芥川賞作品を読む|第13回 開高健『裸の王様』(第三十八回 1957年・下半期)|重里徹也・助川幸逸郎

身体でつかんだ認識

助川幸逸郎 これ、大江健三郎に勝ったんですよね。

重里徹也 そうですね。同時に候補になった大江作品は『死者の奢り』ですね。

助川 ちょっとそれだけ見ると、えっ、って感じですけれども。確かに『死者の奢り』も非常に面白い作品だと思うんですが、ただ、やっぱりサルトルの影響があらわというか、背景が透けて見えるところがあるのに対して、この『裸の王様』はもうちょっと皮膚感覚っていうか、身体でつかんだ認識みたいなものがあるので、結果的にこちらが受賞したというのは、私は間違ってはいなかったという感じがしますね。ところが、開高が書いている深みよりも、もうちょっと浅いところで読まれていますね、当時は。

要するに資本家の偽善みたいなものに対して、なんというか、いっぱい食わせたみたいなところで終わっていて甘いみたいな評があるじゃないですか、結構。だけど、こうやって主人公がいっぱい食わせたように見えて、実は掌の上で踊っているみたいな。そういうところがあってやっぱり開高が根底に抱えている虚無感みたいなものが、実はこの作品にも出ているんじゃないかっていう話を以前にもしたことがあると思うんですけども。

重里 そうだったですね。

助川 その辺はどうなんでしょうね。どうして当時の人はそこまで読めなかったんでしょうね。

重里 開高健の視野の広さや複雑な世界認識が、同時代の評者にはなかなか共有されていない印象を受けます。どうしてなのでしょうか。一方では、その無力感を当然の前提として持っていた人が多くて、きちんと意識化できなかったということかもしれませんね。他方では、単純にいえば、資本家にいっぱい食わせたい人たちが文芸業界にけっこういたということかもしれませんね。それで、喝采を送りたくなったのでしょう。その二つのことが、今となっては距離を置いて、浮き彫りになって見えるということがあるのでしょうね。

助川 例えば、金出してコンクールやっている資本家には勝てないよっていう、そういう自分に勝てない力があるみたいなものに関して、大前提として皆共有しているってことですね、この作品が出た頃は。

重里 無意識に共有していたような気がします。つまり、それが高度経済成長期の風潮、空気なのだろうと思います。そういうものを肌に感じながら、それが圧殺していくものについて書いているのだろう、という図式で理解されたのだと思います。それに諦念に近いものを感じるか、怒りを感じるかは分かれたのだと思いますが。そして多くの日本人は、実は無意識に肯定していたかもしれません。もちろん、意識的に肯定する人もいたのでしょうね。ただ、当時の文壇には、「資本家の横暴」に抗するような空気がけっこう強かったのではないでしょうか。

開高健はそんな単純な図式には立っていないですね。もっと複雑なことを複眼的に考えています。『パニック』『巨人と玩具』『裸の王様』とずっとそうです。『裸の王様』は、浅いところで称賛されたという面があったのではないかという感触を持っています。この作家がデビュー時から抱いていた問題性はもっと深いものでしょう。この状況はいまだに続いているように思います。私は、開高健が日本の文壇や研究者たちから、正当に評価されていないという思いを持ち続けています。

助川 なるほど。

成熟した大人の小説

重里 俗っぽく言い換えると、開高の作品には成熟した大人の小説という面があるということでしょうね。デビュー時からそれはいえて、『裸の王様』と『死者の奢り』との違いにもなっているように思います。それで、その虚無感の由来ですが、開高の場合、やっぱり、アジア・太平洋戦争の影が濃いように思います。この作品でも、戦争というものが前面に出てくる場面があります。戦争によって破壊された後、その破壊を表面的に覆うようにしてコンクリが敷かれ、出来合いのこぎれいな家が建っている。それを暴いている小説でもあるわけですね。この後の歴史を見ると、ここで予言されているものが戦後日本を覆っていくことになるわけです。そういう時代を予見する小説という性格も感じさせますね。

助川 高度経済成長って非常に明るい時代だった、希望があった、という風に今となってはいわれることが多いですけれども、決してそうではなかったということになるのでしょうか。

重里 そこは複雑ですよね。とても多面性がある問題だと思います。人々の願望が必然的に高度経済成長を追い求めたという面が大きいでしょう。高度経済成長による恩恵もたくさんあると思います。端的に二ついうと、飢えて死ぬ人が少なくなっていったといういい方もできるし、平均寿命が飛躍的に伸びたという面もある。さまざまな分野で、大きな達成をしたのは事実でしょう。これをいたずらに否定する言辞はおそらく間違っているのだと思います。

ただ、一方で経済成長の虚しさとか、形骸化された理念とか、そういうものに対して目をつむれなかった一人が開高健だろうというふうに思います。そして、そのどうしようもなさを見据えている。まあ、この時期に生み出された日本文学の多くが、何らかの意味で、高度経済成長の影の部分を代弁してきたという面もあると思います。その象徴的存在は石牟礼道子ですよね。彼女一人出すだけで、高度経済成長の恩恵といっても、虚しくなってくる。水俣病を思い起こせば、一体、経済成長って何だったのかと根底的に考えざるをえなくなります。

助川 大江と開高の比較なのですが、やはり一つは大江健三郎が学生で書いていたのに対して、開高はサラリーマンをやっていて、しかもコピーライターなわけですよね。この社会的経験の差は大きいように思います。

重里 それは大きいでしょうね。急成長していた洋酒メーカーのコピーライターでした。つまり、戦後の経済復興から成長へと向かう時代の最先端で働いていたともいえるでしょう。これはとても大きいですね。それから、もう一つ。開高は大阪生まれで大阪育ち。大阪市立大学を卒業して就職してから、東京に出てきた。二つの大都市を知っているというのも、彼の複眼的な視線を養ったのだろうと思います。

助川 要するにコピーライティングというのは、たぶん現場でものをつくったりとか、あるいは客に直接、対面でものを売ったりというのとは違うところがあるでしょう。バブル期には、コピーライターというものが時代のスターになっていくわけですけれども、ある意味では実体がないところで勝負しているわけですよね。言葉だけで。

コピーライターの先駆け

重里 開高はコピーライターの先駆けみたいな存在だと考えればいいのではないでしょうか。そこで人々の哀歓を表現しようとした。例を挙げておきましょうか。

「明るく 楽しく 暮したい そんな 想いが トリスを 買わせる  手軽に 夕餉に 花を 添えたい そんな 想いが トリスを 買わせる」

「『人間』らしく やりたいナ トリスを飲んで 『人間』らしく やりたいナ  『人間』なんだからナ」

今から思うと単純なコピーですが、高度経済成長へ向かう日本人の心を繊細につかもうとしていますね。敗戦から復興、経済成長へ向かう社会に振り回されている日本人に、生活の彩りや安らぎを与える存在としての洋酒。現在から見ると、開高の諦念も、ニヒリズムも、それを前提としたエネルギーも感じるのですが。

 助川 開高は美食家で、釣りマニアで、スーツもロンドンでいちばん高級といわれるテーラーで仕立てていました。そういう衣食や趣味への没入によって、心の底に巣食う虚無をまぎらわしていたのでしょう。そのことが、このコピーにははっきり出ている気がします。トリスを飲んで『人間』らしくなる、というのは、裏を返すなら、うまい酒がなければ『人間』らしくなれない、という意味にもなるわけですから。

開高は高度成長を、虚無をまぎらわすうまい酒をあたえてくれるものとして肯定していた、ということでしょうか。

 重里 コピーライターという仕事が消費社会の波を先頭で切り開いていく。そういう存在の先駆け的な役割を果たしたのだと思うのですね。

 助川 そういう中で、このような職業があること自体が、経済成長の恩恵なわけですけれども。開高にはそこがよく見えていたのではないでしょうか。つまり、この仕事をしながら、同時にコピーライターに甘んじていていいのだろうか、という思いがあったように思います。ただ結局、開高の場合、それを生涯やり通したようにも見えますね。富があって豊かな社会だからこそ、自分は生きていけるのだけれども、それに甘んじていること自体の虚しさとか、それによって生かされていることへの疑問がずっと開高にあったと思うんですよね。

 重里 そうなのですね。この太郎という少年。それから「僕」という主人公。これは両方とも開高ですよね。この少年は、経済成長が進んで行く中で殺されそうになっているわけです。唯一、彼に生命力をもたらしたのが、川にいた魚だったということですね。これは開高の人生を考えると符丁が合いすぎるぐらいに面白いですね。彼はアラスカのサーモンとかアマゾンの怪魚とか、そんなものを追い求める人生を送ることになる。とても重なって見えてきます。

一方で、この主人公の画家が、前衛的なものに対して疑問を持っているのも印象的ですね。これも面白いところだな、と思います。観念的なもの、ヨーロッパから伝来した新しい美術思潮にかぶれる風潮に疑問を持っている。その辺はいかがですか。

助川 これはすごく明晰な洞察ですね。結局一九六〇年代の前衛とかっていうのは、今ほとんど残っていないですね、各芸術ジャンル。例えば音楽にしても、それから美術にしても。残れているものは何か、と尋ねたいぐらいです。たとえば、二十世紀初めに大きな仕事をしたジェームズ・ジョイスは残っているわけです。

重里 よくこの話になりますよね(笑)。

助川 ジョイスは、一見するとわけがわからないことを書いているように映る場合でも、聖書とかギリシャ神話とか、西洋世界でひろく共有されているものを踏まえています。だから、きちんとした手つづきを踏めば、ジョイスの作品は解読できるし、ジョイスが属していた時間と空間を超えて『ユリシーズ』も『フィネガンズ・ウエイク』も享受されています。これに対し六〇年代の前衛の多くは、無から全部新しいものを作り出そうとしてしまった。

六〇年代の作品でも、現在でも鑑賞に耐えるものは、美術でも音楽でも、ある程度それまでの伝統とつながっているはずです。

物語は始まらない

重里 単にシステムを否定しても、何も生み出せないのです。本人たちはその時は気持ちいいかもしれませんが。知的な遊戯に対する違和感というか、いたずらに欧米の思潮に付和雷同して何かをやった気になっているインテリに対する反発というか。そういうものは、この作品から強く感じますね。

『裸の王様』というのは、開高らしい小説だし、開高の生涯の仕事を予見させるところがあるのですけれども、そのうちの一つはですね、開高自身が物語を作っていくということに対して、とても淀みがある点なのです。調子よく、うねるように物語を作っていくのではなくて、断片やエピソードを探り探りつなげていくといえばいいでしょうか。構成的な物語が屹立するのではなくて、断片化した物語を何とか集めて小説にしようとしている。それがとても開高らしいと思います。

開高の生涯を見わたすと物語を語るということに対して、疑問を持ち続けているのですね。物語を構成するということをわざと放棄するようなところもある。このころはまだデビューして間もないころで、何とか断片をつなぎ合わせて物語の形を作っています。ただ、だんだんとそれが崩れていく。この後、『日本三文オペラ』という人気のある小説を書きますが、これも物語の形をしているのかと思いきや、エピソードが連なっていって、断片化した物語をつなぎ合わせていくのですね。私はこれが開高の時代認識なんじゃないかと思います。つまり、物語を語ろうとすると嘘になる。物語を作ってしまったら、それはつぶしていかないと、嘘つきになってしまう。自分はそういうことはしないのだと。そんな感じがするのです。開高健作品において、物語は始まらないのです。開高は物語を信じない作家なのです。物語が始まったと思ったら、すぐに淀み、断片化してしまうのです。これが開高文学の大きな特徴だと思います。

助川 私が思うのは、開高の場合は、文章はすごく滑らかなんですね。おそらく開高は自分の文章が滑らかであることが決して気持ちよくなかったと思うんですよ。さっき魚釣りの話をなさっていましたけれど、時代の流れがある方向に行く、それに自分が乗っちゃっている。それに対する違和感が開高の書く力だったと思うんですよね。

その時に、開高は本当は吃音交じりの文章が書きたかったのではないでしょうか。ところが流暢な言葉しかしゃべれないんですよ、開高は。

重里 語彙がすごく豊富ですよね。多彩な言葉があふれている。

助川 そうです。本当は大江みたいな文章が書きたいんだと思うんです、開高は。けれども、わかりやすくて滑らかな文章が書けてしまうんですよ。

私の感触としては、いい淀みたい自分をどこで表現するのかという時に、たぶん大江みたいな文章が書けていたら、もっとしっかり物語を作ったと思います、開高は。大江みたいな文章が書けるんだったら、ああいうギクシャクした文章が書けるんだったら、世界への違和感みたいなものをもっと出せるんで、それを物語の中で出すってことができたと思うんですよね。流暢な言葉でよくできたウェルメイドな物語を作っちゃうと、開高の抱え込んでいる違和感みたいなものが全然リアリティーを持って表現できないということがあったのではないでしょうか。そのために物語を構築することに対して、すごく躊躇していたのだと思うのです。

 重里 物語を作らないのは、世界への疑問、違和感、世界との摩擦の表れだというのは、その通りだと思います。

 助川 物語を作ることへの抵抗感があった。あるいはギクシャクした物語しか作らなかった。

 重里 今回読んでいてね、米軍の大空襲を受けて、圧倒的な破壊を受けて、戦後にそれを表面だけを覆うようにしてできた戦後社会みたいなことをすごく感じましたね。空襲によって、実は大きな穴ができている。表面からは見えないけれど、それをはぎ取ると、大きな空洞があいている。そこに魚がいたりするわけですよね。この図式は開高の時代認識をよく表しているのだと思います。高度経済成長でどんどん豊かになっていく。多くの日本人はそれに乗っかっていく。単に乗りかかるだけでなく、必死に努力して推進していく。しかし、心にはいつも違和感がある。

助川 三島由紀夫もそこを何とか表現しようとしたのでしょう。彼は開高よりは五歳上ですけども、吉本隆明などと同じ世代で、高度経済成長に向かっていく日本に対する違和感を何とか表現しようとしたのだと思うんですよね。ただ、三島の場合、その時に天皇という言葉を持ってきた。それが良かったのか、良くなかったのか。

重里 開高は決定的に拒絶しました。天皇も、マルクス主義も。「国から賞はもらえない」といって、芸術選奨文部大臣賞(当時)も断りました。それでは、何があるのか、というのでのたうちまわったのが開高の文学だろうという風に思いますね。

私は戦後日本の文学を考える時に、物語というものを軸にして二人の作家を思い浮かべます。一人は自前の物語によって、日本人を鼓舞し続けた井上靖。もう一人は物語を拒絶し、いい淀み続けた開高健。この二人を視野の両端に入れると、見えてくるものが多いように思います。二人とも実力より過少に評価されているのが残念です。

助川 たとえばベトナム戦争にしても、高度成長期の日本よりもベトナムの戦場のほうがリアルだったから、開高はあれだけこだわったんでしょうね。だからベトナム戦争に行って何かを見たっていうよりは、焼け野原で穴が空いている状況でどう生きていくかっていうのが人間の裸の姿なのに、それを覆ってしまっている高度経済成長下の日本というものがすごく偽善的に見えたのでしょう。戦争というのは、坂口安吾的に言うと開高にとっての「文学のふるさと」ですね。

重里 戦場では、理不尽な充実感を感じたのでしょうね。危険で、なぜ、こんなところに来てしまったのかと自問し続けるのに、どうしようもなく充足感を感じる。突き放されているのに、包まれている。開高にとってベトナムの戦場とはそういうものだったのでしょう。

助川 戦場が「文学のふるさと」で、たぶん開高は戦場へ行くと懐かしさも感じたのだと思いますね。

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