第29回 ウクライナ侵攻、水際対策緩和、そして日本語教育議連|田尻英三

★この記事は、2022年3月22日までの情報を基に書いています。

2月24日に世界中が驚くニュースが流れました。ロシアのウクライナ侵攻です。第28回の原稿執筆時から1か月の間に、第二次世界大戦後に世界中が作り上げてきた軍事力による国境侵犯をしてはならないという規範や価値観が簡単に破られました。今回は、この事態が日本語教育の世界に及ぼす影響を考えます。田尻はあえて、世界全体の将来が見通せなくなった現状を、日本語教育という枠でとらえます。世界情勢に対する意見表明がないという批判があれば、お受けします。

次に、前回問題にした、外国人留学生の受け入れができない状況が続くことによる日本語教育の危機的状況については、「水際対策緩和」という形で大幅な変更が行われようとしています。今回は、今後どのような施策が出てくるかは未定なので、3月21日段階の情報を整理するにとどめます。
そして、最後にいよいよ動き出した日本語教育推進議連(以下、議連)の情報を扱います。

1. ロシアによるウクライナ侵攻と避難民受け入れ


ウクライナ侵攻の状況は日々変化しており、ここでは扱えません。ただ、田尻は一方的なロシアの侵攻により多くのウクライナ人が亡くなり傷ついているニュースを見て、つらい毎日を過ごしています。

特に、田尻は龍谷大学在職中にキエフ国立大学からの交換留学生を教えていて、その中には日本で就職したり、日本で結婚したり(結婚式に出席しました)した留学生もいますが、圧倒的多い留学生は帰国して日本と関わりのある仕事に就いて働いています。彼らが、現在どのような境遇にいるかはわかりません。
龍谷大学では、2月28日に学長とグローバル教育推進センター長名で「ロシアによるウクライナ侵攻にかかる声明」を出しています。そこには、龍谷大学がウクライナのソビエト連邦からの独立後、非常に速い段階で学生交換協定を結んだことが書かれています。田尻は龍谷大学で、ロシアやベラルーシからの留学生も教えていました。田尻は、それらの留学生を差別する気はありません。
田尻は、外国の日本語教育についての情報は、国際交流基金のサイトにある「国別の日本語教育情報」を利用しています。それによると、ウクライナでの日本語教育の中心はウクライナ国立大学だということです。現在も日本国内の大学でウクライナ国立大学と交流している大学がいくつかあります。田尻の希望としては、それらの大学の日本語教育担当者が中心になって所属している大学に働きかけ、交流をしている大学が集まり、ウクライナ国立大学支援のネットワークを作ってほしいと思っています。定年退職後8年目になろうとしている田尻にはできない仕事なので、現職の方の奮起を期待しています。

ウクライナからの難民受け入れも、日本各地で声が挙がっています。3月13日の朝日新聞によると、日本の難民認定は厳しく、ウクライナからのように「紛争」だけの理由では難民にあたらないとして「避難民」という語を使うということです。ただ、ウクライナ避難民についてはかなり例外的な対応をするようで、21日現在までは当初は滞在ビザで対応するということでしたが、今後はインドシナ難民と同じように特定活動(1年)のビザにすると発表されています。田尻は、ウクライナ避難民支援には大いに賛成しますが、それでも従来の難民政策との違いがあまりにもあることが気になります。EUでも、シリア難民受け入れとウクライナ難民受け入れがダブルスタンダードになっていないかという批判が出ているという新聞記事もあります。
なお、3月15日には、現在日本に在住するウクライナ人については「在留許可の判断を適切に行っていき」、過去強制令書が発行されている人も本人の意思に反して送還することはないという対応が出入国在留管理庁のサイト(「日本に在留しているウクライナの方への対応」)で公表されています。
末松文部科学大臣は記者会見で、日本語教育も行なうと言い、3月17日の参議院予算委員会での公明党の里見隆治参議院議員の質問に対して、岸田総理大臣も政府として日本語教育をウクライナ避難民対策連絡調整会議で検討すると答えました。内閣総理大臣が日本語教育に言及することに驚きました。今後どのような日本語教育が行われるのかについては、日本語教育関係者は政府に対して積極的な発言をすべきだと田尻は考えます。従来の難民への日本語教育体制では不十分です。松野官房長官は「日本語研修」という語を使っていて、日本語教育との違いがあるのか現時点では不明です。いずれにせよ、日本に入国する外国人の状況を考えずに日本語習得を前提に受け入れ体制を作ることは問題です。日本語教育が、外国人への同化圧力にならないように心がけるべきと田尻は考えます。まずは、ウクライナ避難民の意向を確かめるべきです。出入国在留管理庁の「ウクライナ避難民向けの電話相談窓口」では当初ウクライナ語での対応がありませんでしたが、22日現在は「FRESCヘルプデスク」でウクライナ語とロシア語で受け付けをしています。今後も政府がどのようにウクライナ避難民受け入れを進めるのか注視していかなければいけません。田尻は、この際難民・避難民受け入れ体制全体を見直すべきと考えます。そして、さらには外国人受け入れに対する政府としての方針作成とそれを支える体制作りを再考すべき時が来ていると強く思っています。
21日現在では、ウクライナ避難民受け入れを各種団体(日本語学校も入っています)や地方公共団体が表明していますが、詳細は決まっていません。16日現在、ウクライナ避難民は、すでに73人が入国しています。

ロシアによるウクライナ侵攻は、直接的・間接的に日本での各国の外国人対応を変えていくと考えられます。日本語教育に関して言えば、各大学における交換留学制度の見直しによる交換留学生数の変化が起こると田尻は考えます。大学で交換留学生を教えている常勤・非常勤の日本語教師の仕事も変わってくることは、日本語教師としては想定すべきです。

2. 水際対策緩和による外国人留学生の入国

この件も、ウクライナ避難民受け入れ対応同様日々新しい情報がもたらされている状況で、今後の見通しも難しいのが現状です。
政府が世界で最も厳しい水際対策と誇らしげに言っていた対策が、どのような検討を経て変わっていったかという情報は出てきていません。以下では、ニュースや関係省庁の情報を列挙することにしますが、詳細(受け入れ枠や人数についての情報がいろいろ出ています)については触れる余裕がありません。

  • 2月9日 在日米国商工会議所などが、入国制限緩和を訴えました。
  • 10日 このウェブマガジン第27回の記事でご紹介した「令和3年度補正予算事業『ウィズコロナにおけるオンライン日本語教育実証事業』の募集」が始まりました。書類の提出期限は3月7日までで、実際に動き出すのは4月以降と思われます。
  • 12日 入国制限の方針を変更するという新聞記事が出ました。まずビジネス目的と留学生を先行して認め、1日1000人以上から順次拡大するというものです。
  • 15日 自民党公明党が留学生の水際対策緩和を求める決議文を政府に提出したというニュースが出ました。田尻は、自民党の決議文は入手していません。公明党は、「留学生・文化芸術・スポーツ関係の入国に係る決議」を松野官房長官と末松文部科学大臣に提出しました。政府は、入国者の待機期間の短縮や1日の入国者数の上限を3500人から5000人に引き上げるという検討に入ったというニュースが出ました。
  • 17日 岸田総理大臣は、水際対策を3月から緩和すると表明しました。
  • 18日 文部科学省は、留学生の入国手続きを簡略化する方針を明らかにしました。
  • 24日 「水際対策強化に係る新たな措置(27)(本年3月以降の水際措置の見直し)」が公表されました。
  • 25日 外務省のHPに「国際的な人の往来再開に向けた措置について」が公表されました。文部科学省が留学生関係団体に対して「外国人留学生(留学)に係るオンライン説明会」を開きました。これは、今後発表される「留学生円滑入国スキーム」の説明を兼ねたものでした。この説明会で、文部科学省高等教育局の担当者が、5月末までの入国希望留学生全員の入国は無理であること、入国希望者は18万人いることなどを説明しましたが、マスコミではこの情報は扱われていません。この会議はYouTubeで見ることができます。
  • 3月3日 文部科学省・出入国在留管理庁・国土交通省から「留学生円滑入国スキーム」が公表されました。このスキームは、ビジネス客が少ない月曜日から木曜日を中心に航空機の空席を活用するもので、旅券やビザ取得のめどがたってからしか利用できないようになっており、また、使える航空会社は日本航空と全日空のみとなっていて共同運航便は使えないなど細かな注意事項があり、かなり使い勝手の悪いものです。その後、週末の飛行便も利用できるなど細かな変更点が随時発表されています。
  • 8日 出入国在留管理庁が留学生受け入れ関係者に「留学生円滑入国スキームの導入について」を通知しました。
  • 9日 「学生等の学びを継続するための緊急給付金」の三次推薦が始まりました。この給付金は補正予算の未使用枠を利用したもので、3月中に入国する留学生も利用できることになりました。この給付金が留学生にも使えるようになったのは、公明党文部科学部会長浮島とも子衆議院議員のご尽力によるものです。3月12日の浮島議員のFacebookに経緯が出ています。この件に関して文部科学省は、給付金の対象は留学生だけであるような誤解を招かないように、11日に「2022年3月10日に掲載されたNHKの記事について」を発表していて、末松文部科学大臣も記者会見でこの件に言及しています。
  • 19日 ミャンマーからの技能実習生4人が入国しました。 

2022年3月2日の衆議院文部科学委員会の討議の中で、浮島議員が政府への質問した中で、水際対策の緩和の際に留学生枠を考えられないかと問い合わせた際に、政府の担当者は「頭の隅にもない」という木で鼻をくくったような回答をしたという例に触れていました。そのことを考えると、
これからも留学生受け入れにあたっては簡単にはいかないということが予想されます。文化庁国語課や、次に述べる議連を支援する日本語教育関係者の活動に期待します。田尻一人のロビー活動では、限界があります。

3. 超党派の日本語教育推進議員連盟の新しい体制

第15回日本語教育推進議員連盟総会が、2022年3月4日に開かれました。14回総会は2021年4月22日でしたので、かなり間が空いてしまいました。その間、河村建夫会長は退任、馳事務局長は石川県知事になり、議連は役員体制を作り直さなければなりませんでした。
この総会の資料は、日本語教育学会の3月7日の「お知らせ」で見ることができます。詳しい内容は、そちらでご覧ください。ここでは、ポイントを絞って扱います。
総会では、新しい役員が承認されました。主だったメンバーとしては、会長は自民党柴山昌彦衆議院議員、会長代行は立憲民主党中川正春衆議院議員、幹事長は立憲民主党笠浩史衆議院議員、事務局長は公明党里見隆治参議院議員となりました。従来から日本語教育支援をしていただいている公明党浮島とも子衆議院議員は副会長に、公明党熊野正士参議院議員は幹事になりました。事務局次長は、日本維新の会金村龍那衆議院議員、自民党高木啓衆議院議員、立憲民主党石橋通宏参議院議員の3人です。
この総会では、日本語教育に係る法案の概要(この資料は日本語教育学会の「お知らせ」には出ていません)や、文化庁・外務省から日本語教育関係施策等の推進状況等々が議題となりました。法案自体は現在検討中なので非公開となっており、ここでもご紹介できません。今後は、里見隆治事務局長を中心に日本語教育を支援する活動が始まることが期待されます。里見議員は、ご自身の著書『愛知から日本の未来をひらく』(2022年、潮出版社)の中で、議連との関わりに触れています。
すでに議連の役員有志で、水際対策緩和や留学生受け入れを優先的に進めることなどが書かれた要望書を松野官房長官に提出していて、柴山議員・浮島議員・笠議員・里見議員が出席しました。

4. 日本語教師としてこれから考えなければいけないこと


22日現在も、ウクライナではロシアによる攻撃が続けられていて解決のめどは立っていません。この軍事侵攻は、世界経済に大きな影響を与えるようになると思います。そうなると、国際交流基金が行っている外国への日本語教師の派遣や日本の大学で行われている外国人留学生の受け入れなどは、基本的な見直しが迫られると田尻は考えています。
日本語教師の仕事も従来のような形ではなくなり、日本語教師の仕事内容も変わってくると思います。日本語教師の公的資格や「日本語教育の参照枠」がまとまっていくと、今まで使ってきたテキストを教えるだけの日本語教師は時代の波に対応できません。日本語教師自体が前向きで柔軟な考え方をしていかないと、これからの時代に生き残れません。
将来の日本語教育を考えるためには、最低限取り組まなければならないテーマが二つあります。

(1) 現場の日本語教師と日本語教育研究者の交流


田尻は、日本語教育の現場を知らない日本語教育の研究などはありえないと考えています。田尻は、福岡大学在職中にも現場の日本語教師から多くのことを学びましたし、一緒に日本最初の日本語教育ネットワーク九州日本語教育連絡協議会を今は亡き進一さんたちと立ち上げましたし、現在も日本語教育振興協会の理事として間接的ながら日本語教育の現場に関わり続けています。
しかし、残念ながら、日本語教育学会などの発表を聞いていると、その研究は現場でどう役に立つのかわからない発表も多くあります。大学の日本語教育担当者は、まずは現場を見るべきだと思います。

(2) 日本語教育関係者と外部の外国人支援団体・機関との交流


日本語教育に関わっている人と話していると、外国の状況や日本国内における外国人の置かれている環境に関心がない人が多いことに驚きます。そういう人たちは日本語を教えることだけに興味があり、教える時間が終われば、外国人はもうその人に関心の対象ではないのです。
日本語教育関係者は、もっと外国の経済や社会の研究者の講演会に出席したり著作を読んだりしてください。また、日本国内住んでいる外国人の置かれた法律的・社会的な環境についての知識を持ってください。
田尻は外国人に関わりすぎるとよく言われますが、相手との心の交流の無い日本語教育は存在しないと考えています。
朝日新聞では、3月5日・12日・19日の「知っ得 なっ得」の欄に「外国人と働く」という記事が掲載されました。この記事は自由人権協会の旗手明さんの協力を得ており、日本の外国人労働者について分かりやすく書かれています。

「移住者と連帯するネットワーク」のHPにある3月18日の「お知らせ」に、法務大臣の第3回「特定技能・技能実習制度に係る法務大臣勉強会」で鳥井一平さんが意見を述べたとあります。当日の資料は、このサイトの中に出ています。ただ、この勉強会の情報は、法務省のサイトでは出て来ません。この勉強会で扱われたことは今後の法務省の施策に反映すると考えられますので、勉強会の情報は公開してほしいと思います。

ここでは、田尻は上から目線で書いているように感じる方もいるかもしれませんが、田尻も毎日悩んでいるのです。それでも少しでも状況が良くなればと考えて、日々の活動をしています。
ありがたいことに、日本語教育学会のNKGTV「シリーズ 日本語教師の社会的・制度的な位置づけについて考える」の第1回目に古屋憲章さんと一緒に出る機会を与えていただきました。そこでは、田尻が日本語教育についての「思い」を語っていますので、ぜひご覧ください。

ウクライナ避難民受け入れが契機となって、日本語教育の必要性が高まっています。しかし、受け入れる政府・地方公共団体・民間団体などでは、日本語教育のことはどの程度理解されているか田尻は不安になります。日本に定住しようとする外国人には、まずその人の言語や文化を尊重しながら、日本語習得のお手伝いをするという姿勢が必要だと田尻は考えます。
日本語教育関係者は、政府や地方公共団体などからの「お仕事」を待っているのではなく、学会・現場の日本語教師・日本語ボランティアなどが一体となって積極的に発言し行動に移していかなければいけない、と田尻は考えます。

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