外来語やオノマトペは外国人にとっては「やさしい日本語」なのであろうか。佐藤和之 弘前大学社会言語学研究室 『〈増補版〉 「やさしい日本語」作成のための ガイドライン』2013年の中で、
(3)外来語を使用するときは気をつけてください
(4)擬態語は、日本語話者以外には伝わりにくいので使用を避けてください
のように、外来語や擬態語は使わないようにいわれている。
1. 「やさしい日本語」で外来語を言い換えることができるのか。
現在の日本語の中での外来語の割合については、以下のように書かれている。
国立国語研究所は、1956年の雑誌の語彙について大規模調査を行っている。そのうち、語種ごとの異なり語数を見ると、和語が36.7%、漢語が47.5%、外来語が9.8%、混種語が6.0%で、語の多彩さの点では、漢語が和語を圧倒している。一方、延べ語数を見ると、和語が53.9%、漢語が41.3%、外来語が2.9%、混種語が1.9%で、繰り返し使われる語には和語が多い。ところが、それから約40年後の1994年の雑誌語彙を調べた同研究所の報告(ウェブ公開版)では、和語の使用は退潮している。異なり語数では和語が25.7%、漢語が34.2%、外来語が33.8%、混種語が6.4%で、外来語が著しく増加している。一方、延べ語数では和語が35.7%、漢語が49.9%、外来語が12.3%、混種語が2.1%で、繰り返し使われるという点では、なお漢語・和語が外来語に勝っている。
(cf. Wikipedia 「語種」)
外来語の割合が増加しているのが分かる。この状況に対して、文化庁は、2000年「国語に関する世論調査」で全国の16歳以上の男女3,000人を対象に、日常生活の中で、 外来語や外国語を交えて話したり書いたりしていることについて、どう思うかを尋ねた。結果は、「どちらかと言うと好ましいと感じる」が13.3%、「どちらかと言うと好ましくないと感じる」が35.5%、「別に何も感じない」が48.8%、「分からない」が2.4%であった。年齢層別に見ると,40代以下では「別に何も感じない」という人が5割を超えているが,高年層で「どちらかと言うと好ましくないと感じる」の割合が高くなることが分かった。外来語が世代毎に定着しつつあるのが分かる。
1.1 多くの外来語が基本語化して一般語彙として使われている。
日本社会の国際化に対応すべき言語政策について、私は次のように書いた、
国立国語研究所では2003年に「行政情報をわかりやすく伝える言葉遣いの工夫に関する意識調査」や「外来語に関する意識調査」を行った結果、外来語やアルファベット略語や役所言葉等が理解を困難にしているということが分かり、外来語の言い換え提案を行っている。(p.220)
(cf. 永田高志 「国際化の言語政策」『言語と文化の展望』英宝社、2007年)
高齢の住民から「役所で使われている外来語の意味がよくわからない」という不満に答えるように、国が外来語の言い換えを提案したものである。役所も自身のマニュアルを作って、言い換えを行おうとした。杉並区区長室総務課も『外来語・役所ことば 言い換え帳』(ぎょうせい、2005年)で外来語の書き換えについて次のような指針を示している。
1. 言い換えないほうが分かりやすいものもあります
2. 言い換え語やことばの意味との併記が望ましいことばもあります
3. そのまま使うことで、人目を引きつけるなど、効果的な場合もあります
4. 世代による理解度の違いがあります
5. 外来語が持つ本来の意味と言い換え例が違うことがあります
本編では,言い換えが望ましいことばについては,可能な範囲で、その言い換え例を示しています。また、言い換えが不要な場合や、説明を付けることが望ましい場合については、それぞれの言い換え例に、その旨を示しています。(p.4~p.6)
言い換え例を見ていると「アーカイブ」を「保存記録 記録保存館」のようにほとんどが漢語に言い換えされている。「言い換え困難」とされる例に「アドレス」があり、その理由として「コンピュータ用語は、ほとんどが専門用語であり、言い換えが困難です」(p.13) とあり、「言い換えせず、説明を付けることが原則」とされている。「アナリスト」を「分析専門家」と言い換えているが、参考の欄で「エキスパート」、「スペシャリスト」、「オーソリティ」等が「専門家」の類義語として使われており、それぞれ少しずつ意味が違うことが示されている。3の「そのまま使うことで、人目を引きつけるなど、効果的な場合もあります」というように一般の人には理解できない外来語を使うことによって専門家意識を満足させるという心理的な機能もあり、なかなか言い換えが難しいと思われる。また、4の世代によっての違いもある。我々の世代では「パンツ」というと下着を指すが、若い世代では我々のいう「ズボン」を指し、どちらに統一して言い換えを行ってよいか迷う外来語もある。「チコちゃんに叱られる」というテレビ番組を見ていると、日本の料理界では、「鮭」は天然の寄生虫アニサキスが含まれている恐れがあるので加熱して食べる天然の鮭、「サーモン」は生でも食べられる養殖の鮭と使い分けしているらしい。カタカナ外来語を本来語に戻すことができない例である。言い換え政策から20年近く経った現在の時点で言い換え例を見ていると、ほとんど定着せず、そのまま外来語が一般化している。その一つの理由として、外来語が基本語化し一般語彙となっているという問題があるのだろう。「エンジン」「スキー」「ホテル」「テレビ」「ビル」などの具体名詞のほかに、「タイプ」「システム」「バランス」「ケース」「トラブル」のような抽象的な意味を表す名詞があげられる。「テレビ」等は他に言い換える語がなく、「旅館」「宿」のように類義語があっても、「ホテル」は違った概念で捉えられている。『明鏡国語辞典』では、「様式の設備を備えた宿泊施設。西洋風の旅館」と語釈がある。「トラブル」を例に基本語化の研究がなされ、次のような結論を述べている。
語彙調査の結果などによれば, 20世紀の後半には,外来語の増加に伴って, 少なからぬ外来語が基本語彙の中に進出したと推測される。そうした外来語の多くは, 生活の近代化に伴って借用され, 多用されるようになった具体名詞であるが, 一方では, 抽象的な意味を表す外来語の中にも, 雑誌や新聞などで数多く用いられるようになり, 基本語彙の仲間入り(基本語化)をしたとみてよいものがある。
(cf. 金愛蘭「外来語「トラブル」の基本語化 : 20世紀後半の新聞記事における」『日本語の研究』2巻2号、2006年)
「やさしい日本語」では、外来語を避けて和語を使うように推奨されているが、外来語も一般語彙として日本語の中に浸透しており、和語に置き換えが難しく、また置き換えると意味が異なってしまうこともある。
1.2 外来語は本来の外国語から意味が変化して使われていることも多い。
また、外来語は外国語からの借用語であるが、本来の外国語から意味が変化して使われていることも多く、外国語の母語話者が日本語の外来語も同じ意味で使われていると誤解して、使い方を間違うことも多い。例えば、外来語「サービス」は、『明鏡国語辞典』によると「①人のために気を遣って尽くすこと。②商店などで、客に気を配って尽くすこと。また、客が満足するように値引きをしたり景品をつけたりすること。③国・地方公共団体・民間団体などが一般の人々のために提供すること。また、その事業。④サーブ。」とあり、②の意味で使われることが多い。一方、英語 ‘service’ は『ジーニアス英和辞典』によると、「①公共事業、公益業務;設備;(バスなどの)便 ②官公庁業務;(個々の)事業 ③勤務 ④接客、サービス、もてなし方 ⑤点検、修理、アフターサービス ⑥兵役、軍務 ⑦集会礼拝 ⑧貢献、奉仕、功労 ⑨サーブ ⑩(食器などの)ひとそろい ⑪service area ⑫用役 ⑬(礼状などの)執行 ⑭ワイヤー ⑮元利返済額 ⑯種付け」と書かれており、外来語「サービス」は④の意味に近いが、‘service’ には「値引きをしたり景品をつけたりすること」の意味は含まれていない。英語圏の日本語研究者が、日本語を学ぶ外国人のために英語で著わした日本語の外来語辞書も出版された。Prem Motwani 著『日常外来語用法辞典 A Dictionary of Loanwords Usage KATAKANA-ENGLISH』(丸善、1991年)である。「サービス」の項目では、「Sābisu サービス Service (ⅰ) Service (to customers) ~がいい service is good ~精神 [seishin] sense (spirit) of service (ⅱ) ~する free bee; complimentary gift (ⅲ) ~する give discount」のように、ローマ字での発音、英語での意味記述、日本語での用例と英語での解釈の形式で書かれていて、外来語の「サービス」は『明鏡国語辞典』の「①人のために気を遣って尽くすこと。②商店などで、客に気を配って尽くすこと。また、客が満足するように値引きをしたり景品をつけたりすること。」が記載されている。英語からの借用語であるので英語母語話者には理解しやすいと思うのは間違いである。
語の解釈で大失敗をした個人的経験がある。日本に来た初対面のドイツ人と駅で待ち合わせをしたことがあった。よく日本人は改札口で待ち合わせをしているのを見るが、日本語では「駅の出口で待ち合わせをしましょう」と「出口」ということがある。「出口」は英語では ‘exit’ というので、‘exit’ と言ってしまった。改札口で1時間近く待っていたが、その人は現れず、結局会えずじまいであった。後に電話で連絡したら、その人は駅から道に出る‘exit’ でずっと私を待っていたそうである。「改札口」は ‘ticket gate’ という語が当てられているが、英語では ‘exit’ は建物の外へ出る場所しかささない。外国語や外来語への安易な言い換えは誤解を招くことがある。
1.3 「やさしい日本語」で使われている外来語
具体例を示して、公文書の「やさしい日本語」の中で外来語がどう使われているか見てみよう。
1.3.1. 出入国在留管理庁・文化庁別冊、『生活・仕事ガイドブック』の『やさしい日本語書き換え例』2020年
そもそも「ガイドブック」という外来語をそのまま使っているが、全書き換え例134語ある内で7語に外来語が使われている。具体的に見ていこう。
オーバーステイ:在留期限(No.47)を過ぎても日本にいること。
ケアマネジャー:介護(No.10)の相談を受けたり、介護のしかたを考える専門の人
在留カード:3か月より長く日本に住む外国人が入管からもらうカード。
ハザードマップ:災害が起きたときに、危ない場所や逃げる場所が書いてある地図。
ハローワーク:仕事を紹介する国の役所。
ファミリー・サポート・センター:用事があるときに、子どもの世話をする人を紹介するところ。
放課後児童クラブ(学童保育):親(お父さん・お母さん)が働いているとき、小学生の子どもの世話をしてもらうことができるところ。
薬局・ドラッグストア:薬を売っている店。
「オーバーステイ」という用語は日本語版の『生活・仕事ガイドブック』には使われておらず、「不法滞在」が使われている。公的には使わないが一般的には使うので説明を付けたということであろうか。
「ケアマネジャー」は杉並区区長室総務課『外来語・役所ことば 言い換え帳』(ぎょうせい、2005年)では、「介護支援専門員」と言い換えている。「介護保険法」では資格試験のある正式名称になっているが、Wikipediaには、「一般にはケアマネジャー(care manager)とも呼称され」とあるように、私も母親の件でいつも「ケアマネジャー」と連絡を取っているが、「介護支援専門員」という専門用語は知らなかった。
出入国管理局でも「在留許可書」とか「在留証明書」とは言わないで公式的に「在留カード」を使っているのに初めて気がついた。「カード」はそのまま書き換えずに使っている。国立国語研究所が2006年に提示した『「外来語」言い換え提案─分かりにくい外来語を分かりやすくするための言葉遣い-』では、「ドナーカード」は「臓器提供意思表示カード」と「カード」はそのまま使われている。『明鏡国語辞典』によると、「カード」とは、「①一定の用途のもとに、四角く切りそろえた小型の厚紙や札」とある。「学生証」は「学生カード」とは言わないが、ICカードの「キャッシュカード」は「キャッシュ証」とは言わない。最近、一般語彙化して、言い換えができなくなったものであろうか。
「入管」という用語を使っているが、同庁が出した、出入国在留管理庁・文化庁『在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン』2020年では、「略語は使わない」(p.9)と示しているが、「入管」は「出入国在留管理庁」の略語ではないか。最初に(p.14)、「入管(出入国在留管理局)」と注記をして一貫して「入管」を使っている。
同じ国立国語研究所の提案例では、「ハザードマップ」は、「災害予測地図 防災地図」と言い換えるように提案されているが、2020年のこのガイドブックでは、「ハザードマップ」という用語は定着しており、言い換えでなく,説明を加えるというように方針が変ったものであろう。
「ハローワーク」は「公共職業安定所」の通称であり、1990年に厚生労働省が公募して決めた用語であり、和製英語である。
「ファミリー・サポート・センター」は厚生労働省の正式書類には「子育て援助活動支援事業(ファミリー・サポート・センター事業)」のように併用をしている。「ファミサポ」のような省略語も使われていて、外来語の方が定着しているように見える。
厚生労働省では学童保育のことを法律上の名称は「放課後児童健全育成事業」であるが、「放課後児童クラブ」と呼んでいる。我々の世代では、教科外の生徒の自主的な活動を「クラブ活動」と呼んでいたが、この「クラブ」と同じような意味で使っている。また、常用漢字表では参考としては認めているが、「父・母」に「お父(とう)さん・お母(かあ)さん」という当て字や熟字訓を「やさしい日本語」で付けているのも気になった。
インターネットで調べると、「薬局」は基本的には医者から処方された薬を調剤するための場所で、それに対して、「ドラッグストア」は医者から処方された薬を調剤できる店舗と、できない店舗に分かれる。できる店舗の場合は、日用品や一般医薬品まで売っている場合もあるらしい。そういえば、アメリカでは ‘pharmacy’ と ‘drugstore’ で使い分けている。
全て外来語でありながら、公的に承認された用語であり、和語や漢語に読み換えることが不可能である。変な用語であるが、「公認外来語」とでも呼ぶべきカタカナ語はどれぐらいあるのであろうか。
1.3.2. 出入国在留管理庁・文化庁『在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン』2020年
国立国語研究所が2006年に提示した『「外来語」言い換え提案』では、そもそもこの文書名の「ガイドライン」という用語自身も「指針」に言い換えるように提案されていた。以下のように、この提案を参照するように述べているが、自分自身で矛盾を示している。
独立行政法人国立国語研究所が作成した『「外来語」言い換え提案』を参考にすると、よりわかりやすくなります。(p.8)
14年の間に「ガイドライン」が一般語化し、また、他にも一般語化した外来語が多数あることが推定される。15年たった2021年現在、『「外来語」言い換え提案』を見ていると、多くの外来語がそのまま使われ続けているのに気がつく。言語変化の流れの中で自然に広まりだした外来語彙を人為的に抑制するのが不可能であることに気がつかされる。
『在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン』の「ステップ1:文書を日本人 (この章では、日本語ネイティブ(日本語母語話者)を表します。) にわかりやすい文章にします。」の中で、
外来語に気をつける
外来語(カタカナ語)は、できる限り使わない
外来語は、「バス」、「ガス」、「テレビ」など、外来語以外に適切な日本語がない場合のみ使用します。
外来語には、原語と意味や発音の異なるものが多いため、使うときは注意が必要です。
例 書き換え例
ツール → 道具
プレゼンテーション → 発表
メンタルヘルス → 心の健康
と例題で書き換えるように指示している。『明鏡国語辞典』では、「ツール」は「①道具。工具。②コンピューターで、特定の仕事を処理し、プログラムや他のソフトウエアの補助を行うソフトウエア」とあり、現在では「ツール」というと一般的には②の意味で使われており、「コンピューターの道具」と言い換えれば誰も分からないだろう。また、「プレゼンテーション」も『広辞苑』には、「会議などで、計画・企画・意見などを提示・発表すること。プレゼン」とあり、省略語「プレゼン」が使われているように、単なる「発表」ではなく、特定の意味に移行している。「メンタルヘルス」については、Wikipedia には、「メンタルヘルス(英: mental health)とは、精神面における健康のことである。精神的健康、心の健康、精神保健、精神衛生などと称され」とあり、厚生労働省のHPでは、「心の健康」という用語は使っているが、「知ることから始めようみんなのメンタルヘルス」というHPに飛ぶように指定している(cf. 心の健康 |厚生労働省 (mhlw.go.jp))。既に外来語として特殊な意味を持って一般化している用語を翻訳して押しつけるのは不自然であろう。
1.3 「やさしい日本語」で外来語を使うべきか使わざるべきかの基準を設けることは困難だ
「やさしい日本語」で意思を伝える場合には、外来語は本来の外国語と意味が違っていることが多いので使用を避けようという考えもできるが、ある外来語は基本語化していて使わないでは日常生活が営めない状況になっている。また、ある外来語は漢語なり和語に置き換えようとしても置き換える語が存在しない場合もある。外来語は使うなとは言えないし、そうかと言って積極的に使えとも言えない。必要な場合には使い方を学習して使うべきであろう。人によって、また、分野によって、特に専門用語としての外来語については、必要な場合の基準を設けることは困難だと思う。
2. オノマトペは外国語に翻訳しにくい。
2.1 音象徴とオノマトペ
遠藤織江・三枝令子・神村初美著『利用者の思いにこたえる 介護のことばづかい』(大修館、2019年)には、次のような記述がある。「動作を促すときにはオノマトペを活用しましょう」(p.42)、「痛みのオノマトペで介護のコミュニケーションの質が高まります」(p.50)と示している。また、「内輪でしか通じないオノマトペに注意!」「外国人にはオノマトペは通じないものと考えましょう」(p.56)とあり、「やさしい日本語」では使うべきではないのだろうか。日本人に対しては「意思が伝わりやすいのでオノマトペを使いましょう」、反対に外国人に対しては「意思が伝わらないので使わないようにしましょう」のようにオノマトペに関して、介護の場で相反する意見が述べられている。
本来、オノマトペという言葉はフランス語の‘onomatopée’ から来ているので、外国語にもオノマトペは存在する。では、なぜ外国人に対しては日本語のオノマトペは使ってはいけないのだろうか。特定の音や音連続に特定の意味が結びつくときがあり、それを言語学の用語で音象徴 (sound symbolism)と呼んでいる。アメリカの構造言語学を主導し、言語はその話者の世界観の形成に関与するとする言語的相対論、「サピア=ウォーフの仮説」と呼ばれるようになった学説を提唱したアメリカの人類学者、言語学者 Edward Sapir (エドワード・サピア1884年-1939年)も音象徴の研究で知られている。多くの言語で、叫び声はオとかアのような高母音・広母音が使われていて、イが使われる言語はほとんどないと思われる。音声学的に見て口を開いて発音する高母音・広母音の方が大きな声が出るためであろう。母親を表わす語はママ、マーマ、マンマのように [m] 音で始まる語が多いと言われている。[m] 音は赤子が最初に発する音であることから、母親の意味がつけられたと言われている。しかし、その音と意味の結びつきが言語によって異なるので通じないことがあるのが問題なのである。
2.2. オノマトペは母語話者にしか習得できない。
私の上智大学時代の師にベルギー人で方言地理学者のWillem A. Grootaers 神父 (W. A. グロータース、1911年-1999年)がいた。5年ほどお教えいただいたが、日本語がおかしいなと思ったことが一度ぐらいしかなかった。グロータース先生に「日本語がうまいですね」と言ったら、先生は「私は君より長く日本語を話している」とおっしゃった。第二次世界大戦中は中国にカトリックの神父として派遣され、共産化後すぐに日本に来られたので、私より長く日本語を使っておられた。しかし、民間語源といって、方言話者の解釈によって新しい語形が生まれることがある。例えば、聞き慣れない外来語、「シャベル」(shovel)が導入されたとき、シャベルの先が広くなっているので「シャビロ」とか、シャベルの形が舌(ベロ)のようなので「シャベロ」のように言い換えられることがある。オノマトペによって言語変化が起ることがあり、その時には我々日本人学生に聞いておられた。母語話者でないとオノマトペのような音感覚は育たないのであろう。
また、大学院時代韓国からの留学生と一緒に授業を受けた折、韓国語でもオノマトペが使われるのを知ったが、同じ語形式でも受け取る音感覚が日本語とは異なるのを知った。日本語では「ハタハタ」と「バタバタ」と「パタパタ」のように清音と濁音と半濁音で音感覚が異なる。韓国語では平音・激音・濃音という対立があり音感覚が異なる。お互いに母語として習得した音感覚なので、知識では違いがわかっても、感覚としては理解し合えなかった。また、近畿大学で教えた韓国からの留学生で日本人と結婚して韓国語を教えながらもう日本に30年以上住んでいる教え子から、次のようなメールをもらった。
考えてみると、昨年皮膚科で医者が私の足指の症状を見て「じゅくじゅく…」と言われたとき、くすっと笑いそうでした。初めて聞いたので意味も分かりませんでしたが、 「じゅくじゅく」という語感が面白く、楽しいものを指すような気がして、医者が言い間違ったのではないかと一瞬思ったからです。あ!日本語ムズカシイです
清音の「しゅくしゅく(粛々)」だったら中国語でも使われているが、韓国人はどのような感覚で捉えるのであろうか。また、近畿大学院では多くの中国人留学生を指導した。一人の留学生は日本語の小説で使われているオノマトペを中国語でどのように翻訳しているかを調査して修士論文を書いた。中国語にも象声詞というオノマトペは存在するが、擬音語のみであって擬態語はほとんど存在しなかった。また、有気音と無気音という音韻対立があり、日本語の清音と濁音の音感覚とは異なることが想像される。
私は1989年から1990年にわたってブラジル、パラナ州アサイで日系人の言語調査を行った。アサイというのは四大日系移民地の一つであり、一世から三世まで住んでおり、戦前日系移民地の日本語を示していると考えてよい。調査項目の一つにオノマトペに関する項目を聞いた。「ピューピューは何の音に聞こえるでしょうか」と質問した。日本語ではピューピューは風の吹いている様子を表現しているが、ポルトガル語ではひよこ、もしくは小鳥の鳴き声として捉えられており、歌にもそのように歌われているそうである。下の表を見れば、世代が下がる毎にポルトガル語の影響を受けひよこの擬音語と捉えられていく様子が見えている。しかし、一世でもポルトガル語の影響を受けひよこと答えるものも多数いる。準二世というのは日本で生まれたが幼少期にブラジルに来た世代を指す言葉で、一世の親から自分たち一世とは違って考え方も二世の様だということで、準二世と呼ばれている。
ひよこ | ひよこ/風 | 風 | 計 | |
一世 | 9(39.1) | 0(0.0) | 14(60.9) | 23 |
準二世 | 6(37.5) | 3(18.3) | 7(43.8) | 16 |
二世 | 19(59.4) | 2(6.3) | 11(34.4) | 32 |
三世 | 4(80.0) | 0(0.0) | 1(20.0) | 5 |
計 | 38(50.0) | 5(6.6) | 33(43.4) | 76 |
このように同じ家に住んでいても擬音語の捉え方が変っていくのである。(cf. 永田高志「ブラジル日系人の日本語の特徴――戦前移民地アサイを例に――」近畿大学文芸学部紀要 『文学・芸術・文化』2-3,pp.33-58 1991年)
アメリカ人の友人から、英語では「食べる野菜に対してはピーマンという名前をを使わない」と言われたことがある。英語では、「ピー」という音は ‘pee [pi:]’ (おしっこ)を連想させると言うことで、‘green pepper’ とか ‘sweet pepper’ とか言っている。「ピーマン」はフランス語の ‘piment’ に由来しているが、「ピマン」と短音であり、ポルトガル語でも ‘pimenta’ (ピメンタ)と短音である。
2.3 「やさしい日本語」では、オノマトペは避けるべきだ。
ボランティアで難民や家族帯同の外国人に日本語を教えていた時、外国人が理解しやすいように心情を表に表わして伝達したいために、ジェスチャーと同時に無意識にオノマトペを使う日本語教師がいた。例えば、興奮したということを表わすために、胸に手を当てドキドキしたと言っているのを見た。ドキドキは擬音語のように思われるが、実際に心臓はドキドキという音を立てていない。擬音語と擬態語の境界をたてることは難しい。冒頭で示した佐藤氏の「やさしい日本語」では、擬態語の使用を避けるように言われているが、擬音語も言語によって異なり、オノマトペ全般に注意が必要である。おそらく、言語感覚の問題で、母語話者でないと習得は困難だと思われる。生き生きとした日本語にはオノマトペは必要だが、N4程度の日本語能力しか前提にしていない「やさしい日本語」では使用は避けるべきであろう。