けば,未来」は,2回目は皆の賛同が得られなければ無しで構わないと述べることから始まった。情報提供は行わず,自己紹介を長めに行った後で,2班に分かれて語り合い,言葉を拾い集め,ランチタイムでもお喋りをし,午後には言葉の山の中から課題を掘り出す作業を行った。出てきた問題点とどのように向き合ったらよいのかを話す中で,研究者の苦悩を,酪農現場の困惑を,食卓での戸惑いを聞いてみたいとなり,その場で,参加者全員一致で,2回目と3回目の開催日が決まった。BSE問題における重要な論点が早くも姿を見せたが,非定型BSEの影はまだなかった。非定型BSEとは定型BSEとは異なる異常プリオン蛋白質により発生したBSEで,日本では2例出ている。主に8歳を超える高齢牛で見つかっており,肉骨粉などの飼料を介した感染ではなく,自然発生的なものであるとの知見は深まりつつあった[7]。概要は資料[5]で読むことができる。

ところで,「2回目の開催は皆さんに委ねる」「全頭検査の廃止に道を開く議論を創出するのではない」という私の語りは騙りになってはいなかっただろうか。Sさんは他の参加者の動向に引きずられ,カスケード現象のように意見が変わったのかもしれない[8]し,結果として国のBSE対策の推移に伴走しただけであるとも言える。事例4の後で行った「BSE熟議場 in 北大」のコメンテーターをSさんにお願いし,快諾してもらえた。それゆえ,私は騙ってはいなかったと述べたいところだが,断言などできるはずもない。問いは今なお繰り返されている。

3. BSEステークホルダー対話という熟議と関与者の語り口の変化 

10名弱の固定メンバーによる「振り向けば,未来」は,非公開の孤立した小集団内での語り合いである。語り手は,個人や所属する組織での体験を辛かったことや嬉しかったことを交えて話し,参加者はその中に自身との類似点や相違点を見出し,それらを共有し合うというものだった。語る主語は「わたし」である。

やがて外部の語りを聞きたいという声が上がり,と畜業(事例2),肉牛生産と加工の方(事例3)を招くことになった。食肉の安全性とは異なると畜現場で作業する人たちの安全,肉を食べるということの意味,メディアのあり方などが語り合われるにつれて,それまで拒否していた全国紙の科学部記者を招きたいとなった(事例4)。

語り口は,「わたしは…だった」から「わたしたちは…だった」に変化し,「あなたたちは,どう思うか」に変わった。この変化ゆえに,私は公開での議論が可能であると思うに至り,先出の「BSE熟議場in北大」を2010年12月11日に実施できた。専門家の講演と十分な時間をとった質疑応答から成る学習会(参加者84名)と,専門家たちの鼎談を聞いた後での討論会という熟議の場(31名)を組み合わせた。これ以降,私および私たちはBSE対話での新しい語り方・語られ方を探り始めた。

2011年12月に厚生労働大臣から内閣府食品安全委員会に,BSE検査を30か月齢に変更した際の健康影響評価の諮問があり,2012年10月に答申が出た。その間に私たちはステークホルダーを意識した対話の準備を始めた。2012年7月「BSE熟議場in帯広(事例5)」は,答申後に北海道がどう動くのかが気になる時期の開催であり,上述したように,会場に北海道農政部や畜産農家がいたことを視認している。この後,農政部はBSE専門部会を設置することになり,11月19日に初会合を開いた。BSE専門部会が結論を出したのは2013年4月で,「BSE熟議場in帯広 ステークホルダー会議(事例6)」の開催は1月17日だった。なお,事例5のプロジェクト「アクターの協働による双方向的リスクコミュニケーションのモデル化研究」はRIRiC(りりっく)と略称しJST/RISTEXの助成を受け,事例6の「市民参加型で暮らしの中からリスクを問い学ぶ場作りプロジェクト」はRIRiC2と略称したが,JSTリスクに関する科学技術コミュニケーションのネットワーク形成支援の助成を受けた(表の事例5と6)。

事例5と事例6は助成元と開催の背景が異なるだけではなく,目的も参加者の語り方も違った。前者は,学習会後に今後のBSE対策がどのようなものであれば良いのかについてのシナリオ選択を目的とした。情報提供者は,科学技術社会論の専門家,十勝総合振興局帯広食肉衛生検査所所長,同振興局十勝家畜保健衛生所所長の3人で,門平睦代先生(帯広畜産大)と堀内基広先生(北海道大学獣医学研究院)が質疑応答に加わった。両名とも内閣府プリオン専門調査会委員である。参加者の話し方は,学習会では互いにやりとりする諸情報を咀嚼することに力が入っていたが,シナリオ選択では異なった。合意形成ができるところを目指しての話し方になり,主催側が用意した問いに対する3つの回答シナリオは拒否され,参加者自らが回答シナリオを作り上げた。

後者には少し説明が必要だ。2012年11月末に北海道のBSE専門部会の2名の委員(生産者/加工業)から門平と吉田に,消費者側委員との向き合い方が分からないので,第2回の部会前に「BSE熟議場in帯広」のようなものを開いて消費者の意見を聞いてくれないか,との相談が舞い込んだ。ミニ・パブリックス[9]を考慮する時間的余裕はない。そこで,肉牛生産者たちが対話に参加することを条件に引き受け,十勝全域の消費者協会や栄養士協会およびコープかながわ組合員活動部(当時)の協力を得て,生産者たちを含むステークホルダー会議を準備した。

このステークホルダー会議の目的は2つあった。先に述べたRIRic2の助成元に対する説明としてだが,対話結果の届け先となる(連載3回目参照)肉用牛生産者協議会への「助言を行う」対話の場の創設が一つ目の目的である。会議自体の目的は「BSEリスクコミュニケーションを行う場合の問題点を各自の立場から出し合い,共感できる点や対立点などを提案書の形にまとめる」ことだった。全4名の委員を知っている私たちは,専門部会での議論内容に影響を及ぼさないよう配慮した。

語り口は合意形成ではなく互いに理解し合おうとの気遣いを反映していた。規制緩和でどうなるのかと想像力を働かせ,積極的に質問しあい,参加者同士の往復する言葉が積み重なった。非定型BSE は「現行の検査システムは有効…非定型そのものの原因は分からないが,飼料規制(肉骨粉を与えない)とSRM(特定危険部位)除去が続けられれば大丈夫」と的確に語られた[10]。肉骨粉とは,と畜場から排出される食用肉にならない骨,内臓などを原料にして加熱処理によって乾燥させた粉末状のもので,BSEの主要な感染源と考えられていて,牛に与えてはいけないとされる。

4. 語りと騙り:非定型BSEに関する意図せざる欺瞞的行為

 行政はどう語ったか。健康牛でのBSE検査を全国一斉48か月齢超に見直したBSE管理体制は2013年7月に施行された。全国で説明会が行われ,北海道は,厚生労働省,食品安全委員会と合同で,2013年5月23日に「北海道における牛海綿状脳症(BSE)に対する説明会」を開催している。このとき憂慮する消費者は非定型BSEへの不安を述べた。食品安全委員会は,質問への回答でも説明資料でも,繰り返しこう述べた。

  • 48か月齢,4歳以上の牛を検査すれば超高齢牛も非定型BSEも両方ともカバーできるのでないかというのが非定型BSE等への対応です [11, p.15]
  • 48か月齢以上の牛を検査すれば非定型BSEでも伝達性のある非定型BSEは検出可能ではないかという結論が得られた[11, p.16]
  • いずれも48か月齢超の牛を検査することにより十分にカバーされる[12, p.21]

北海道は2014年2月の説明会で,非定型BSEについて「飼料規制,BSEの検査,特定危険部位の除去で安全性は確保されていると認識している」として,SRMの除去により基本的には食肉の安全性が保障されていると適切に述べた。もっとも,同じ個所で,食品安全委員会と同様に「今までどおりの検査でひっかかる」とも述べていた[13, p.25]

2016年になり,非定型BSEは健康牛の48か月齢超のBSE検査でチェックできるから安心だというロジックは使えなくなった。2015年12月18日,厚生労働大臣が食品安全委員会に,健康牛でのBSE検査の廃止に関する健康影響評価を諮問したからである。2013年の説明会で食品安全委員会は,人々に対し安心を強調するがあまり,説明資料に特定部位を摂取しないという記載はあるものの,丁寧に「検査しているから(大丈夫)」と繰り返し答え,本来なら特定部位を摂取することはないのだから問題はないと強調すべきだったのにそうはせず,BSE検査をしているからという部分を強調してしまい,本質を外した説明となっていた。意識的に欺こうとしたのではなく意図せずに結果として欺瞞的に行動していたことになる。

記録として残された言葉は重い。2016年8月17日に「BSEをめぐる対話(事例 7)」を北海道農政部と協力し合いながら開催できた理由はそこにある。農政部は,残されている説明会の議事録を読めば欺瞞が浮かび上がってくる,と認識していた。北海道農政部は,回答には適切な部分もあったとして押し切ることは可能だったが,そうはしなかった。私たちの2016年4月からのBSEをめぐる対話の準備に,いわゆるBSE対策課長(事例5と6では十勝家畜保健衛生所所長)が率先して参加した。

行政とのつながりは緩くして,互いに語る言葉が互いの足枷にならぬよう配慮しながら行動した。また,消費者団体との意思疎通においては,正しさの押し付けにならぬよう細心の注意を払った。そして専門家諸氏との意思疎通においては,消費者と専門家の間にいる人たち(媒介者)として振る舞い,私たちは8月16日当日においては黒衣に徹する話し方を心掛けた。この日も含め,2010年1月からのBSE対話は筋書きのない対話だった。

さて,騙らずに語ることはできるか。2009年12月末の酪農家Sさんに対し私は,打ち解けはしないまでも事情を深く語ることによって,安心させ騙したのではないか。リスクの低減によりリスク管理が変化するのは当然なのだから,私は騙ったのかと気に病む必要がどこにあるのかと言われるかもしれない。だが,こう考えることは,実に危険なことなのだ。気に病む必要はあるのだ。リスク問題を考える対話・熟議の場を準備する者にとって,その先に別のゴールを隠してその手前のゴールに導く対話の場を設定することは,対話という名を借りた巧妙な誘導になってしまうことになるのだ。「振り向けば,未来」という語り合いでは,時のバイアスがかかっていることを敢えて受け入れた。騙りか否かの判定などできようもない私を含めた語り手たちの過去語りは,各自の物語は,正しく事実を伝えあうこと目的にしたのではなく,価値を拾いとることを目的としていたと言っても良い。そうなのだ,35年以上前,私を含む母親たちは,これまでの既得権益としての土地利用という利益を誘導する為ではなく,価値の問題を語り合っていたのだ。その語りを手放した途端,語りは作りごとに陥ってしまったのだ。

BSE対話は,刻々と変化するBSE問題のフェイズに応じて組み立てられ,主催側も含め対話や熟議に関わる人々の話し方も変化した。次回は,話し方の変化を別の事例から見ていきたい。騙らずに語ることはできるのかという問いを持ちつつ,対話や熟議の効用とある種の功罪について騙らぬよう語りたい。

続く

参考文献

[1] 小林傳司(2004)『誰が科学技術について考えるのかーコンセンサス会議という実験』名古屋大学出版会.

[2] リスコミ職能教育プロジェクト ホームページ:https://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc (最終閲覧日:2022年10月17日).

[3] NARO農研機構「よくあるご質問:牛海綿状脳症は,どんな病気なのですか?」 https://www.naro.go.jp/faq/bse/003769.html  (最終閲覧日:2022年10月17日)

[4] NARO 農研機構「よくあるご質問:人間や他の動物に感染する心配はありませんか?」https://www.naro.go.jp/faq/bse/003775.html (最終閲覧日:2022年10月17日)

[5] [3]の「旧プロジェクト等の報告書」バナーに置かれている「振り向けば,未来」報告書, p.3.

[6] [5]の同報告書, pp.4-5.

[7]NARO農研機構「よくあるご質問:非定型牛海綿状脳症は,どんな病気なのですか?」 https://www.naro.go.jp/faq/bse/120281.html  (最終閲覧日:2022年10月17日)。なお,国内で2例の非定型BSEは169か月齢と23か月齢で,23か月齢のものは感染性も伝染性もほとんどなかったと評価されている[10, p.10]。

[8]キャス・サンスティーン(那須耕介 監訳)(2012)「第1章 熟議のトラブル?」『熟議が壊れるとき 民主政と憲法解釈の統治理論』, pp.13-23.

[9] 三上直之(2015)「市民意識の変容とミニ・パブリックスの可能性」松本功・村田和代・深尾昌峰・三上直之・重信幸彦『市民の日本語へ:対話のためのコミュニケーションモデルを作る』ひつじ書房,pp.81-112.

[10] 「BSE熟議場 in 帯広 ステークホルダー会議」報告書,p.19: http://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/wp-content/ uploads/2015/03/130117 ―報告書(ステークホルダー会議).pdf(最終閲覧日:2022年10月17日)

[11] 議事録「北海道における牛海綿状脳症(BSE)対策に関する説明会(札幌市)」2013年5月23日 https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/2/3/1/6/3/9/7/_/130523giziroku_Sapporo.pdf (最終閲覧日:2022年10月17日)

[12] [10]の説明会での食品安全委員会の説明資料「牛海綿状脳症(BSE)対策の見直しに係る食品健康影響評価②の概要 我が国の検査対象月齢の引き上げ」https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/2/3/1/6/3/9/4/_/1130520-0523siryou3.pdf (最終閲覧日:2022年10月17日)

[13] 議事録「BSE対策の現状に関する説明会(札幌)」2014年2月17日https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/2/3/1/6/3/7/7/_/140217gizitoku.pdf (最終閲覧日:2022年10月17日)

関連記事

  1. 田尻英三

    第28回 日本語教育の存在意義が問われている|田尻英三

    ★この記事は、2022年2月3日までの情報を基に書いています。…

ひつじ書房ウェブマガジン「未草」(ひつじぐさ)

連載中

ひつじ書房ウェブサイト

https://www.hituzi.co.jp/

  1. これからの英語教育の話を続けよう|第13回 国際コミュニケーションのあり方につい…
  2. 句読法、テンマルルール わかりやすさのきほん|第7回 句読点をめぐる研究(後編)…
  3. onohan おのはん!|第21回 今回のオノマトペ:「も・こも・こ」|平田佐智子
  4. 外国人労働者の受け入れに日本語教育は何ができるか|第2回 今しなければならないこ…
  5. 中高生のための本の読み方|第3回 部活、だけじゃない。|大橋崇行 
PAGE TOP