これからの英語教育の話を続けよう|第13回 国際コミュニケーションのあり方について考えよう|藤原康弘

Where are you from, please? (君はどこの出身?)… I really don’t understand you.(君の言っていることがわからない)

2018年11月7日のホワイトハウスでの記者会見で、日本人記者が英語で質問をした際のトランプ大統領の発言です。この発言が「人種差別」や「侮辱」と日米のメディアは一斉にトランプ氏を非難しました。一方、ツイッターなどのSNSでは「日本人記者の英語がひどい」という指摘もみられ、大きな話題になりました。今回は国際英語論の立場から、このやりとりについて考えたいと思います。

迷走するやりとり

「百聞は一見に如かず」です。まずはこのやりとりを見てみましょう。

(問題の箇所は56分56秒~57分30秒)

記者:Mr. President, can you tell us how you focus on the economic….(大統領、経済について、どう考えているか教えて…)

トランプ氏:Where are you from, please?(君はどこの出身?)

記者:Japan.(日本です。)

トランプ氏:Okay. Say hello to Shinzo.(なるほど、シンゾー(安倍晋三首相)によろしく。)

記者:Yes.(わかりました。)

トランプ氏:I’m sure he’s happy about tariffs on his cars. Go ahead.(日本車の関税について彼は喜んでいるでしょう。続けて。)

記者:That’s my question actually. So, how you focus on the trade and economic issues with Japan. Will you ask Japan to do more, or will you change the tone?(それがまさにお聞きしたい質問です。日本との貿易や経済問題について、どのように考えていらっしゃいますか? 日本にもっと要求されますか? もしくは論調を変えるおつもりでしょうか?)

トランプ氏:I, I don’t, I really don’t understand you.(私は、私は本当に君の言っていることがわからない。)

記者:How will you focus on trade and economic issues?(日本との貿易や経済問題について…)

トランプ氏:  Trade with Japan?(日本との貿易?)

記者:Yes.(そうです。)

トランプ氏:Well, we’re dealing with Japan right now on trade. Japan has…(ええ、私たちはまさに日本との貿易について検討中です。日本は…)

いかがでしょうか。「人種差別」ほどでは、と思われるかもしれません。しかしご想像ください。日本の首相が米国人記者の英語なまりの日本語の質問に対して、同様の発言をしたとしたら。上のセリフを適宜入れ替えてみるとイメージできます。人種問題かどうかは別として、「失礼」ではあるように思えます。

何とか質疑応答が成立しながらも、この迷走するやりとり。このコミュニケーションの責任は日本人記者にあるのでしょうか、それともトランプ氏にあるのでしょうか。まずメディアの反応を見ていきましょう。

ニュース・メディアの反応:トランプ氏批判

ニュース・メディアの反応をまとめると、トランプ氏の人種差別的、排外主義的スタンスを非難する論調です。トランプ氏は同記者会見で、日本人記者だけでなく、非母語話者アクセントのある英語の記者に「何を言っているのかよくわからない」と再三述べました。そのケースを見ていきましょう。

中間選挙で2名のイスラム教徒の女性が当選したことについて質問した女性記者には、“I don’t understand what you’re saying, what?”(君が何を言っているかわからない、何?)と言い放ちました。

トルコのエルドアン大統領への対処について質問したレバノンの男性リポーターとのやりとりでは、トランプ氏は聞き取れないところを質問した後、“I just can’t understand him”(彼の言っていることがわからなくて)と聴衆に向けて述べました。

極めつけはニューヨーク市、ブルックリン区の出身の男性記者とのやりとりです。記者が “Mr. President, I’m from Brooklyn, so you understand me.” (大統領、私はブルックリン出身ですから、わかっていただけますよね)と述べた際、トランプ氏は “I understand you very well.”(よくわかりますよ)と返答しました。

上の日本人記者とのやりとりだけでなく、記者会見全体を見ると、確かにトランプ氏の非母語話者アクセントへの冷遇が目立ちます。HuffpostJapan Timesは、トランプ氏がインドの首相やアジアのビジネスマンの外国人アクセントを嘲笑ったり、理解できないと述べたりした過去に言及しています。また氏は、安倍首相の妻、昭恵さんについて「彼女は素晴らしい女性ですが、英語を一切話さない、ハローの一言も」と述べて、物議を醸したことも記憶に新しいでしょう。その経緯を十分にふまえて今回の出来事を理解する必要があります。

心配なのは次の指摘です。

“People with accents are often treated as though they are less intelligent than those with accentless English.”

(アクセントのある人たちは、アクセントのない人たちより、知的に劣っているかのように取り扱われることがよくある)

(Huffpost, 2018/11/8)

国際英語関連の分野でも、音声アクセントの研究がなされており、人はアクセントによって知性だけでなく、面白さ、優しさ、謙虚さなど、さまざまな判断をすると言われています。その判断が固定された先入観になると、外国人アクセントによる「偏見」(例:あの〇〇アクセントの人は、××だ)や「人種差別」(〇〇人は××だ)につながる危険性があります。

ソーシャル・メディアの反応:日本人記者、記者の所属会社、また日本の英語教育批判へ

では次にSNS等のソーシャル・メディアの反応を見ていきましょう。大変興味深いのは日本のツイッターの投稿です。こちらのブログで指摘されているように、日本と海外の反応は対照的でした。海外(おそらく大半が米国)はニュース・メディアと同様、トランプ氏への非難が多くみられるのに対し、日本の反応は日本人記者、および記者の所属会社、はたまた日本の英語教育まで批判の矛先が向けられています。

具体的に見ていきましょう。日本人記者に対しては、アクセント(発音がわかりにくい)、表現(“Can you ~?” は大統領に失礼とか)、マナー違反(まず所属を名乗るべき)などが見られます。なお記者会見では、“Can you ~?”で質問する記者、限られた時間ゆえに、所属を述べず質問から入る記者は多くみられましたので、ここでは取り扱いません。圧倒的多数の指摘は「発音がひどく英語がわからない」というものです。

こちらはJapan Timesでも紹介されたツイートです。報道関係者は「日本の代表」として、より英語が堪能な記者を送るべきではなかったか、というご意見です。

こちらは日本の英語教育、とくに発音教育の不十分さを指摘しています。

このアクセントの問題をネタに自校をアピールする語学学校まであります。

このSNSやブログ等の記事を一通り拝読して、私は「日本人の英語力が足りない。日本の英語教育をなんとかしなければ」と同じことを考えました。ただ観点は180度異なります。

私はこう考えます。まずこの日本人記者の英語は、「国際英語」の観点から言えば、まったく問題ありません。彼は十分に国際的に通用する英語使用者です。そうであるからこそ、ワシントン支局で記者を務め、同記者会見で積極的に質問をした訳です。国際的に通用する話者でなければ、あの場にはいません(上記のトランプ氏に「わからない」と言われた非母語話者アクセントの記者達もまったく問題なしです)。

私は国際英語という立場をとり、北米、南米、ヨーロッパ、中東、アフリカ、オセアニア、アジアの方と英語でやりとりをしてきましたが、(知識層のみを比較範囲としても)彼の英語はわかりやすい、そう思います。同記者会見のやりとりに関して、もちろん私は一度で “I understand him”です(私が日本人英語使用者であり、日米関係の背景知識があるから容易に理解できたとは思いますが)。「発音がひどく英語がわからない」というのは米国英語として聞くためです。

つまり上の記者批判をされる方は、この日本人記者の「米国英語」(または母語話者英語)としての英語力が足りないと考えます。一方、私は、この日本人記者の英語が聞き取れず、安易に批判してしまう日本人の「国際英語」としての英語力が足りないと考えます。

また米国英語と捉えがちな日本の方たちを非難する気はありません。米国英語を実質的な唯一の基準としてきた日本の英語教育の責任だと思います(詳細は拙共著、『これからの英語教育の話をしよう』の私の章をご覧ください)。そのように教えられてきた訳ですから、無理もない話です。それゆえに、「日本人の(国際語としての)英語力が足りない。日本の英語教育をなんとかしなければ」と強く思ったのです。

この米国英語原理主義の英語教育を受けた方は、往々にして不思議なマインドセット(思考様式)を持ちます。英語ネイティブが、早口だったり、知らない表現を使ったりしてわかりにくい時は、「まだまだ未熟。勉強が足りない」と落ち込みます。一方、インド人やフィリピン人の英語話者が、同じ理由でわかりにくい時は、「相手の話し方が悪い。発音も悪いからだ」と相手のせいにします。実はいずれも国際コミュニケーションで「英語」を使用しているのは同じなのに、です。

相手に責任転嫁するのは簡単です。その意味で、今回の騒動、お互いがある意味「身内」批判で治まって良かった、とも思います。仮に多数派が逆方向の非難だったら・・・。多くのアメリカ人が「この日本人記者の英語の発音、ひどい。こりゃわからん」と述べ、多くの日本人が「トランプは非道だ。人種差別、人権問題。日本は断固、抗議すべき!」という事態になると、国際問題になりかねません。双方が「身内のものが迷惑かけまして、失礼しました」で丸く治まって良かったのではないでしょうか。

コミュニケーションの責任の所在は?

さて本題に戻りましょう。この迷走するやりとり。このコミュニケーションの責任は日本人記者にあるのでしょうか、それともトランプ氏にあるのでしょうか。

拙共著(『これからの英語教育の話をしよう』, p. 68)で述べたとおり、私は「コミュニケーションの責任は、使用言語が何であれ、相手が誰であれ、トピックが何であれ、どのような状況であれ、基本的に双方(2人以上の場合は参加者全員)にある」と思います(あまり面白くない結果ですみません(;^_^A )。つまりトランプ氏にも日本人記者にもあると考えます。コミュニケーションは関係性で決まります。当たり前の話ですが、コミュニケーションはメッセージを発する側と受け取る側がいます。この質問を発した日本人記者の責任もありますが(少し早口でしょうか)、受け手のトランプ氏の責任もあるでしょう(コミュニケーションの責任については、同拙共著、仲さんの章もぜひご一読ください)。

国際英語の観点では、諸英語はすべて平等です。したがってアメリカ英語の話者が話すと、わからないのは自分のせい、インド英語の話者が話すと相手のせい、は明らかにおかしい対応です。お互いが歩み寄る必要があります。

つまりコミュニケーションは歩み寄り。参与者がお互いに責任を負うべきもの。その意味で、トランプ氏の “I really don’t understand you.”という発言はやはり問題があるかもしれません。相手に一方的にすべての責任を負わせ、一方向的な歩み寄りを迫る態度は問題です。彼のような英語話者はさまざまな英語アクセントに対応するリスニング力や、意思疎通がうまく行かない時の問題解決力を向上させる必要があるでしょう。

歯に衣着せぬ物言いとメディアへの敵対姿勢でアメリカ国民の支持を勝ち得て来たトランプ氏。米国への移民制限の指針を示しており、「わからん」発言はそのポジション・トークの一環と捉えられます。同記者会見において、実際にはすべて意思疎通できているので、「お約束」なのかもしれません。トランプ氏の言動に過剰反応していないか、という意見を述べる方もいらっしゃいます。しかしながら、氏が世の中に与える影響力を考えると、より適切な対応を(例:Sorry, I can’t hear you well. Can you speak a little slowly?)、と個人的には思います。

第二言語習得研究でまだ決着のついていない問題は多々ありますが、「第一言語が第二言語に影響する」を否定する人はいません。「第二言語が第一言語に影響する」も同じく真です。「ネイティブの自然・・な英語表現」などの書籍を見かけます。また「学習者の不自然・・・な言い回し」などの表現もよく見かけます。しかしながら、二言語併用者(バイリンガル)の第一言語、第二言語がお互いに影響を受けるのは、とても「自然・・」なことです。これを第二言語話者と話す人たちは知識としてふまえ、対応力を磨かなければなりません。

これからの日本の英語教育と言語環境

上で紹介してきました国際英語の観点は、これからの英語教育にマストだと思います。近年に発表された中高の学習指導要領や大学の英語教員養成課程コアカリキュラムにおいても、少しずつではありますが、国際英語論の考え方が体現されつつあることからも、その必要性がご理解いただけるでしょう。

たとえば新しい『中学校学習指導要領解説 外国語編』には、世界の英語の多様性を認識した上で、「多様な人々とのコミュニケーションが可能となる発音を身に付けさせること」(p. 30)という文言が加えられました。これは絶対ネイティブ発音ではなく世界に通用する発音の習得が大切というスタンスを明示したと思われます。

また『高等学校学習指導要領解説 外国語編・英語編』には「現代の世界において様々な国や地域で使用されている英語の広がりを考えたとき、異なる英語に触れる機会をもつことは重要」(p. 126)であり、「教師やALT等の使う英語だけではなく、様々な英語音声に触れる機会をもつことは、国際共通語としての英語に対する理解を深め、同時に自分自身の英語に対する自信を深めていく上でも大切である」(p. 133)と書かれています。「世界の英語」(World Englishes)のリスニング教材はぜひ作るべきです。方々で何度も述べてきましたが、米語中心の英語教育は、大変「ローカル」であり「グローバル」ではありません。

また日本のこれからにおいても「国際英語」の理念は重要になってくるでしょう。東京オリンピックや大阪万博で、海外から大勢の方が訪日されます。また入管法の改正により、「お隣さんは外国人」も日常になるかもしれません。当然ながら、彼らは母語アクセントのある日本語や英語、また彼らの母語を用いることでしょう。繰り返しますが、バイリンガルの第一言語、第二言語が相互に影響し合うのは、ごく「自然・・」なことです。

外国人の方と話す場所が日本であれ海外であれ、使用言語が日本語、英語、その他の言語であれ、そのやりとりに求められる知識、技能、態度を育てていく必要があります。今の米語中心の英語教育は、その視野の狭さゆえに「君の言っていること、マジでわからんわ」(I really don’t understand you)と軽く言い放つ人を育ててしまうかもしれません。国際コミュニケーションのあり方、これからの英語教育のあり方について、国際英語の観点から議論がなされることを願っています。

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