「現代の国語」と「言語文化」の問題点|第4回 「論理」と「文学」の二項対立を乗り越えたい! 「言語文化」の問題点|清田朗裕

1. お詫び

 本来なら、昨夏には提出していなければならなかった原稿ですが、個人的な事情で今年度は落ち着かない日々が続いており、大幅に遅れてしまいました。「連載」という冠に偽りあり、ということで申し訳なく思います。ようやく、目処が立ちましたので、第4回、始めたいと思います。

2. 言語文化の範囲を厳密に定めることは難しい

 今年度から、新学習指導要領に基づく新しい教育が高等学校でも始まっています。まだ高校2年生以上は、これまでの教科書、すなわち「現代文B」「古典B」等の教科書が用いられていると思いますが、高校1年生は、本連載で取り上げている新設科目「現代の国語」「言語文化」の教科書を用いた授業が全国で工夫されていることと思います。

 今回は、「言語文化」を取り上げます。そもそも言語文化という言葉は、幅広い文脈をもつものです。言語とは何を指すのか、文化とは何か、それを包括した言語文化とはいかなるものなのか、それを国語教育の中でどのようなものを取り上げることができるのか、と考え出すときりがなく、そのすべてを取り上げることは難しいのですが、本連載の主題である、科目としての「言語文化」の何が問題であるか、という観点から指摘していきたいと思います。そしてそれは、「言語文化」が、「現代の国語」とどのような関係にある科目なのか、ということを見直すのに役立つものだと考えています。さらに、選択科目である「論理国語」と「文学国語」が、「論理」と「文学」という型にはまった二項対立で捉えられてしまっている世間の状況を乗り越えていくためにも[1]、今ここで指摘しておくべきものだと考えます。

3. 「現代の国語」と「言語文化」は相補関係?

 「言語文化」は、「現代の国語」と同様に、共通必履修科目に設定されています。つまり、すべての高校生が学習する科目だということです。そして、第3回で述べましたように、「現代の国語」が「論理的な文章及び実用的な文章」を取り上げるのに対し、「言語文化」ではそれ以外の文章、すなわち「文学的な文章」を取り上げることになっています。

 「現代の国語」で扱わない「文学的な文章」を「言語文化」が扱う、としますと、「現代の国語」と「言語文化」は、高等学校国語で扱うすべての文章分野をカバーする相補関係にあると、一応考えられます。そうすると、論理的な文章、実用的な文章、文学的な文章すべて扱うということになり、大きな問題は存在しないと、一見考えられそうです。

 しかし、そのように考えてよいのでしょうか。特に、「言語文化」(及び「文学国語」「古典探究」)では、どんな作品が収録されているか、という定番教材の有無に関心が向く嫌いがあります。つまり、「羅生門」「トロッコ」といった芥川龍之介の作品や、村上春樹等の現代作家による作品がどれだけ収録されているかといった、コンテンツに対する関心です。そのような表面的な議論には、「その作品を通じて何が学べるのか」という、実際の教育現場では普通に行われている点が潜在化してしまっています。「論理」か「文学」か、という観点で議論されてしまっている選択科目についても、突き詰めると「論理」は特に「実用的な文章」を扱うべきだ、といった文章分野そのものへ興味が向かい、「文学」においても、誰のどんな作品を取り上げるのか、という話になってしまいます。

 しかし、新学習指導要領の立場からすると、第1回から述べていますように、最も重要なことは「資質・能力」の育成です。その達成に向けて科目設定がなされていなければなりません。その意味で、何の作品や文章が収録されているかどうかというのは、実はあまり重要ではないはずです。つまり、「論理」か「文学」か、という視点でどの文章や作品が採録されているかどうかを取り上げるのは、二次的な問題だといえます。そしてこのことは、実は新学習指導要領によらずとも、皆さんは知っているはずです。なぜなら、教科書会社毎に、これまでも異なる作品が収録されてきているからです。つまり、教科書によって取り上げるテキストは、本来的に定まっていないのが普通なのです。このことからも、実質的には、これまでも「資質・能力」の育成は目指されていたことになります。そのあり方が、より明確に位置づけられるようになったことが、新学習指導要領において、重要なポイントになると考えます。

 とはいえ、いわゆる定番教材というものがあります。そして私たちは定番という用語から、その作品を扱うこと自体が是であると思いこんでしまい、その作品が収録されているかどうかのみを議論の対象にしてしまいがちです。しかし、定番教材の実態は、学習者にとって有用な要素(内容だけでなく見方・考え方も)を備えている作品が収録され続けている、ということでしかありません。これまでも学習指導要領には、必ずこの作品を読みなさい、という形では示されていないのです。

 もちろん、有用な要素を備えている作品は、効率よく様々なことが学習可能であるということになりますので、そのような作品が教科書により多く採録されているかどうかは、教科書選定を行う先生方にとって、極めて重要なポイントになります。その意味では、定番教材を取り上げるメリットはあるでしょう。しかし、教科書に作品が取り上げられるということの本来的な意義が何なのか、ということから外れないように議論する必要があると思います。

 要するに、「言語文化」(また「現代の国語」)の問題点を考えるにあたっては、何の作品が収録されているかどうか、という点とは異なる観点で、一度整理しておく方がよさそうだ、ということです。

固定ページ:
次へ

1

2 3

関連記事

  1. 黒木邦彦

    ことばのフィールドワーク 薩摩弁| 第5回 薩摩弁と共通語との関係|黒木邦彦

    ‘乗ってみよう。公共交通’ を薩摩弁で表現 筆者の勤務地…

ひつじ書房ウェブマガジン「未草」(ひつじぐさ)

連載中

ひつじ書房ウェブサイト

https://www.hituzi.co.jp/

  1. 第13回 並行して開かれる日本語教育施策の会議と驚きのアンケート結果|田尻英三
  2. 古代エジプト語のヒエログリフ入門:ロゼッタストーン読解|第18回 ロゼッタストー…
  3. 少なすぎる公共図書館の資料費|第1回|山重壮一
  4. 「Coda あいのうた」のメッセージをどう読み解くべきなのか
  5. 「面白くて心とらえる……」:A Descriptive Study of the…
PAGE TOP