これからの英語教育の話を続けよう|第1回 「無資格指導」はやめよう:「ネイティブ」、イコール語学教師ではない。|藤原康弘

 

無資格ALTに300億以上の税金

 

「無資格」も驚きですが、「支出」も驚きです。このような「無資格」のALTのために、わたしたちはすくなくとも年間200~300億円を出費しています。さらに小学校英語の教科化をうけて、これからもっと増額される予定です。インターネットで、「ALT」、「増員」、「英語教育」などで検索してみてください。多くの地方自治体のALT増員計画が出てきます。

“JET”(The Japan Exchange and Teaching Programm:語学指導等を行う外国青年招致事業)、というプログラムをお聞きになられたことはあるでしょうか。JETは「主に海外の青年を招致し、地方自治体、教育委員会及び全国の小・中学校や高等学校で、国際交流の業務と外国語教育に携わることにより、地域レベルでの草の根の国際化を推進することを目的」(JETプログラムHP)とする事業です。簡単にいえば海外の若者に日本に来てもらおう、ついでに外国語(実質、英語)を教えてもらおうということです。1987年より開始され、今まで67か国、6万6000人以上(7割以上が北米を中心とする英語圏)が参加してきました。平成29年度のALTの参加者数は4,712人、一人当たり年間約600万円の財政措置がなされていますので、計算しますと約300億です。

上に「すくなくとも年間200~300億円」と書きました。ALTの雇用はJET以外に派遣業者からの手配や自治体の直接雇用の場合があります。参考までにJETのALTは全体の2~3割程です(平成28年度「英語教育実施状況調査」)。他の雇用形態を含めると、さらに莫大な支出になります。

もちろんJETの主旨は「国際交流」、とくに外国の方(とりわけ欧米から)があまりいない地域に「異国」の風を、なのでしょう。その「国際交流」をとおした知日派外国人の育成という意図も垣間見えます。しかし冷静に考えてみてください。それだけのお金と労力をつかって(最近はALTの世話役の「JETコーディネーター」までいるそうです)、わざわざ無資格の外国の方を学校に呼ぶ必要があるでしょうか。ALTの歴史は30年程ありますが、「ALTの導入により英語力が格段に向上した」、という研究報告は私の知る限りありません。文化交流であれば、地域にいらっしゃれば、ボランティアのゲスト・スピーカーとして来てもらう、それぐらいで十分ではないでしょうか。

JETプログラム開始より10年ほどフィールドワーク調査をしたDavid McConnellは“Importing Diversity: Inside Japan’s Jet Program”(カリフォルニア大学出版局, 2000)という本を出版しました。近年ではエジンバラ大学のNicola GallowayもこのJET/ALTをテーマにいくつか論文を出しています。同プログラムの開始時、また最近を調査されたお二人とも「アマチュアに対して信じられない厚遇である」という点では完全に一致しています。

すでに私の章で述べましたように、このきわめてもったいない支出はやめて、今の教員養成制度の充実、とりわけ英語教員志望者限定かつ免除可の「海外留学のための奨学金」を設立した方が良いのではないでしょうか。最近知りましたが、同様の主張を、このJETプログラムが開始された頃に、東京外国語大学名誉教授の故若林俊輔先生も「AET導入反対の弁」(1989)(『英語は「教わったように教えるな」』(研究社, 2016)所収)にて述べられています。

 

ALTをもっと活用しなさい。「ヒューマン・CDプレイヤー」にしてはいけません。

 

もちろん「無資格」であることを教育関係者は認識しています。そのため無資格ALTは「有資格者」の正規の教員とセットで授業にいる必要があります。しかし小学校では、先生方の9割ほどが英語においては「無資格」ですから、実質ALTに任せっきり、小学校の先生は見ているだけのところも多くあるようです。中高でもせっかくALTが来ているのだから、活躍してもらおうとメイン・ロールを任せることはよくあります。

無資格者に実際の指導を行わせ、有資格者はみている―この状況は実際の検査を無資格者に行わせて、有資格者のハンコを押していた一部の自動車製造業と、基本的な構造は似ていないでしょうか。

また「教育実習」にも似ていると言えるかもしれません。海外からアマチュアを何千人と呼び、正規の日本の学校の児童生徒を対象にして、大規模な教育実習をしている。旅費、給与、保険付きの教育実習生です。たいそうな立場の実習生です。

英語の教育現場で「ALTをもっと活用しましょう」とか「ALTをヒューマン・CDプレイヤーにしてはいけません」などとよく言われてきました。英語の先生方もティーム・ティーチングのスキルを高める必要もあるでしょう。しかし相手は素人です。プロ教師としての矜持や情熱も期待できません。いろいろと授業をやってみていただいた結果、経験不足ゆえに「CDプレイヤー」程度の役割しか頼めなかった場合も多くあるのではないでしょうか。教師は専門職であり、「プロ」と「アマ」は大きく異なるのです。

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