ことばのフィールドワーク 薩摩弁| 第6回 借用語を含む語彙の記述|黒木邦彦

筆者が10年以上お世話になっている
いちき串木野市シルバー人材センターにて
シンクロ率の高さは、長らく一緒に餌づけされていることに因るのか

 薩摩弁(を含む方言)の定義などをあれこれ語っているうちに、6週めにはいっていました。連載回数の目標にしている新世紀エヴァンゲリオンであれば、序盤の山場、ヤシマ作戦ですね。

 屋島は、庵治町 (現高松市) に住む友達を訪ねた際に写真に撮ったのですが、あいにく薩摩弁圏外。エヴァ第6話にこじつけられそうな薩摩弁圏の画像が手元にないので(注1)、猫の可愛さで凌ぎます。この冒頭画像、エヴァ第9話「瞬間、心、重ねて」には合いますね。

1 前回の復習

 前回は、薩摩弁が共通語の語彙を積極的に取り入れている様子を示しました。このような語彙の取り入れは、社会の近代化や情報化に適応するためのものです。薩摩弁固有の現象ではなく、(おそらく)世界中の自然言語に起こっています。

2 共通語からの借用語

 薩摩弁母語話者同士の会話には、次掲 (1a) のような、共通語から日々取り入れている語が多用されています。このような語を「借用語(注2)と言います。(1a) のような借用語は日常の意思疎通や思考(注3)に欠かせません。

(1)a. 薩摩弁 b. 共通語
 ぜーむ‘税務課’ぜーむか
 きっ‘切符’きっ
 しょーめんげんかん‘正面玄関’しょーめんげんかん
 ゆーが‘夕方’ゆーがた
 しやっしょ‘市役所’しやくしょ

借用語 (1a) を含む薩摩弁母語話者同士の会話(第5回記事 §3 (3) の再掲)
そうしたところ、その税務課、私が勤めてるさなかに、「その切符を(遊郭に)持って行ってくれ」と(上司が)おっしゃるんで、(遊郭の)正面玄関から、夕方、市役所から(の)帰り(道にある遊郭)なんでな、持って行ったりな’

3 借用語の語形

 薩摩弁が共通語から借用した語 (1a) は、共通語における語形(注4)と意味とを保っているように見えます (実際は聞くのですが)。しかし、語形 (1a) と語形 (1b) とは厳密には異なります。アクセントが異なるからです。

 更に言えば、薩摩弁の「市役所」は「しやしょ」ではなく、「しやしょ」です。「しやしょ」の太字音節、つまり、次掲 (2) のような音節は、促音を好む薩摩弁 (第1回記事参照) に借用される際、しばしば促音に変わります。

(2)  a.    語頭以外にある。
b.    短母音に終わる「軽音節(けいおんせつ)」に続く。
c.    (i) 調音時に唇や舌で呼気をせき止める「閉鎖音(へいさおん)」(p, b, t, d, k, gのいずれか) と、
   (ii) 舌を口蓋に接触させる「狭母音(せまぼいん)」(i, uのどちらか) とで構成される(注5)

 ただし、「しばしば」という点が曲者です。次掲 (3f) のとおり、(2) に適う音節が借用時に常に促音化するわけではないからです。

(3)a.b.c.d.
 ほんしとがなー、おぼえちょやんな?
 so-nopito-ga-naaoboje-tjor-jar-na
 そ-の人-が-な覚え-て-らっしゃる-?
 ‘その人がなー、あ、覚えてらっしゃる?
e.f.g.h.
あたいおっきよ
atai-gahukusi-iortok-i-jo
私-が福祉-に居る時-に-よ
私が福祉にいる時によ’

‘その人がなー、あ、覚えてらっしゃらない?私が福祉にいる時によ’

 普段使いに堪える薩摩弁資料を作るには、薩摩弁特有の語句だけでなく、借用語も含む語彙全体を記述しなければなりません。ある人の語彙をもれなく書き記すのは無理にしても、記述を少しでも充実させるために、借用語の語形がどうなっているかも、できる限り調べているわけです。

(注1) せめてものあがきで、エヴァ第6話の最後を薩摩弁 (串木野弁) で再現してみます。

(A)すんもはんなー。げんときけん
 sum-mos;a-n-nako-ge-ntok-iike-n
 済み-ませ-ん-なこ-のよう-な時-にいかよう-な
 ‘すいませんね。こんな時にどんな
つらおすれよかわからんでな
tura-osu;r-ebajo-ka-kawakar;a-n-de-na
面-をす-れば良い-かわから-ない-んで-な
顔をすれば良いか、分からないんでな’
(B)(わる)()が。
 waruw-ebajo-ka-ga
 笑-えば良-い-よ
 ‘笑えばいいよ。’

 この蛇足のお蔭で、「いけん」が次掲 (C1) のようにika-jo-na ‘如何-様-な’ から生じたということに今さら気づきました。(C2) ko-ga#jo-na ‘此-の#様-な’ (“#” は語の境界。語構成要素の境界 “-” より切れ目が深い) に由来する「こげん」と同様に変化してきたんですね。

(C)1.2.
 如何-様-な此-の#様-な
 ika-jo-nako-ga#jo-na
 ika-i-nako-ga#i-na
 ike-nako-ge-na

 次掲 (D1) のとおり、串木野弁のjo ‘様’ は今もしばしばiに転じます。薩摩弁からは離れますが、(D2) jume-mitai-na ‘夢-みたい-な’ などの -mitaiにも、jo ‘様’ からiへの音変化が認められます。

 このブログにも記したjo > iという音変化は、(D3) 動詞命令形接尾辞 -joにも起こっています。この変化は、薩摩弁を含む西日本諸方言に広く見られるものです。

(D)1.2.3a.3b.
 お前-の#様-な-奴夢#見-た#様-な()-ろ上げ-ろ
 omai-ga#jo-no-tojume#mi-ta#jo-nase-joage-jo
 omai-ga#i-no-tojume#mi-ta#i-nase-iage-i
  jume-mitai-nasage

(注2) 借用と言っておきながら、貸与側に返さないどころか、そのまま捨ててしまうこともあります。たとえば、日本語は1980–90年代に英語から “good” を借りて、「グー」という語を作り出しましたが、すぐに飽きて、捨てました。貸与側も、貸した語を失うわけではないので、返してもらわなくても良いのです。

(注3) 日常的発話とは次掲 (E) (第4回記事 §4 (4) の再掲) のようなものです。

(E)  a.    今なら、羽生さんと藤井八冠がサインしてくれるんだって。
b.    アマプラが付いてくるから、電気は大阪ガスに替えるか。
c.    イタリアの電話番号って39(さんきゅー)じゃなかったっけ?

(注4) 語形の捉え方は研究課題に左右されます。場合によっては、(i) アクセントも考慮しなければなりませんし、(ii) 表記 (特にかな書き) の感覚を捨てて、音声を、切れ目のない連続量として捉えなければなりません。語形の分析精度を誤ると、ありもしない課題に挑んだり、とんちんかんな議論に走ったりする可能性があります (これまでに何度か目にしました)。

(注5) 条件 (2) に適わない音節は促音化しません。よって、「」‘首’「きんだけ」‘沈竹’ の太字音節は促音化するのですが、下線音節はしません。

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