ことばのフィールドワーク 薩摩弁| 第3回 言葉の「正しさ」|黒木邦彦

初秋の市比野いちひの。だいぶ風化している石像はおそらく田のかんさあ(注1)

 「ようやく涼しくなりましたね」という気持ちから冒頭画像を選んだのですが、当日は普通に暑かったです。

 前回は、薩摩弁の定義と母語話者の言語意識とを紹介し、薩摩弁の規範性にも言及しました。言葉の規範性は、薩摩弁を語る場に留まらず、しばしば取り上げられる話題ですね。ある発音や表現が正しいかどうかを話し合った経験はどなたにもあるのではないでしょうか?

言葉の適格性

 このような話題に言う「正しさ」には2種類の意味があります。1つめの意味は ‘適格性’、もう1つの意味は ‘適切性’ です。まずは、前回挙げた薩摩狂句 (1) を例に取って、両者の違いを説明します。

(1) 「金満サウジ リーグ」を兼題とする薩摩狂句
()きゃ無かどん (ぜん)せか出すりゃ (だい)でん()
格は無いけど  金さえ出せば  誰でも来る
(“” の位置で音高を下げると、薩摩弁らしく聞こえ(る可能性があり)ます)

 次掲 (2a) は (1) の一部を抜き出したものです。(2a)、そして、これを少し変えた (2b) は、母語話者が実際に行なう発音ですが、(2c) はそうではありません。日常的な言葉で表現すれば、(2a–b) は「正しい薩摩弁(注2)」、(2c) は「正しくない薩摩弁」です。ここに言う「正しさ」は ‘適格性’ を意味しています。

(2)a.()きゃ(だい)でん()
 b.()(だい)()
 c.(かっ)(だい)()

 (2a–b) は、母語話者が使いうる薩摩弁、(2c) は、母語話者がまず使わない薩摩弁です。(2a–b) の方が (2c) より望ましい (あるいは、丁寧、美しい) という意味ではないことに注意してください。

言葉の適切性

 続いて、「正しさ」が ‘適切性’ を意味する場合を見ましょう。次掲 (3) は適格な薩摩弁ですが、「正しい薩摩弁」とは限りません。話し手が気を遣わずに話せる相手 (たとえば、同級生や年少者) に対してであれば、「正しい薩摩弁」なのですが、そうでなければ、「正しくない薩摩弁」です。ここに言う「正しさ」は ‘適切性’ を意味しています。

(3)a.こんどわわっこがばんじゃっど
 b.kon̚dowɐwɐkːoɡɐbɐn̚n͡zʲɐdːo
 c.kondo-wawakko-gaban(z)jar-do
 d.今度-はお前-のだ-ぞ
 e.‘今度はお前の番だぞ。’

(3) ‘今度はお前の番だぞ。’(注3)

 (3e) のような意味を、話し手が気を遣って話す相手 (たとえば、年長者や付き合いの浅い人) に伝えるなら、次掲 (4) のように言います (NAMEは相手の敬称)。共通日本語の敬語法とはいささか異なりますが、同様の表現は薩摩弁にもあります。

(4)a.こんどわ{おまんさー/NAME}のばんじゃらっど(注4)
 b.kon̚dowɐ{omɐnsɐː/NAME}nobɐn̚d͡zʲɐɾɐdːo
 c.kondo-wa{oman-saa/NAME}-noban(z)jar-ar-do
 d.今度-は{あんた-さま(注5)/NAME}-のであら-れる(注6)-ぞ
 e.‘今度は{貴方/NAME}の番であられるぞ。’

方言はくだけた言葉?

 筆者に限った経験なのかもしれませんが、薩摩弁などの方言(注7)にも敬語があると知って、驚く(注8)人をしばしば見ます。(3) と (4) との違いが示すとおり、どのような場においてどのような表現が適切であるかは薩摩弁母語話者も常に考えているのです。

 ごく普通のことですが、相手が年長者や付き合いの浅い人であれば、相手の母語にかかわらず、こちらの敬意が伝わるように話すべきでしょう。相手の母語がうまく話せないのであれば、共通語で。次のつぶやきが指摘するように、相手の母語を誤解して、不快な思いをさせてしまうという事例も少なくないようですし。

(注1) 「たのかんさ➚あ」と発音されるので、「さ」と「あ」とのあいだには音節境界があるのでしょう (言語学ガチ勢向け豆知識)。

(注2) 厳密に言えば、旧串木野(くしきの)市域北西部で話されている羽島(はいま)弁です。

(注3) 発話例 (.wavファイル) とその注釈 (.eafファイル、.TextGridファイル) とを収めたDropbox共有フォルダーのリンクを諸般の事情から変えました。
 筆者が方言資料公開に使っている親フォルダー “CROJADS” もついでに紹介しておきます。資料の利活用は自由ですが、研究、教育、文筆活動などに使う際はその旨を明記してください。

(注4) 尊敬語相当の要素 /-ar-/ を抜いて、前掲 (3a) のように「ばんじゃっど」と言っても、大丈夫です (この方が普通かも)。

(注5)(注6) 共通語感覚の意味 (‘貴方さま’ の ‘-さま’、‘番であられる’ の ‘-れる’) とは違うのですが、適訳がないので、このように訳しました。

(注7) 言語と見なすべき地理的変種も含みます。日本語の地理的変種を「~語」と呼ぶことは一般的ではないですが、薩摩弁は「薩摩語」と呼んでも良いでしょう。母語話者同士の会話は、大半の日本語母語話者には(正確には)理解できないからです。

(注8) 英語にも方言があると知って、驚くことと似ているのかもしれません。「方言は劣った言葉」「敬語を持つ言語は優れている」といった考えがこのような驚きにつながるのではないかと見ています (要調査)。

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