ことばのフィールドワーク 薩摩弁| 第5回 薩摩弁と共通語との関係|黒木邦彦

‘乗ってみよう。公共交通’ を薩摩弁で表現

 筆者の勤務地と薩摩弁圏 (= 旧薩摩藩領) とのあいだは、金こそかかりますが、新幹線、飛行機、フェリーで比較的簡単に移動できます(注1)。問題は薩摩弁圏にはいってからです。そこは完全に車社会なのですが、筆者はあいにく運転免許を持っていません。公共交通機関で移動するにも、都市部やラッシュ時を除けば、便数が限られています。筆者の借り家と都市部とを繋ぐバスは、上下合わせても1日わずか数本。帰宅スケジュールの厳しさは昭和の箱入り娘にも負けません。24時まで遊べるシンデレラはパリピ。

 ここで「田舎の公共交通」を兼題にして、一句詠みます。

 (1)()け➘め()乗ってみっがち(おも)ちょっどん
 mu̟kemekoŋnotːemʲiɡːɐt͡sʲiomot͡sʲodːoŋ
 mukeme-i(注2)ko-nnor-temi-r-ga-tiomow-tjor-don
 迎え-に来-ない乗っ-て見-る-よ-と思っ-てる-けど
 ‘迎えに来ない。乗ってみようと思ってるけど’

1 前回の復習

 前回は、方言も言語に同じく、意思疎通や思考に用いられる記号体系であることを確認しました。方言、言語、記号体系の関係は次掲 (2) のとおりです。

(2)  方言 ⊊ 言語 ⊊ 記号体系(注3)
A ⊊ B: AはBの真部分集合

 観点 (2) は、日本語方言学に長らく欠けていたものです。方言は多くの専門家に過小評価され、‘特定の地域や集団にのみ行なわれる発音、語彙、言い回し’ と見なされてきました。専門家がそう考えていたこともあってか、既存の方言資料には、日常の意思疎通や思考に耐えうるものがほとんどありません。

2 方言の切り替え?

 方言の過小評価はいまだに続いていて、もはやそれが普通の感覚にすらなっています。たとえば、冒頭画像の標語を見かけた場合、多くの人は「()ってみっが」ないし「みっが」だけを薩摩弁と捉え、残りは共通語と見なすでしょう。薩摩弁母語話者であってもです。

 確かに、「乗って」は共通語でも「乗って」ですし、「公共(こーきょー)交通(こーつー)」は共通語から取り入れた語です。ただし、薩摩弁母語話者は母語のアクセントで「乗って」「公共こーつー」と発音します。アクセントが薩摩弁になっているので(注4)、薩摩弁と共通語とを切り替えているかどうか(注5)は、よく分かりません(注6)

3   薩摩弁母語話者が使う薩摩弁らしくない語

 確かなことは、「公共交通」のような、薩摩弁らしくない(と見なされる)語が母語話者同士の会話にも頻出するということです。次掲 (3) をご覧ください。これは、親しい間柄にある母語話者02F25氏、03M40氏(注7)の会話に現れた02F25氏の発話です。(3e, j, n, o, p) などから分かるように、薩摩弁らしくない語が多用されています。

(3) a.b.c.d.e.f.g.h.
 したとこいぜーむあたいつとめちょっとこい
 sosʲːtɐtokoiɡɐson̚d͡zeːmu̟kɐɐtɐiɡɐt͡sstomet͡sʲot̚tokoinʲi
 so-ːsi-tatokor(o)-gaso-nozeemu-kaatai-gatutome-tjortokor(o)-ni
 そ-うし-た所-がそ-の税務-課私-が勤め-てる所-に
 ‘そうしたところ、その税務課、私が勤めてるさなかに

i.j.k.l.m.n.
きっぷおもってたっくれっちゅわっしょーめんげんかんか
soŋkʲipːu̟omotːeitɐk̚ku̟ɾet̚t͡sʲu̟wɐdːesʲoːmeŋɡeŋkɐŋkɐɾɐ
so-nokippu-omot-teita-tekure-i-tti-juw-ar-desjoomen-genkan-kara
そ-の切符-を持っ-て行っ-てくれ-い-と-言わ-れる-んで正面-玄関-から
「その切符を(遊郭に)持って行ってくれ」と(上司が)おっしゃるんで、(遊郭の)正面玄関から

o.p.q.r.s.t.
ゆーがしやっしょかかえりやっでなもっていったいな
ju̟ːɡɐtɐsʲijɐsʲːokɐɾɐkɐeɾʲijɐdːenɐːmotːeitːɐinɐ
juu-gatasi-jaksjo-karakaer-ijar-de-namot-teik-tai-na
夕方市-役所-から帰r-iな-んで-な持っ-て行っ-たり-な
夕方、市役所から(の)帰り(道にある遊郭)なんでな、持って行ったりな’

(3) ‘そうしたところ、その税務課、私が勤めてるさなかに、「その切符を(遊郭に)持って行ってくれ」と(上司が)おっしゃるんで、(遊郭の)正面玄関から、夕方、市役所から(の)帰り(道にある遊郭)なんでな、持って行ったりな’

4   薩摩弁の語彙

 (3o)「ゆーがた」‘夕方’ には、「よろいもて」という類義語があります。ここでは、より薩摩弁らしい「よろいもて」ではなく、共通語にもある「ゆーがた」が選ばれています。これを薩摩弁から共通語への切り替えと見る向きもあるでしょう。

 しかし、(3e, j, n, p) には、対応する類義語がそもそもありません。いずれも共通語から取り入れた語でしょうが、‘税務課’, ‘切符’, ‘正面玄関’, ‘市役所’ という意味を薩摩弁で言い表すには、「ぜーむか」「きっぷ」「しょーめんげんかん」「しやっしょ」と言うしかないのです。

 §2に挙げた「乗って」「公共こーつー」に同じく、(3e, j, n, o, p) にも、薩摩弁のアクセントが適用されます。このことを踏まえるに、薩摩弁は共通語の語彙 (特に、漢語と外来語と) を日々取り入れ、社会の近代化や情報化に適応しているのでしょう(注8)

お詫び

 先週、「筆者が編纂している薩摩弁辞書 (.xmlファイル) … をどのように編纂しているかの話しは次回にでも」と述べておきながら、まるで触れていないことに今さら気づきました。申しわけないことに、紙幅も力も尽きてしまったので、次回にでも (フラグ)。

(注1) (i) 乗り換えなしの「みずほ」「さくら」、(ii) 直前の予約でも片道1万円をたまに切るSkymark、(iii) 洋上の非日常に気分がアガりすぎて、航行より酒に酔ってしまう宮崎カーフェリーさんふらわあなど、多士済々です。

(注2)()め」は「迎え参り」(あるいは「向かい参り」) に由来する語でしょう。‘他家への仏壇参り’ を「たなめ」(参考: たなまいり ‘分家から本家への仏壇参り’) と言うことがその傍証です。「()め」「たなめ」は次掲 (A) のように変化してきたと考えられます。

(A)1. 2. 
 mukape-mawir-i‘迎え-参r-i’tana-mawir-i‘棚-参r-i’
 mukaemair tanamair 
 mukemer tanamer 
 mukeme‘迎え’taname‘他家への仏壇参り’

(注3) 本連載ではここまで、「言語」という語をゆるい定義で使っていましたが、今後は、‘我々が大人の発話からなぜか自然に学び取る言語’ を「自然言語」と呼んで、「言語」とははっきり区別します。

 (2) に言う「言語」は自然言語に限らず、人為的に創出・整備された「人工言語」も含みます。人工言語としては、まず、コンピューターへの指令や電子デイタの構造記述に用いる「コンピューター言語」が挙げられます。自然言語に設計を似せたものとしては、次掲 (B) などがあります。(B3) エスペラントは、自然に学び取った母語話者がいるようなので、現在は自然言語と言うべきかもです。

(B)  1. 漫画『ドラゴンボール』のナメック語 (筆者の知る限り、自然言語のようにはとても使えません。ただ、世界のDBですから、熱狂的なファンが地球のどこかで (i) 語彙の増強、(ii) 文法の整備、(iii) 会話集や物語の編纂を進めているやもしれません)

2. 映画「アバター」のナヴィ語

3.    世界中に連絡網があり、海外生活の助けになるらしいエスペラント

 「言語」を自然言語に限定し、「方言」を特定言語の地理的変種に限らなければ (= 年齢、性別、職業などの違いから生じる変種も「方言」と呼ぶなら)、(2) は次掲 (C) のように書き換えられます。全ての自然言語は同時に方言でもあるからです。共通語も、おおやけの場や改まった場において使う方言と言えます。

(C)  方言 (= 言語変種) = 言語 (= 自然言語) ⊊ 記号体系

(注4)  話者人口に恵まれた関東西南部(含東京)方言では、「乗って」「こーきょーこーつー」というアクセントが一般的でしょう。

(注5) 「乗ってみっが。公共交通」であれば、「(乗って)みっが」を薩摩弁(のつもり)で発話して、残りは共通語に切り替えているのでしょうか。

(注6) 脳波を見れば、分かるのかもしれません (袋叩き必至の適当発言)。

(注7) “02F25, 03M40″ の頭2桁は通し番号、”M/F” は男/女の別、末尾2桁は生年 (5年刻み切り捨て) です。

(注8) 言語学者が見つけて喜ぶ伝統的語彙だけでは、パソコンの操作を覚えたり、ふるさと納税をお得に活用したり、世界情勢を語ったりできません。

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