村上春樹をさがして|第24回 闘った世代の幻想と現実|重里徹也

 村上春樹の第二作『1973年のピンボール』(一九八〇年)を読んでいると、きわめて印象的なフレーズがある。第十二章、現在の講談社文庫だと百九頁になる。主人公の「僕」は友人と翻訳事務所を開いている。その事務所には二十歳の女性事務員が一人いる。

 

 小説の舞台はタイトル通り、一九七三年。「僕」は二十四歳で独身。翻訳事務所で勤勉で静かな日常生活をしている。それはどぎつい比喩で説明される。アウシュヴィッツでなら、重宝がられるような、というのだ。「僕」はときどき学生時代を思い返す。同じアパートの住人。電話の取り次ぎ。政治闘争のために傷ついた学生。何もない部屋。そして、死んでしまった恋人の直子。

 

 読んでいて、頁をめくる手が止まるのは、主人公が若い女性事務員に誘われて、二人で食事に行く場面だ。彼女は何気ない日常の連続に、不満というと大げさになりそうなほどの、しかし、けっこう重いいらだちを抱えている。二十歳の自分はこの日常を一生続けるのか。そのことへの焦りだ。

 

 このまま歳を取っていっていいのか。そんな思いを打ち明けたくて、主人公を食事に誘ったのだ。それで、主人公に若い頃、どう過ごしていたかを尋ねる。引用しよう。

 

 「あなたは二十歳の頃何をしてたの?」

 「女の子に夢中だったよ」一九六九年、我らが年。

 「彼女とはどうなったの?」

 「別れたね」

 

 私がつまずくのは「一九六九年、我らが年」という言葉だった。主人公はやや虚無的で、あまりアグレッシブな気力がないように見えるのに、そんな思いを隠していたのか。そんな感想だ。もう少し品のない言い方をすると、「イキってるやん」という感じだった。社会との積極的な接触を拒んでいるようにも見える初期村上作品の主人公が、急にイキったので、刺激的だったといえばいいか。

 

 この言葉は表面的には直子と熱い恋愛に陥っていた一九六九年を振り返っているようにも読める。しかし、恋愛に熱中した時代の背後にあるのは学生たちを大きく揺さぶった政治の季節だろう。この世代の人が、大学闘争の頂点になった年を「我らが年」と思い返しているように読んだのだ。

 

 ところで、一九五七年生まれの私にとって、団塊の世代、それとは少し時代の範囲が違うようだが、全共闘世代というのは、目の上の世代だ。聞いただけで、暑苦しい思いがする。

 

 自己主張の強い厚顔な人たちを思い浮かべるのだ。自分たちは闘ったと自慢話をし、就職してからはモーレツに働き、パワハラもセクハラも辞さない。そういうイメージ。学生の頃には「自由」や「反戦」を求めたが、それを一過性の熱病のように通過した人たち。そして、若い頃のはしかのようなものと言いながら、バリケード封鎖や機動隊との闘いを自慢する。

 

 おそらく、偏見だろう。そうではない人も無数にいるに違いない。ただ、私の個人的な感覚はなかなか消せない。アンニュイな感じで描かれることもある村上作品の主人公たちだが、一皮むけば、こんなギラギラした思い出を頼りに生きているのだなあ、という思いがあるのだ。

 

 最近、村上春樹訳のティム・オブライエン『世界のすべての七月』(文春文庫)という長編小説を読んだ。村上はなぜ、オブライエンが好きで、彼の作品を翻訳し続けるのか。そこには同じ世代の書き手という共感もあるのだろう、と推測した。同じ政治の季節を生きたことで響き合う感情といえばいいか。

 

 ティム・オブライエンは一九四六年、ミネソタ州生まれ。一九六九年から七〇年にかけて、歩兵としてベトナム戦争に従軍した。兵役終了後にハーバード大学で学び、「ワシントン・ポスト」の記者になった。一九七三年に『僕が戦場で死んだら』でデビュー。七八年に『カチアートを追跡して』で全米図書賞を受賞して、よく知られるようになった。

 

 村上は今作以外にも、代表作の『本当の戦争の話をしよう』をはじめ、『ニュークリア・エイジ』『虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ』の長編三作を訳している。かなり、お気に入りの現代作家のようだ。

 

 それで、『世界のすべての七月』なのだが、私はとても面白く読んだ。全体は文庫本で本文だけで五百頁を超える長さだ。しかし、短編がいくつも連なったような構造をしていて読みやすく、進むうちにさまざまな人間模様が楽しめる。

 

 一九六九年にダートン・ホール大学(架空の大学のようだ。ミネソタ州にある設定)を卒業した者たちが、二〇〇〇年七月七日に同大学の体育館で開かれた同窓会に集まったというのが、小説を貫く全体の設定になっている。その同窓会の模様を描く「1969年度卒業生」という章の間に、三十一年前から二〇〇〇年に至るそれぞれの人生をつづる短編が交互にはさまっている。

 

 同窓会に参加した卒業生たちは五十歳を超えて、自分の人生がどういうものだったのかが見え始めている。学生時代の情熱の行方、やったことやらなかったことの後悔や後ろめたさ、突然に襲ってくる困難や不幸や苦労。あの時、ああすべきだったのではないか、あの時にああいう決断をしたから今の生活がある、と悶々と悩み、考え続けている。けっこうナイーブな人が多くて、多くがそれなりにまじめに人生を振り返る。

 

 彼らに色濃く影響を及ぼしているのがベトナム戦争だ。従軍して片足を失ってしまった者。彼はいつまでもベトナムで負傷して川のほとりで倒れたままになった日を忘れられない。同僚の兵士も多くが死んだ。彼と結婚したものの家を出て行った女性も登場する。

 

 ベトナム戦争の徴兵を忌避してカナダへ逃げた男の話も興味深い。恋人だったのに彼について行かず、共和党員の裕福な男と結婚したものの乳ガンを患ってしまった女性も同窓生だ。彼を裏切った自分の人生は間違っていなかったのかと疑問と不安を抱いている。

 

 裕福な男と結婚した元・ストリート劇団員。彼女はその後、不幸に耐えることになる。二人の夫を持ちながら他にも愛人がいるという性に奔放な美人も登場する。それぞれが選んだ人生に悩み、自身の選択を反芻し続け、今をどう生きるべきか、なかなか落ち着かない。

 

 同窓会は酒と薬物にまみれ、三十一年の年月を往還しながら、消えてしまった幻想と、それぞれが直面した現実を浮き彫りにしていく。彼らはあまり冷静ではない。むしろ、興奮を隠さず、喜怒哀楽をあらわにしている。

 

 ところが、オブライエンの筆は、彼らに対して適切な距離を置きながら、その人生の日々を淡々とした筆致で描いていく。三十一年前の高揚にも惑わされず、三十一年後の虚無感にも浸らない。それで魅力的な一冊になっているのだ。群像劇を織りなす人々の生活実感が、ひしひしと伝わってくる。

 

 村上は「訳者あとがき」で「オブライエンの作家としての今日的な値打ちみたいなものを、適切に言語化することが僕にはできない」「オブライエンよりもっとうまい小説を書く作家は、あるいはもっと先端的な作品を書く作家は、アメリカにはほかに少なからずいるはずだ」と書いている。

 

 ところが、「オブライエンの小説が出版されると、何はともあれすぐに手にとって読む」「気になって仕方ないのだ」というのだ。そして、この小説について、オブライエンは再会物語を決してセンチメンタルに、整合的に、「よくできた話」として描こうとはしていないという。延々と続く笑劇(ファルス)として、長編小説を成立させていると指摘する。

 

 村上が小説において大切だと考えていることが、ここに表れているように感じる。先端的である必要はない。うまい小説を書く必要はない。それらの価値を超えるものこそ、小説が表現すべきものだということだろう。

 

 それは何か? 村上は「無骨さ」「不器用さ」「下手っぴいさ」「徳」「リズム」「テンション」などの言葉で説明している。この指摘は、村上春樹の小説に対する本音を吐露したもののような気がした。一つの世代が、その軌跡を確かな作品に残してくれるのは、後続世代にとってもありがたいことだ。

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