目からウロコの百人一首|第9回 13 筑波ねの峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる|はんざわかんいち

筑波ねの峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる

 ご当地ソングというのがありますが、この歌も「筑波ね」や「みなの川」という、今の茨城県でも代表的な山と川の名を取り込んで、その土地の雰囲気なりイメージなりを生かしています。ただし、この歌は、そのイメージどおりにだけではなく、詠み手なりの独自の工夫が凝らされています。

〔ウロコ1〕「落つる」

 川は普通、流れるのであって、落ちるものではありません。にもかかわらず、「落つる」と表現しているのは、なぜでしょうか。

 「筑波ね」は「筑波山」のことですが、この「ね」は「みね(峰)」の「ね」と同根ですから、「ね」と「みね」を繰り返すことによって、その山の高さあるいは険しさのイメージがアピールされます。実際に、そうであるかどうかはともかく。

 となると、その斜面はもちろん急ですから、そのような山の頂近くに水源のある川は、「流る」よりも「落つ」という言葉を使うほうがふさわしいのではないでしょうか。

 「落つる」に関して、もう1つ。現代日本語の慣用句に「恋に落ちる」というがあります。これは、英語の「fall in love」の翻訳らしいのですが、発想として、日本にも古くからあったとしても、不思議ではありません。この歌は、まさに恋に落ちることを歌ったものなのです。

〔ウロコ2〕「つもりて」

 第四句の「恋がつもる」という言い方は普通、しませんし、川の流れについて、「つもる」を使うこともありません。とすれば、この歌全体の文脈は川に即した表現になっていますから、この「恋ぞつもりて」だけが、文脈から唐突に外れてしまうことになります。

 じつは、注釈書の多くでは、この「つもる」という語を、とくに説明もせず、しかも「恋」にのみ関わるものとして済ませてしまっています。

 もし、この「つもる」を、川の様子と結び付けるとしたら、何があるでしょうか。

 川底の小石や砂が思い浮かびませんか。それらは、流れの勢いが強ければ強いほど、そして時間とともに、下流に行けば行くほど、積もり積もっていくものです。

 恋に関して「つもる」と表現し、かつ川の文脈に合わせるとしたら、このように、恋を、川底に堆積する石や砂に見立てることによってではないかと考えられます。

〔ウロコ3〕「淵となりぬる」

 「淵(ふち)」は「瀬(せ)」と対になる言葉で、「ふちせ」と1語になることもあります。おもには川の流れに関して、浅くて速いところが「瀬」、深くて淀み滞るところが「淵」です。そして、川底の小石や砂は、「瀬」のところでは流され、「淵」のところで積ることになります。

 この歌において、最初に「瀬」だったのが「淵」となるのは、「みなの川」でもあり、「恋」でもあります。「恋」もまた、「瀬」のように、最初はあっという間に、相手のことが好きになり、やがて「淵」のように、その思いが積もりに積もる、というわけです。

 この歌独自の工夫は、「つもる」と「淵」の2語を組み合わせることによって、恋のありようを、川のありように重ね合わせた点にあります。とはいえ、その川さらに山がなぜ「みなの川」であり「筑波ね」なのか。

 じつは、筑波山は男体山と女体山の2つから成り、そこに発する「みなの川」も「男女川」と漢字表記されるのでした…。

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