書評『事実と意見を区別する言語技術』(ひつじ書房、2026年8月)

前川孝子(日本大学・国際関係学部)

 

 本書『事実と意見を区別する言語技術―その学び方、教え方を考える』(渡辺哲司編)は、教師・教育関係者向けの月刊誌『指導と評価』における全18回の連載をもとに、新たな対話・論考を加えたものである。主題である「言語技術としての〈事実と意見の区別〉」について、編者は以下のように述べている。

 (前略)コミュニケーション(何事かを言葉で伝え合うこと)の場において、事実と意見の両者を、それぞれにふさわしい言葉を用いて言い分けることであり、同時にその両者を、言葉を手掛かりとして聞き・読み分けることである。(p.4)

 そして、この言語技術としての〈事実と意見の区別〉の習得は、「国際化」する現代社会の中で的確に事実を理解し自分の意見を発信するために、ますます重要であると指摘している(ただし、「国際化」とは何かについては後述する重要な論点がある)。全5章からなる本書は、このような視座から、〈事実と意見の区別〉を言語技術として運用することに対し多角的な論点を提示している。まずは目次と各章の執筆者・対談者を示す。

 序章 〈事実と意見の区別〉の技術論(渡辺)
J.1 なぜ、いま〈事実と意見の区別〉なのか
J.2 〈事実と意見の区別〉とは
J.3 PISA2018公開問題〈ラパヌイ島〉問3を掘り下げる

付録1 アングロ・サクソン諸国における〈事実と意見の区別〉:渡邉雅子『「論理的思考」の文化的基盤』を踏まえて(渡辺)

第1章 〈国語〉の視点から
1.1 【鼎談】〈事実と意見の区別〉の教材論:小説はよい教材となりうるか ゲスト:島田康行・入部明子
1.2 「国語」で学ぶ〈事実と意見の区別〉 島田康行
1.3 事実と意見の区別:「はて?」と問う 入部明子

第2章 〈国際〉的な視点から
2.1 【鼎談】西洋における〈事実と意見の区別〉の教え方のバリエーション ゲスト:細尾萌子・三森ゆりか
2.2 フランス:PISA読解力調査で不振の理由 細尾萌子
2.3 欧米型の「テクスト分析と解釈」に必要な事実の詳細な考察 三森ゆりか

第3章 〈理科〉の視点から
3.1 【対談】「事実と意見の区別」をめぐる理科と国語の問題 ゲスト:中山迅
3.2 国際的な理科/科学教育の動向と〈事実と意見の区別〉 中山迅
3.3 【対談】英国の教室で考える〈事実と意見の区別〉 ゲスト:羽田徳士
3.4 英国にて、書かせる理科の指導を通して、事実に基づいた意見の伝え方を教える 羽田徳士

付録2 〈事実と意見の区別〉という知的営為の構造:三層から四層へ  ゲスト:酒井邦嘉

第4章 〈歴史〉の視点から
4.1 【対談】歴史学・歴史教育における事実とは ゲスト:橋本雄
4.2 歴史教育における〈事実〉と〈意見〉のあいだ 橋本雄

第5章 〈法廷〉の視点から
5.1 【対談】裁判員裁判を支える一般市民の献身:たとえ言い方は拙くても ゲスト:大西直樹
5.2 裁判員裁判を支える両輪:一般市民の責任感と司法関係者の専門的知見・技術 大西直樹

付録3 新聞は事実と意見をどのように区別し、伝えるか ゲスト:徳野仁子

補論 補足的・派生的な3つの議論(渡辺) 

あとがきに代えて:連載を振り返っての対談(渡辺・工藤彰眞)

 本書の最大の特色は、編者である渡辺氏がゲストを迎えて行う「対談」「鼎談」と、その議論を踏まえてそれぞれの論者が執筆した「論考」を中心に、編者が当初の問題意識を述べた「序章」と、ゲストとの対話を踏まえて執筆した「補論」が前後に配されるという構造を取っている点にある。これによって、編者が対話を通じて様々な問題点について思索を深めていく過程を読者も追体験できるようになっている。

 以下、各章の概要を、対談・鼎談のゲストとともに紹介しておきたい。

 序章は、編者である渡辺氏の当初の問題意識が述べられる箇所で、なぜ〈事実と意見の区別〉が重要なのかが、様々な例を通して述べられる。

 第1章では、国語教育の専門家である島田康行氏、比較言語教育学の専門家でアメリカ型の文章作成技法である「パワーライティング」の普及に尽力した入部明子氏をゲストとして、国語教育を主題とした討論を行っている。

 第2章では、フランスとドイツの言語教育に詳しい細尾萌子氏・三森ゆりか氏との鼎談で、国際的な視野から〈事実と意見の区別〉の在り方について問題提起が行われる。

 第3章では、大学教員として日本における理科教育に携わっている中山迅氏、在英国の邦人子女向け私立校で中学生・高校生に理科を教える羽田徳士氏をゲストとして、国語と理科の関係が検討される。羽田氏との対談では、事実と意見の区別の実演が行われるが、ここで羽田氏は面白い仕掛けをしている。どのような仕掛けかは敢えて伏せるので、ぜひ実際に本書を手にとって確認をしていただきたい。

 第4章では、歴史学者である橋本雄氏をゲストに、中学校・高等学校の社会科・歴史教育における「事実」とは何かが論じられる。

 第5章では、学校教育から離れ、現実社会において事実と意見の区別が最も重要な意味を持つ法廷の視点から、対談当時は裁判官であった大西直樹氏(現在、弁護士)と対談している。

 さらに、付録2・3として、書籍化にあたって、言語脳科学者の酒井邦嘉氏、毎日新聞社の徳野仁子氏をそれぞれゲストに迎えた対談が収録されている。酒井氏との対話では、本書評冒頭で引用した定義にもとづき編者・渡辺氏が示した言語技術としての〈事実と意見の区別〉のモデルを、対話を通じて修正していくという結果になり、短いながらも重要な個所である。徳野氏との対話は、新聞報道での「事実と意見」をめぐるもので、「序章」での問題提起を補足する内容になっている。

 「あとがきに代えて」によれば、全5章の議論の中でも、編者にとってのハイライトは、第2章の細尾氏の論考(2.2)・鼎談(2.1)と第3章での羽田氏との対談(3.3)・論考(3.4)であるという(p.190)。

 第2章の鼎談を受けて、渡辺氏は、同じ欧米圏でも国語教育には多様性があることに気づく。渡辺氏はここで、自らも推進してきた〈事実と意見の区別〉という作文の書き方が、英語圏をスタンダードとする「認識のバイアス」(p.70)に立脚していたのではないかという発見に至っている。これは、国際化社会における事実と意見の重要性という、本書の前提を揺り動かすほどの「ある重要なこと」(p.62)であると述べている(なお、付録1は渡邉雅子氏の著書を通じて、この点を検討したもの)。ただし、細尾氏の論考(2.2)および三森氏の論考(2.3)を通じて、編者の渡辺氏は〈事実と意見の区別〉自体は英米圏以外の欧州諸国でも共通認識となっていることを確認し、「あとがきに代えて」では、〈事実と意見の区別〉を重視した木下是雄氏の「法灯を継ぐ」ことを表明している。

 一方、羽田氏との対談を契機として、渡辺氏は〈事実と意見の区別〉の三層モデルを提示するにいたるのであるが、先に述べたように、その後、酒井氏との対談を通じて、最終的に四層モデルへと変更されることになる。このようなダイナミックな思考過程については、ぜひ本書そのものをご覧いただきたい。

 評者は、日本語学習者が書いた作文から感じる違和感を分析することで、日本語の文章の特徴を明らかにすることを研究の主題としている。その一環として、「事実」と「意見」の区別をもとに、日本語と中国語の文章の差異を分析した経験があるが、その経験から、日本語の意見文・小論文などの説明的文章では、「理由は以下3つある」などのようなかたちで、事実でも意見でもない「場面設定」を行って、事実や意見を示すと考えている。そのため、「事実と意見を区別する」という本書の題名を見たとき、「場面設定」についてはどうなるのかと思ったが、本書ではスピーチの仕方として若干触れられている(p.112)だけで、主題的に展開されていない。

 また、評者が扱った中国の議論文に関して言うと、諺や名言の引用が、自身の意見の代弁として使われたり、意見に対する論拠(「道理論拠」と呼ばれる)として用いられたりする。しかも、このような諺や名言を使いこなせることが、学力や教養を測定する材料ともなっている。こうした「事実」「意見」という二分法では掬い切れない言語事象はどう扱うのかは大きな問題であり、今後考えを深めていきたい。

 このように様々な発想が浮かぶのも、本書が編者・渡辺氏の思考過程に読者を巻き込み、いやおうなしに様々な問題を考えさせるような構成になっているからこそである。本書の副題に「学び方、教え方を考える」とあるように、〈事実と意見の区別〉というテーマについて、とことん「考える」ことを実演しているのが本書の最大の魅力である。本書をとおし、自分だったらこんな研究をしてみたいとかこれまでの研究方法を変えてみたらどうなるだろうとさまざまなアイディアが浮かび、楽しい読後感に満たされた次第である。


『事実と意見を区別する言語技術 その学び方、教え方を考える』
渡辺哲司編
ひつじ書房
2026年刊行
ISBN978-4-8234-1363-6
定価3000円+税

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