今、実践の記録から、熟議という話し方をふりかえってみる|第3回 対話や熟議のありかたをめぐる現場での逡巡|吉田省子

1.はじめに/熟議と問題解決

2011年3月11日を忘れることなどできない。この日はその年の秋に開催予定の対話イベント(後掲、事例14)で採用する手法をめぐる混線が集結した日で、幾つものやっかいな連絡(お詫びの電話やファックスや電子メール)を済ませ、一休みということで農学部の地下売店に行きお弁当を買い求めたちょうどその時、天井が落ちるのではないかと思う揺れがきた。

原子炉が電源喪失する恐怖を遠く離れた札幌でも感じ、進行中の政府によるクライシスコミュニケーションの不首尾とやがて必要になるだろうリスクコミュニケーションの見通しのなさにもたじろいだ。納得に基づく協働で行うリスクコミュニケーションという考え方は、宣伝の機会を失った。それでも、小林国之先生(後掲、事例15, 16の代表)との繋がりが深い福島大学の小山良太先生の紹介で、その年の秋11月23–24日に福島県生協連合会とJA伊達みらいを訪ねることにした。

経緯はこうだ。2010年8月に「食の安全・安心基盤学」の実習で「北大マルシェ」が開催された。これは北海道大学農学部・農学院の学生たちが中心になって教員のサポートを受けつつ全道生産者の思いを札幌圏の消費者に伝える場を農学部前広場に作り出す取り組みである[1,pp.82-83]。2日間にわたるこだわり農産物販売イベントでもあり、多くの関心を集めた。2011年7月、第2回のマルシェでは小山先生経由でJA伊達みらいのモモの出店が決まったと、担当教員である小林先生に教えてもらった。この時、大学発のマルシェで販売する場合、放射能が測定済・基準値以下ということだけでの対応で良いのだろうかと[1,p.28]、小林先生に問いかけた。協議の結果、マルシェに来た人たちを呼び込みで勧誘し、福島のモモの現状を聞いてもらって語り合う場を作ることになった。桃は完売し、「福島からの報告ーモモをめぐる語り合い」の様子は8月21日の朝日新聞、北海道新聞、日本農業新聞およびSTV(札幌テレビ放送)で紹介された[2, p.49](事例11)。私はこの縁をまだ分からぬ何かに繋げたくて福島を訪ねたのだ。

福島県生協連合会事務局長の佐藤一夫氏からは、コープふくしまとコープあいづが原発事故後の事態に如何に向き合ったかを教えていただき、一般組合員(客)と生産者の間で苦悩する生協の方々を知った。お聞かせていただいた知見をもとに12月14日、コープさっぽろの「食セミナー2011」の講師として「何を食べようか、北海道―選べる幸せ」と題して、コープふくしまの店の棚を紹介しながら問題提起した(事例12)[2, p.16]

19日には小林先生の大学院講義の中で「福島を、食べて支援できるのか?」と題し視察報告会を行った。この時、風評被害を起こさないということを強調する路線でのリスクコミュニケーションは分断/断絶を修復しないだろう、という点では教室内に異論はなかった。しかし、農村がどう立ち直っていくのかについては、壊された生産流通システムの作り直しは課題となろうが、対話や熟議の出番はないのではないかという意見も出た。また、米の全袋検査という技術的取り組みを可視化するシステムの重要性と共に、技術的取り組み自体が消費者側への押し付けにもなりかねず、やはり信頼の問題が横たわるとも確認しあった[3]

「放射能汚染から食と農の再生」[4]を目指すという論点に関し、システムの構築か熟議かをめぐる議論が教室内で起きたわけではない。しかし、この体験は私に、食と農の周辺の面倒な問題を考えるにはシステムと熟議の両輪が必要なのではないか、と思い至らせた。10月にGMどうみん議会という対話イベント(事例14)が終わり、今後どうしたものかと実地の現場から考えていたので、教室でのやりとりは2年半後のリスコミ職能教育プロジェクトの呼び水となった。

今回は下記の事例に依拠した。各報告書は()内のリスコミ職能教育プロジェクトのURLの「報告書」バナーから探すことができる(https://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/)。なお、JST/RISTEX(リステックスと読む)とは国立研究開発法人科学技術振興機構社会技術研究開発センター[5]のことである。

時期対話の名称と情報提供の「演題」/所要時間研究プロジェクト名/通称/代表(北大農)ファンド/期間/他
2011年 8月20日事例11)福島からの報告−モモをめぐる語り合い/ 90分アクターの協働による双方向的リスクコミュニケーションのモデル化研究/ RIRiC/ 飯澤理一郎JST /RISTEX /2009年10月-2012年9月
2011年12月14- 19日事例12)2011コープさっぽろ食セミナー/1時間50分同上/RIRiCは、はなしてガッテンプロジェクトとも言う。同上 
2011年 2月23日事例13)RIRiC第15回運営委員会・討論者の決め方/ 2時間同上同上
2011年10月22-23日事例14)GMどうみん議会/ 9時間15分+9時間同上同上
2015年 1月23日事例15)「農作物の育種って何」第4回「新しい育種技術NBTって何」リスコミ職能教育プロジェクト/小林国之//2時間15分文科省/2014年10月- 19年3月
2019年 2月19日事例16)市民対話「わたしたちの未来と農作物のゲノム編集」/7時間同上同上

2.熟議を適切に公正に動かす前提:2011年2月、ミニ・パブリックス的なものをめぐる攻防 

RIRiCは2010年に「振り向けば、未来」という語り合いの場を作ったが(連載第1回)、対話や熟議という言葉の使い分けは曖昧だった。「対話や熟議」という言い方をしてゆるやかに捉えていたので、ここでも厳密な区別はせずにおく[6, pp.7-9]。なお、対話や熟議のあり方について既に多くの書物が熟議の諸課題について論じているので[7][8]、ここでは立ち入らず、事例13の運営委員会というプロジェクト内部に注目し、熟議や対話を現場で適切に公正に動かす前提または目的がどのように語られたかを述べたい。

2009年春のRISTEXへの応募申請書の執筆段階から、代表者と相談の上、事例14の遺伝子組換え作物(以後略称でGMOと表記する)を題材にした対話イベントでは無作為抽出で北海道の人口動態を考慮した討論者を選ぶことになっていた[9, pp.24-27]。2010年3月から2011年1月までの準備期間に、「GMOを振り返る場」と3回の「GM熟議場in北大」を開催し、思考実験的な要素を含んだ討論課題を考えていた。しかし、2011年2月の運営委員会(事例13)で開催実行委員会を立ち上げようとしたとき[9, pp.17-18]、「GM どうみん議会報告書」作成委員会代表の飯澤理一郎氏から討論者の代表性について異論が出され、運営委員会は討論者をミニ・パブリックスの一般的なやり方である無作為抽出と人口動態への近似で選ぶことに慎重にならざるを得なくなった[9, pp.9-10]
「(皆さんは)無作為で選んだ中から人口動態と男女比や子どものいる世帯などを考慮して、ある種の北海道の縮図を作りたいのだろうが、縮図たり得ない。縮図として認めようというだけにしか過ぎない。課題に対する答えを出すために必要なのは、情報と熟慮と熟慮に基づいた討論を通して合意形成を試みてもらうことで、結果を北海道農政部に受け取ってもらうというならなおさら、討論をより円滑に行える普通の人を選び出す他の方法があるのではないか[9, pp.9-10]」、と。

ミニ・パブリックスは退けられた。私は無作為抽出を試してみたいという欲を持っていた。しかし、熟慮と討論を通して何を目指しているのか、熟議の場を設定するそもそもの目的は何かと問われたのだ。討論者の正当性/正統性の担保の仕方は他にもあるのではないかというプロジェクトの飯澤理一郎代表の意見を受け入れ、私たちは混乱に満ちた試みを始めた。時間の制約があったので、まず代案に則し3月20日を目処に作業し、実現不可能となった場合には「無作為―人口動態近似」案を再考する余地を残し、PTA会長を討論者推薦人とする案を採用した。道内の14総合振興局および教育委員会を頼りに各振興局から信頼できるPTA会長を推薦してもらい、その人たちに「GMOに関する知識がなくても話し合いができるような普通の人」を推薦してもらおうというのだ[9, pp.9-10]

手抜きなしに努力した。複数の振興局からは前向きな返事をもらったが、ある教育委員会には来年の話ならまだしも今は無理だと門前払いされるなど、そう簡単に協力は得られるはずもなかった。そんな中、3月11日の朝に緩やかに協力しあっている北海道農政部から電話があった。農政部は、どこかから問い合わせを受けたようで、板挟みになって困っている様子が言外に感じられた。急遽、代表者と事務局とで検討し運営委員たちの了解をもらい代案放棄やむなしとなり、大急ぎで各振興局や教育委員会にお詫びの連絡をし、午後2時過ぎに作業が終わった。

これは予定通りになり良かったという話ではない。人々に語ることを求める者が語られる空間をデザインする際に、モデルに当てはめようとすることに自省的であれということだ。間違いを未然に防ぐために実行委員会とは独立の監督委員会[9, pp.20-21][10]が設置され、当日に至るプロセスが監視された。実行委員会で議論した討論課題は監督委員会で精査され、「もしも今後北海道で遺伝子組換え作物が栽培されるようになる場合があるとして、」と作り直された[9, pp.22]。また、イベント当日に参加した監督委員たちは「速やかに進行を」などの介入をする権利を行使し、事態が紛糾した際の助言者の役割も果たし[9, pp.51-52]、傍聴者からのクレームにも対応した。

後日行われた反省会/研究会で報告されなかったが、私が聞いた参加者の言葉がある。休憩時間に言われたのだが要約すると、「(この会は)公平に行われていると思う。しかし、正直に話し合ってと言われても、結論は参加者が出すと言われても、主催者が望んでいる方向性があるのではないかと疑ってしまう」というのだ。それはないと即答したが、この返答がどのような効果を及ぼしたのかは追跡のしようがない。ただ、参加者たちは如何に思考実験であってもGMOについては譲れない一線があると、最後の全体討論で全員一致している[9, pp.52-53, pp.56-57]

後日談で言うなら、飯澤代表はミニ・パブリックスの良さを認めたことを付け加えておきたい。私たちの社会と当該テクノロジーだけが対話の場の枠組みになると、考えるスコープがテクノロジーに縛り付けられるとことを体感した。これは事例15や事例16の枠組みの設定に影響を与えたが、主催および参加の両者にとって首尾よく行われたのかと言えば、分からない。

3.熟議の場の枠組みと工夫

私たちは新興テクノロジーが食と農の周辺で起こしている問題に焦点を合わせたが、受け入れの促進や反対運動への貢献を試みたのではなく、様々な視点から問題を考える場を作ろうとしたのだ。事例14は遺伝子組換え技術を、事例16はゲノム編集技術を題材にした。参加者が情報提供を受けとり話し合う構図は両者で同じだが、語り合う場の枠組みの違いは無作為抽出による参加者の決定か否か以外にもあった。合意形成を求めて当該テクノロジーを対話の枠組みの中心に据えたか(事例14)否か(事例16)である。

少し解説じみているが、次のような背景がある。RIRiCは2つの市民参加型のリスクコミュニケーションモデルを提案した。1つは学習会付き熟議場[2,p,13]で、もう1つが参加型テクノロジーアセスメント[11]―市民を含む社会全体が参加して行う、技術の実用化に先立つ、技術が社会や自然環境に与える影響を予見・評価すること―という対話イベントを対話の3段階目に埋め込んだモデル[2,p.14]である。両者の大きな違いは対話や意見交換に合意形成を持ち込むか否かである。

後者については運営委員会でも議論となり、前提が達成されていて初めて成立するものと了解しあった。その前提とは、最後のイベントを行う際には、あちらこちらで学習会付き熟議場を含む小規模な対話イベントが展開されていて、社会の中でテーマについてある程度認知されている必要があるとされた。GMどうみん議会を実施できたのは、2004-5年以降の対話の試み(第2回連載/GM作物対話フォーラムプロジェクト)の積み重ねと、2006年11月から翌年2月にかけての北海道GMコンセンサス会議[12]の経験が一応は道民にあったからである。

しかし、ゲノム編集ではそうはいかない。2014年のリスコミ職能教育プロジェクト(小林国之代表)の開始前に、札幌消費者協会の人たちと遺伝子組換え・ゲノム編集技術に関する学習会を開催したことがあるが、関心喚起程度のものだった。なお、2014年当時、北海道は北海道GM条例[13]に基づき遺伝子組換え作物の現状についての説明会や意見交換会を行なっていたが、さらに新しい技術であるゲノム編集の道民に向けた説明会はまだなかった。

事例15は、札幌消費者協会の方達との協働作業だったが、1時間50分程度の学習会を学習会付き熟議場の枠組みでカバーしたもので、しかも4回シリーズで行ったものだ。1つの大きなテーマの中に複数の小テーマを入れ順次考えていき全体像をつかむ試みで、2014年11月から翌年1月までに2014年度シリーズ学習会「農作物の育種って何」を開催した。「遺伝学・育種の四方山話」「育種の長い歴史・お豆の話」「GM作物に対する様々な考え方を知る」「新しい育種技術NBTって何」と続けた[14, p.2]

1回の構成は2時間15分で、学習(講師の話を聴く)後に参加者同士の意見交換をして疑問点を出し合った上で講師と参加者で質疑応答を繰り返すというものだった。最後の回は遺伝子組換え作物の現状とゲノム編集を含む新しい育種技術がテーマだったので、話を聴いただけでは何を質問して良いかわからない状態であり、参加者同士がグループごとに分からないことを話し合って疑問点をまとめ上げる作業(グループ討論)は情報を咀嚼する上で効果的だった(事例15)[14, p.2]。個々の熟慮に語り合いが効果を及ぼしたと言える。

なお、2015年度シリーズ学習会の大テーマは「5年目の福島〜食と農の現場をつなぐ」で、小テーマは「農地と農作物はどうなったか」「海はどうなったか」「メディアは私たちにどう伝えたか」「5年目の福島を考える〜食と農の現場をつなぐ」だった[14, p.3]

両年度とも大テーマも小テーマも難しく参加者の知らないことだらけだったが、参加者は知らないことを考え続け、2016年の「平成27年度遺伝子組換え技術に関する情報交換会」では、積極的な姿勢で向き合うことにつながっていた(連載第2回、事例10)。

4.これも熟議、あれも熟議:ミニ・パブリックスではないかもしれないが

北大農学部を拠点に私たちがすすめたリスコミ職能教育プロジェクトは対話や熟議を作る活動の延長線上にあるが、第1節で述べたように、食と農の周辺の面倒な問題を考えるにはシステムと熟議の両輪が必要なのではないかという直感の役割も大きく、そのためにはカリキュラムが大事だとの小林の認識が大きく効いた。

プロジェクトの目的は、リスクコミュニケーション能力を身につけた人材を育成することで、そのための適正・妥当なカリキュラム(集中講義)を作り出すことを課題として始まった。ただし、職業としてのリスクコミュニケーターの養成ではなく、各自が将来就く職業の中でリスクコミュニケーションを実践できることを目指した。座学と実習半々の構成で、職能として身につけてほしい能力―「聴く耳を持つ媒介者として振る舞うことができて」「各自の専門性の文脈の中での媒介行為を行うことができて」「リスク問題を多様な視点から検討できる」―の涵養を試みた。実習のスタイルが確立するまで、学習会付き熟議場や参加型テクノロジーアセスメント埋め込み型モデルのリニューアルを試みたりした[14, p.1]

しかしゲノム編集作物を題材に後者のモデルを試すには、私たちの活動の流れの中では、十分な小規模対話が積み重なっているとは思われなかった。それゆえ私たちは遺伝子組換え作物を扱った時のように討論者を無作為で選んで議論し合意形成をする道筋を思い描けなかった。ゲノム編集作物について皆で話し合おうという枠組みだと、議論の行く末あるいは抱える問題は遺伝子組換え作物の場合と類似する構造が推測された。だがその一方、シリーズ学習会や別種の集まりなどを通じて遺伝子組換え作物に反対していた方達の中に、ゲノム編集技術は医療で役に立つという側面を無視するわけにはいかないという気分を持つ人々がいた[15, p.243]ので、慎重に進めた。

そこで、事例16では、課題に対する合意を形成する方向を選ばず[16][17]、語り合う空間を工夫し、その演出された物語の空間/アリーナで意見の多様性を共有することにした。その工夫とは、情報提供をどのような物語の枠の中で行うのかということで、ゲノム編集という技術だけに縛られない対話の枠組みを提示した(つもりだ)。農業経営学の東山寛先生(北大農)に先ず、このアリーナが「私たちが食と農に求めるものは何か」を考える場であるとのキックオフスピーチをしてもらった。食と農に求める多様性と題して、3つの視点―「食料の安定供給は鉄則」、「食の安全・安心の確保」、「農業・農村の「価値」の見直し」―を語られた[14,pp.16-20]

もう一押し工夫した。キックオフスピーチと質疑応答が終了した後にランチミーティング(お弁当を食べながら講師3人をゆるく囲みながらおしゃべりをするだけ)を設定したことだ。食と農に求める多様性という文脈を維持しつつ、午後の部の情報共有「農作物のゲノム編集技術と規制」に進むことができた。講師はGMどうみん議会でも協力いただいた大澤良先生(当時筑波大学)と立川雅司先生(名古屋大学)のお二人だった[14,pp.21-26]

最後の100分が参加者による語り合いだった。4つのグループに分かれ、自分が考える暮らしのあり方にゲノム編集技術による農作物はつながってくるかこないかという問いに向き合ってもらった。「長所・利点や短所・不利な点」と「私の暮らし・あなたの暮らしにつながる・つながらない?」の2項目に分けて、グループ内で語られたことを参加者1名とグループファシリテーターにそれぞれ発表してもらった。それらの中から幾つか抜き出して紹介したい[13,pp.27-30]

  • ゲノム編集で今後何が大事になってくるかと言えば、安心して任せられる作り手というものを育てること、作り手への信頼ができるのかが大事になってくる。
  • ゲノム編集農作物には色々な人が関わっている。人々の溝をどうやって埋めることができるのか、歩み寄って話し合えるかに話(語り合いのこと)の中心があった。そこがつながれば、判断基準が持てるようになり、専門家と対話してわかりあえるようになり、地産地消の農家さん(ゲノム編集作物に非好意的)と相互理解しなければとなる。
  • 3人の先生のお話を通して、大学でも少しもやもやしているんだと分かった。
  • 食は人間の生きる基盤。食べるための技術か農家のための技術かという問題。消費者と農家の分断があまりにも深い。

さて、お弁当はあるが謝金も交通費も用意されない、しかも7時間の長丁場。公募で集まった参加者は、札幌市(14名)、北海道勇払郡安平町(1名)、奈良県(1名)で、男女半々で、20代が3人参加していたが、ミニ・パブリックスたり得ていないのは一目瞭然だ。しかも、2項目で語り合いを整理するだけだったのだから、対話の目的は何かと問われそうだ。主催側にとっては、考え方の多様性を可視化したいということだが、参加する側にとってはどうであろうか。私たちはミニ・パブリックスを支持する。そして同時にそれ以外の熟議の場も試みたいとも思う。

知識が足りていないテーマでの話し合いだったが(事例11、14、15、16)ゲノム編集は遺伝子組み換え作物での対話経験が主催者と参加者双方にとっての参照軸になった。しかし、第1節で述べたように、福島からはるか離れた北海道でも放射能をめぐる問題は、当然ながら知らない・分からないということが際立った。札幌の私たちは、北海道の女性農業者の人たちは、その知らないという状態をどう受け止め、そして語ったか。次回はモモをめぐる語り合いの続編を紹介したい。

参考文献と注

(URLの最終閲覧日はいずれも2022年12月15日)

[1] 小林は「北大マルシェがただのイベント企画の集まりではいけない」と考え、私は「風評被害というが、いま私たちは、以前と比べ放射線量は高いが安全圏内だとされる農畜産物を前にし、小さなリスクをどのように受け止めるのかという問題に直面している」という認識を持っていた。『ニューカントリー』2011年6月号(no.687)北海道協同組合通信社、p.28、pp82-83. 

[2] http://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/wp-content/uploads/2015/07/RIRiC終了報告書.doc RIRiC
「はなしてガッテンプロジェクト」報告書

[3] 地域拠点型農学エクステンションセンター札幌サテライト(北大農)札幌サテライトセッション講義 2011年12月19日(月)

[4]  小山良太編 著・小松知未・石井秀樹(2012)『放射能汚染から食と農の再生を』家の光協会

[5] https://www.jst.go.jp/ristex/aboutus/history/   RISTEXの沿革が分かる。

[6] 田村哲樹 責任編集(2010)『政治の発見5 語る』風行社

[7] 篠原一 編 (2012)『討議デモクラシーの挑戦—ミニ・パブリックスが拓く新しい政治』岩波書店

[8] 田村哲樹(2017)『熟議民主主義の困難—その乗り越え方の政治理論的考察』ナカニシヤ出版

[9] GMどうみん議会報告書 http://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/wp-content/uploads/2015/03/GMどうみん議会報告書印刷版.pdf

[10] GMどうみん議会当日も参加した委員は5名(全7名)。木島祐治先生(農学研究院)、鈴木一人先生(公共政策大学院/当時)、田中いずみ氏(コープさっぽろ組合員活動部理事/当時)、中村由美子氏(女性農業者ネットワークきたひとネット事務局長)、森久美子氏(作家、農林水産省食料・農業・農村政策審議会委員/当時)

[11] 平川秀幸 (2010)『科学は誰のものかー社会の側から問い直す』NHK出版生活人新書、pp.56-57 参加型テクノロジーアセスメント。

[12] https://www.pref.hokkaido.lg.jp/fs/5/4/9/8/0/8/5/_/GM-con_hyoukahoukokusyo.pdf 北海道「遺伝子組み換え作物コンセンサス会議」評価報告書

[13] https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/shs/shokuan/gm-jourei.html 北海道遺伝子組換え作物の栽培等による交雑等の防止に関する条例

[14] http://lab.agr.hokudai.ac.jp/voedtonfrc/wp-content/uploads/2019/07/プロジェクト報告書.pdf  北海道大学リスコミ職能教育プロジェクト報告書 

[15] 吉田省子(2020)「三上直之・立川雅司『「ゲノム編集作物」を話し合う』」『科学技術社会論研究』第18号,pp.241-245.

[16] GM対話フォーラムで小規模な対話を数多く行った経験から、対話/熟議は合意を目指さなくても良いと考えていた。故に、2009年10月スタートのRIRiCはなしてガッテンプロジェクトでは2タイプ―合意形成を目指す/目指さなくても良い―のモデルを求めた。私は2009年〜12年の頃には[5]や[6]の文献は名前だけは知っているという程度の恥ずかしい状態だったが、もし当時それらを深く読んでいればRIRiCを突き進む蛮勇は失せていたかもしれない。文献[16]で「熟議の目的が必ずしも合意形成に限られないことについても、共通認識になりつつある」という文言を目にし、知っていなかったことを恥じると同時に知らぬが仏と思ったりもした。

[17] 田村哲樹(2021)「熟議民主主義におけるファシリテーション」井上義和・牧野智和編著『ファシリテーションとは何か〜コミュニケーション幻想を超えて』ナカニシヤ出版、pp.123-144.

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