句読法、テンマルルール わかりやすさのきほん|第5回 句点をつけるかどうか迷うところ|岩崎拓也

 この第5回では、句点の使い方についての問題を取りあげたいと思います。

 句点についての研究は読点の研究と比べるとあまり多くありません。それはやはり、句点は「文の終わりにつければいい」と思う人が多いからなのではないでしょうか。

 ですが、よくよく考えてみると、句点をつけるかどうか迷う例はいくつか存在しています。今回は、そのなかでも三つの句点のつけ方の問題を取りあげます。みなさんの句点の使い方を思い出しつつ、読んでもらえたらと思います。

1)『くぎり符号の使い方』における句点の記述

 まずは、一応のルールである『くぎり符号の使い方』の記述について見ておきたいと思います。句点については次のようにまとめられています。

一、  マルは文の終止にうつ。(例1、2、3)
二、  「 」(カギ)の中でも文の終止にはうつ。(例4)
三、  引用語にはうたない。(例5)
四、  引用語の内容が文の形式をなしていても簡単なものにはうたない。(例6)
五、  文の終止で、カッコをへだててうつことがある。(例7)
六、   附記的な一節を全部カッコでかこむ場合には、もちろんその中にマルが入る。(例8)
(1)春が来た。
(2)出た、出た、月が。
(3)どうぞ、こちらへ。
(4)「どちらへ。」「上野まで。」
(5)これが有名な「月光の曲」です。
(6)「気をつけ」の姿勢でジーッと注目する。
(7)このことは、すでに第3章で説明した(五七頁参照)。
(8)それには応永三年云々の識語がある。(この識語のことについては後に詳しく述べる。)

 いかがでしょうか。特に問題ないようにも見えますが、例文の(4)の場合は「どちらへ」「上野まで」のように、かぎカッコの直前に句点をつけなくてもいいのではないかと思いませんか。また、(7)の例文は「このことは、すでに第3章で説明した。(五七頁参照)」のように句点がカッコを隔てない場合もありそうです。さらに、(8)の例のように地の文とカッコの中の両方に句点をつけるのは変な感じがする人もいるのではないでしょうか。このように、句点は、つけてもつけなくてもよさそうな例や、ほかの符号(カッコ)との関係が問題となりそうなことがわかります。

 以下では、これらの問題も含めた三つの句点を使うか迷う例を取りあげていきます。

2)文らしさの問題

 『くぎり符号の使い方』にある「一、マルは文の終止にうつ」というのは、一見すると簡単なようですが、「文の終止」の捉え方は一様ではなく、実際にはさまざまなゆれが存在しています。一例を挙げてみましょう。メールでみなさんもよく「お世話になっております」という表現を使うと思います。そして、その直後に所属や名前を書くことがあると思います。そのさい、どのように区切って書きますか。次の例を見てみてください。上の例のように句点で区切りますか。それとも、下の例のように読点で区切りますか。

お世話になっております井伊です。
お世話になっております井伊です。

 私の周りの人がどのように書いているのかを知るために、私に届いた直近のメールを調べてみました。上述の「お世話になっております{、/。}(所属/名前)です。」の形式を100例調べてみたところ、その中5例が「お世話になっております、(所属/名前)です。」でした。なんだ、5%かと思われるかもしれません。ですが、この100例のうち、書き手の異なり数は27名で、そのうち4名が「お世話になっております、(所属/名前)です。」という読点を区切りに使用していました。15%の人が句点ではなく読点を使っていたと聞くと、多いのではないかと感じてしまいます。

 このような現象が起きる理由としては、おそらく「文らしさ」というのが問題になると思います。文とは何か、というのは、非常に厄介かつ壮大な問題であるので、ここでは深くは立ち入りませんが(気になる方は、大木一夫(2017)『文論序説』(ひつじ研究叢書(言語編)第144巻)がまとまっていておすすめです。また、野田尚史(1989)「真性モダリティを持たない文」仁田義雄・益岡隆志(編)『日本語のモダリティ』pp.131-157、くろしお出版も参考になります)、これは言い換えると、「お世話になっております{、/。}(所属/名前)です。」のどこまでをひと続きだと書き手が認識しているのか、という違いが句点と読点のどちらを使うか選択させている可能性があります(参考:『句読法、テンマルルール わかりやすさのきほん』「第3回  読点の打ち方のコツ:構造、長さ、意味、リズム、ジャンル」の「音調・リズムによって打たれる読点」)。発話としてはひと続きで息の切れ目がないものですが、文字にすると終止の形である「ます」と名前の間になにもないのは気持ちが悪い、だから間をとって句点ではなく読点を打つ、という考えです。書き手にとっては無意識のうちに使用しているものかもしれませんが、このようななんらかの意識が働いていることはたしかだと言えます。

3)句点とカッコ(パーレン)の関係

 次に、句点とカッコ(「丸カッコ」とか、単に「カッコ」、「パーレン」とも言います。以下ではわかりやすく示すために「パーレン」と表記)の問題を見ていきましょう。『くぎり符号の使い方』で該当する部分を抜き出してみました。「カッコをへだててうつことがある」とあいまいだったり、「もちろんその中にマルが入る」のように主観的な記述であるような気がします。

五、 文の終止で、カッコをへだててうつことがある。(例7)
六、 附記的な一節を全部カッコでかこむ場合には、もちろんその中にマルが入る。(例8)
(7) このことは、すでに第3章で説明した(五七頁参照)。
(8) それには応永三年云々の識語がある。(この識語のことについては後に詳しく述べる。)

 そのなかで、特に問題となるのは「六」の「付記的な一節」を文として捉えるかどうかという点です。次の(a)から(h)は考えられる全ての句点の付け方をまとめたものです。みなさんなら、どの位置に句点をつけますか。

(a)それには応永三年云々の識語がある。(この識語のことについては後に詳しく述べる。)=(8)
  →地の文とパーレン内の文をそれぞれ一つの文として考えている。
(b)それには応永三年云々の識語がある。(この識語のことについては後に詳しく述べる)。
  →地の文にたいする句点が二重になる。
(c)それには応永三年云々の識語がある。(この識語のことについては後に詳しく述べる。)。
  →地の文にたいする句点が二重になる。
(d)それには応永三年云々の識語がある。(この識語のことについては後に詳しく述べる)
  →パーレン内の文にたいする句点がない。
(e)それには応永三年云々の識語がある(この識語のことについては後に詳しく述べる。)
  →本文にたいする句点がない。
(f)それには応永三年云々の識語がある(この識語のことについては後に詳しく述べる)。
  →パーレンとその中の文を含めて一つの文として考えることができる。
(g)それには応永三年云々の識語がある(この識語のことについては後に詳しく述べる。)。
  →パーレン内の文を一文として考えている。その上で、地の文とパーレン内の文を閉じパーレンの外の句点でまとめている。
(h)それには応永三年云々の識語がある(この識語のことについては後に詳しく述べる)
  →句点をつけないということは、どちらも文としては考えていない?

 おそらく、句点が二重になっている(b)と(c)、地の文に句点がない(と捉えることができる)(e)と(h)を選んだ人はほとんどいないのではないでしょうか。残るは(a)(d)(f)(g)なのですが、そのなかでも(g)は少なく、次いで(d)、同じくらいなのが(a)と(f)なのではないかと思います。つまり、地の文にたいする句点は必須だとしたうえで、パーレン内の文字列を文として捉えるのか、ということが問題となりそうです。(a)(c)(e)(g)はいずれも閉じパーレンの前に句点がつけられており、パーレン内の文字列を文として捉えていると言えそうです。(f)は説明にも書いていますが、(g)のように閉じパーレンの直前と直後に句点がつけられるのは気持ちが悪く、その結果、パーレン内の句点が省略された形であると考えられます。このパーレン内の句点が省略され、閉じパーレンの直後に句点がつく形式は、一般社会では広く使用されています。

 なお、新聞を見てみると、注釈の場合には(f)のような形式を採用しています。また、田中(2010)によると、文章全体の総括的な注釈や筆者名、クレジットなどの場合はパーレンの前につけることが新聞各社で共通しているとのことです(筆者名、クレジットは文らしさは低いため、ここでの議論にはあまり当てはまりませんが)。

文部科学省の特別支援教育課によると、聴覚障害がある子どもが通っている特別支援学校は118校ある(2019年5月1日現在、分校含む)。  (朝日新聞朝刊(2021年3月21日))


手記の全文は次の通り。(原文のまま)  (田中(2010)で挙げられている例)

4)句点とかぎカッコの関係

 『くぎり符号の使い方』には出てきませんが、かぎカッコと句点の関係にも問題があります(この問題については芝原(2010)に詳しく書かれています)。かぎカッコと句点のあいだには、1)会話文におけるかぎカッコと句点の関係、2)「引用」をどう扱って示すのかという問題があります。

 まず、1)会話文におけるかぎカッコと句点の関係を見ていきます。みなさんが小学生だったころに習ったかぎカッコの使い方を覚えているでしょうか。会話を示すためにかぎカッコを使うこと、また、そのさいに「句点をつけてからかぎカッコをつける」ことを習ったはずです。ですが、小説などを読むと、会話のかぎカッコの閉じかぎの前には句点がついていないことがほとんどです。

「何かあったのか」
「鋭いなあ」
「見舞いなんて柄じゃないだろ」

山田詠美『僕は勉強ができない』新潮文庫

 2)「引用」をどう扱って示すのかという問題についても見ていきましょう。新聞では、かぎカッコの中に句点がつけられることはありません。たとえば、段落内に出現するかぎカッコだけの文の場合は、閉じかぎの外につけられます。

は早く諦めた方が良い。だが決定権は政府にある」。

朝日新聞朝刊(2021年3月21日)

 ですが、段落末に出てくるかぎカッコが使われた文の場合は、句点がつきません。

(前略)私の質問に、88歳の欧州史研究者からメールをいただいた。「権威主義的リーダーが過去の栄光の復活を約束して人々を直接動員し、既存の政治にとってかわろうとした点では同じです
 共和党支持者の多数派が2024年の大統領選の党予備選で(後略)

朝日新聞朝刊(2021年3月21日)

 また、文中において「と」などを用いて引用するさいにも閉じかぎの直前に句点はつきません。

昨年末に政府、都、組織委は「観客の扱いは、政府主体で2021年春までに決める」と整理していた。

朝日新聞朝刊(2021年3月21日)

 新聞以外においては、かぎカッコの直前が文で終わるかどうかが関係しそうです。たとえば、次の例のような場合、先程のパーレンのときと同様にかぎカッコの引用文も地の文として考えて閉じかぎの外に句点をつけても違和感がありません。

大会中止を決めたら、「今までに使ってきた費用が回収できない」。

(作例)

 ですが、次の例の場合はどうでしょうか。「決めた」という終止形による文末表現になった場合、かぎカッコの外に句点をつけると非常にわかりにくくなります。きっと「決めた」の直後に句点を付けたくなるはずです。この例は、先程見たパーレンの場合(下の例)と同じ形式です。パーレンの場合は問題ありませんが、かぎカッコの場合にはこの形式はよくないことがわかります。

大会中止を決めた「今までに使ってきた費用が回収できない」。
大会中止を決めた(今までに使ってきた費用が回収できない)。

 では、「決めた」の後に句点をつけた場合、閉じかぎの位置には句点をどうつけますか。考えられるのは次の三つです。

大会中止を決めた。「今までに使ってきた費用が回収できない」。
大会中止を決めた。「今までに使ってきた費用が回収できない。」
大会中止を決めた。「今までに使ってきた費用が回収できない」

 いかがでしょうか。この場合、おそらく真ん中の例のように閉じかぎの手前に句点をつけるという人が多いのではないでしょうか。ちなみに一番上の例は先程見た新聞と同じ形式です。しかし、一般的には真ん中の例を選択する人が多いような気がします。また、最後の例では句点をつけず、閉じかぎが句点のはたらきを担っています。これは新聞の段落末で使用されるかぎカッコの使い方と同じものです。

 くどいようですが、もう少し考えてみましょう。かぎカッコの次にも文がある場合、どの形式を選びますか。

大会中止を決めた。「今までに使ってきた費用が回収できない」。彼はこう言って悩んだ。
大会中止を決めた。「今までに使ってきた費用が回収できない。」彼はこう言って悩んだ。
大会中止を決めた。「今までに使ってきた費用が回収できない」彼はこう言って悩んだ。

 こうしてみると、一番上の新聞方式を選ぶ人が少し増えそうな気がします。また、最後の閉じかぎの前後に句点がない例を選ぶ人は少なそうです。では、改行をしてみるとどうでしょうか。

大会中止を決めた。
「今までに使ってきた費用が回収できない。」
彼はこう言って悩んだ。

大会中止を決めた。
「今までに使ってきた費用が回収できない」
彼はこう言って悩んだ。

 この場合は上の例でも下の例でもいいという人が増えそうです。つまり、かぎカッコを使った文章の場合、かぎカッコを文としてどのように表示するかという工夫が大切になると言えます。

5)これから句点とカッコの関係はどうなるのか

 実は、今年(2022年)に公開された『「公用文作成の考え方」について(建議)』においても、この句点とカッコの使い方について新たにまとめられています。どのようにまとめられているか見てみましょう。

I 表記の原則
I-5 符号の使い方 
(1)句読点や括弧の使い方

エ 括弧の中で文が終わる場合には句点(。)を打つ
括弧の中で文が終わる場合には、閉じ括弧の前に句点を打つ。
 例)(以下「基本計画」という。) 「決める。」と発言した。
ただし、引用部分や文以外(名詞、単語としての使用、強調表現、日付等)に用いる場合には打たない。また、文が名詞で終わる場合にも打たない。
例)議事録に「決める」との発言があった。  「決める」という動詞を使う。 
  国立科学博物館(上野)  「わざ」を高度に体現する。
オ 文末にある括弧と句点の関係を使い分ける
文末に括弧がある場合、それが部分的な注釈であれば閉じた括弧の後に句点を打つ。
 例)当事業は一時休止を決定した。ただし、年内にも再開を予定している(日程は未定である。)。
さらに、二つ以上の文、又は、文章全体の注釈であれば、最後の文と括弧の間に句点を打つ。
 例)当事業は一時休止を決定した。ただし、年内にも再開を予定している。(別紙として、決定に至った経緯に関する資料を付した。)
なお、一般の社会生活においては、括弧内の句点を省略することが多い。広報・解説等では、そこで文が終わっていることがはっきりしている場合に限って、括弧内の句点を省略することがある。
 例)年内にも再開を予定しています(日程は未定です)。

文化審議会国語分科会(2022)『「公用文作成の考え方」について(建議)』令和4年1月7日 (https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/93651301_01.pdf)より抜粋

 見てもらうとわかるように、かぎカッコと句点については、「「決める。」と発言した。」のように、閉じカッコの前で句点を打つように示されています。また、パーレンと句点については、地の文の末尾には句点をつけず、閉じパーレンの外に句点をつけることで一文を示しつつ、パーレン内の文の終わりにも句点をつける、と示されています。さらに、二つ以上の文または文章全体の注釈であれば、最後の文とカッコのあいだに句点をつけると示されています。

 これらは良し悪しはともかく、いずれもあまり見られない使用法であるように感じます。「ただし、」と「なお、」の後にある付記のほうが現実に即した使い方になっていると言えるでしょう。

 少し私見を述べると、文以外の内容(名詞、単語としての使用、強調表現、日付など)を除く、補足や注釈を地の文の後につけた場合、そのカッコの内容も含めて一つの文だと捉えた方がすっきりとするのではないかと考えています。ですので、基本的には閉じカッコの外のみに句点をつける方式がよいと考えています。ただし、地の文とカッコつきの文の間に改行を挟んだ場合(メールなどでよく使われます)、地の文と閉じカッコの直前に句点をつける方式がよりわかりやすいのではないかと思います(このことは岩崎(2021)「1–2 的確な記号の使い方」にも書いています)。

6)句点と箇条書き

 最後に、箇条書きのさいの句点について見ていきます。

 箇条書きでは、名詞で終わる文や「こと」「とき」「場合」「者」などといった形式名詞で終わることが多いと思います。文部省調査普及局国語課(編)(1950)『文部省刊行物 表記の基準』の「付録」では、このような形式名詞には句点を用いること、逆に題目・標語などの簡単な語句を挙げる場合や、事物の名称を列記するさいには句点を用いないということが示されています。そのため、法律条文においても、「こと」「とき」で終える場合は句点がつき、名詞で終わっている場合は句点をつけないという傾向があるようです(小山特許事務所「箇条書きでの句点「。」の有無」http://www.koyamapat.jp/2019/06/11/itemize/)。

 ですが、現実には次の例のように「こと」や「とき」のような形式名詞であっても直後に句点がつかないことや、それ以外の述語(いわゆる普通の文)であっても箇条書きの場合には句点をつけない人が少なからずいます。

(句点なし)
 応募方法
 ・簡単な自己紹介や実績をご提示ください
 ・条件提示にてご希望の報酬金額を入力してください

(句点あり)
 応募方法
 ・簡単な自己紹介や実績をご提示ください。
 ・条件提示にてご希望の報酬金額を入力してください。

(句点なし)
収集したデータに以下のようなことが見つかった場合は非承認とします。
               ・誤りがあった場合
               ・重複があった場合
               ・抜け漏れがあった場合

(句点あり)
収集したデータに以下のようなことが見つかった場合は非承認とします。
               ・誤りがあった場合。
               ・重複があった場合。
               ・抜け漏れがあった場合。

岩崎(2021)より一部改変

 箇条書きのように情報を整理しつつ、項目ごとにわかりやすく示す場合、末尾の句点はむしろ邪魔に思えます。また、改行することによって各箇条を示すことができるので、句点はある意味では不要とも言えます(閉じかぎの直前の句点を省略できるのと同じです)。

 私見としては、名詞(「こと」などの形式名詞を含む)の末尾には句点は不要、それ以外の述語で終わる文の場合は句点をつける(ただし、紙幅によっては省略可)、というように統一した方がルールとしてはすっきりするのではないかと考えています。

 とはいえ、大切なことは、箇条書きのさいに句点をつけるなら全てにつける、つけないなら全てにつけない、というように統一することだと思います。

7)おわりに

 いかがでしたでしょうか。今回は大きく三つの句点の使い方にかんする問題点を取りあげてみました。自分の中では句点の使い方が決まっているという人が多いとは思いますが、それが決して他の人と同じではないということがわかったと思います。

 次回は、句読点の研究がどのように行われてきたかを振り返ってみたいと思います。

参考文献

  • 岩崎拓也(2021)「1–2 的確な記号の使い方」石黒圭・熊野建志(編)『ビジネス文書の基礎技術』ひつじ書房
  • 芝原宏治(2010)「日本語の句読法」芝原宏治(編)『日中韓英の句読法と言語表現 知の対流3』、pp.23-66、清文堂出版
  • 田中道治(2010)「句読法の目安」『京都外国語大学研究論叢』75、pp.215-232、京都外国語大学国際言語平和研究所
  • 文化審議会国語分科会(2022)『「公用文作成の考え方」について(建議)』令和4年1月7日 (https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/93651301_01.pdf)
  • 文部省教科書局調査課国語調査室(1946)『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)』(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126388/1)
  • 文部省調査普及局国語課(編)(1950)『文部省刊行物 表記の基準』文部省

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