これからの英語教育の話を続けよう|第9回 小学生と語る英語教育の目的|寺沢拓敬

学校英語教育の3つの原理

寺沢:太郎君はさっき「みんなバラバラなことを言っていてよくわからない」って言ってたよね。

太郎:はい。

寺沢:実際のところ、「この目的だけ押さえておけばだいじょうぶ!」といった単一の目的があるわけじゃない。いろんな目的がある。しかも、英語教育は小学校から大学まであるから、各段階に異なる目的がある。時代によっても変わっているしね。

太郎:はい、だからすごくややこしいんです。

寺沢:本当にややこしいよね。僕なんか面倒くさがりなので、このカオスな目的論をできるだけ簡潔に要約したい。いろいろ頭をひねった。で、その結果、3つの原理で整理できるということを提案した(注:寺沢拓敬著『日本人と英語の社会学』4章補節)。

太郎:たった3つですか!

寺沢:うん、3つ。抽象的な原理だからこそ、ここまで圧縮できる。一見すると圧縮しすぎに感じるかもしれないけど、意外ときれいに整理できていると思うよ。

太郎:へえ、そうなんですか。その3つを詳しく教えてください。

寺沢:以下がその3つの原理。

• 【ニーズの考慮】社会統計的ニーズの低さをどれだけ考慮するか
• 【固有性】(他教科でも可能なことでなく)英語科にしかできない内容をどれだけ重視するか
• 【普遍性】すべての学習者に同内容を教えるという価値をどれだけ重視するか

太郎:なんだか抽象的でよくわからないですね。

寺沢:抽象さが売りだからそこを修正することはできないけど、少しでもわかりやすくなるように詳しく説明しよう。

 

原理1:ニーズの考慮

寺沢:まず第一の原理・ニーズの考慮について。統計的に見て、社会の英語使用ニーズはけっして多くないという事実がある。この事実をどれだけ重視するかという点。

太郎:僕の周りでも誰も英語使ってませんね。僕のお母さんも仕事でまったく使わないって言ってましたし、おじさん・おばさんも英語なんて無縁だって言ってました。

寺沢:実際に統計があるけど、日常的に英語を使う人は日本の人口の1%程度。少なくとも1割は超えない。(注:上掲書8章参照)。

太郎:1%かあ。

 

原理2:英語科の教育内容の固有性

寺沢:2つ目の原理は、英語科の教育内容の固有性をどれだけ重視するか。

太郎:うーむ、ちょっとわからないです。

寺沢:教科の内容って2つのタイプがあるのね。ひとつは、いろいろな教科で取り扱える教科横断的な内容。もうひとつは、その教科でしか扱わない教科固有の内容。

太郎:たとえば、論理的思考力の育成はどの教科でも目標にしますけど、英語力の育成は英語科だけの守備範囲ですよね。

寺沢:そのとおり。で、この後者の内容をどれだけ重視するかという原理だね。

太郎:なるほど。

 

原理3:カリキュラムの普遍性

寺沢:原理3の普遍性はわかりやすいよね。「みんなに英語を教える」という価値をどれだけ重視するかってことだね。

太郎:逆に言えば、「特定の人だけに教えるのは不公平だ」という意見にどれだけ賛同するかってことですね。

寺沢:そう、ある種の「平等性」とも言える。

 

トリレンマ

太郎:3つの原理はわかりました。でも、これって教育目的じゃないですよね。

寺沢:そう、この3つの原理をどうブレンドするかで、それぞれ違った英語教育目的が導けるって話なんだ。

太郎:なるほど。でも、上の3つはどれも大事な原理ですよね。3つ全部を満たすのがベストなんじゃないですか。

寺沢:「社会的ニーズの低さを直視したうえで、英語科固有の教育内容を、全員に与える」ってことだね。

太郎:はい。

寺沢:でも、それは実は不可能なんだ。

太郎:えっ?

寺沢:太郎君が言う通り、この原理はそれぞれとても重要。満たせるなら満たしたほうがいい。でも、3つを同時に満たすことは不可能。どれか1つを犠牲にしなきゃいけない。

太郎:ジレンマってやつですか。

寺沢:ジレンマ (dilemma) は2つの価値が衝突してる場合だけど、今回のは3つだからトリレンマ (trilemma) と呼ばれるよ。じゃあ、どの原理を採用するとどういう目的が導かれるか見ていこう。

 

原理
1:ニーズの低さ重視 2:固有性重視 3:普遍性重視
目的 パターン1 ×
パターン2 ×
パターン3 ×

表 英語教育目的のトリレンマ

どの目的論でも、3つの原理をすべて満たすことはできず、どれかが必ず犠牲になる。

 

様々な英語教育目的

パターン1:「ニーズの低さ重視」+「教科固有性重視」(普遍性は犠牲に)

      → エリート主義的英語教育論

 

寺沢:1つ目は、英語使用のニーズが低いことを認めたうえで、英語科固有の内容を重視する立場。

太郎:はい。

寺沢:ニーズが低いって認めてるわけだから、その学習を全員に義務付けるのは論理的におかしいよね。必要ない人にまで学習を押し付けることになるわけだから。この意味で、この立場は普遍性を犠牲にする。

太郎:ということは、英語を学ぶのは一部の子供だけでいいって宣言するってことですか。

寺沢:そのとおり。

太郎:えー! エリート主義で感じ悪い。なんだかトンデモ感があふれる主張だなあ。

寺沢:それは現代の観点から見るからそう感じるだけだよ。だって、戦前の英語教育はまさにこういう状況だったし、戦後しばらくの間もこういう考え方は根強かったんだ。なにせ文部省ですら、1950年代くらいまでは「必要のない生徒は学ばなくてよろしい」(大意)って言ってたんだからね。(注:寺沢拓敬『「なんで英語やるの」の戦後史』第5章)

 

パターン2:「ニーズの低さ重視」+「普遍性重視」(教科固有性は犠牲に)

      → 抽象的目的論

 

寺沢:2つ目は、1つ目と反対に、普遍性を大事にする立場。

太郎:学校英語教育はみんなのためにあるっていうことですね。

寺沢:そう。とくに義務教育段階の英語教育ではこの点はとくに重要だね。それと同時に、英語使用のニーズが低いことも認めている。

太郎:すると?

寺沢:「英語使用ニーズの低さは認めるけど全員に教育はしたい」というのは一見矛盾だよね。矛盾じゃなくするためには、英語教育の中身を工夫しなきゃならない。

太郎:どんな工夫ですか。

寺沢:英語力育成の代わりに、情意面の目的を提示するわけ。英語力育成って聞くと一部の人にしか関係しない感じがするけど、たとえば、世界の国々や人々を知るとか、異文化への寛容性を育むとか、言語に対する認識を育成するって言えば、全員に関係する感じがあるでしょ。

太郎:たしかにそうですね。でも、それって英語教育って感じがしないなあ。

寺沢:そうだね。まさにその点が、「英語科固有の学習内容の重視」という原理を犠牲にしているってことだよ。

太郎:うーん。なんだか気持ち悪いなあ。英語教育って名前なんだから、英語を教えるのが大事なんじゃないですか。世界の人々とか国際理解とかって「それ、社会科じゃん」って思ってしまいます。

寺沢:そう思う人がいるのはわかる。でも、少なくとも言えるのは、これは学習指導要領の公式見解だってこと。昔から「学校英語教育の目的は、英語力育成だけではない、国際理解とか言語認識みたいな情意面も大事」って一貫して言ってきたわけで。

太郎:へえ、そうなんですか。

寺沢:文科省以外にも多くの人たちがこの立場になっているね。たとえば、文科省とずっと鋭く対立してきた日教組だって、この目的を主張し続けてきたんだ(注:正確には、日教組教研集会における外国語教育分科会。詳細は江利川春雄氏の記事を参照)。

 

パターン3:「教科固有性重視」+「普遍性重視」(ニーズの低さは重視しない)

 

寺沢:残るは、教科固有性と普遍性は重視するけど、ニーズの低さは重視しない立場だね。

太郎:はい。でも、ニーズの低さを重視しないってどういうことですか? 英語を使う必要性がまだそんなに高くないってこと自体は統計的な事実ですよね。事実を重視しない・・・?

寺沢:良い点に気づいたね。「事実を重視しない」というのは、大雑把に言って、2つの立場がある。ひとつは、「そんな事実は知らない」という立場。言い方悪いけど、要するに「無知」ってことだね。もうひとつは、「事実は認識してるけど、重視しなくてもいい事実だと判断する」という立場。

太郎:1個目はよくわかるんですけど、2個目のはイメージがわかないなあ。

寺沢:順番に説明するね。

 

パターン3a:国家総動員的英語教育論

寺沢:1個目はわかりやすいよね。「多くの人に英語は必要だ」と思い込めば、普遍性と教科固有性を同時に満たせる。

太郎:だって、「ニーズは普遍的だ! であれば、みんなが英語が使えるようになればハッピー! そういう教育をしましょう」って言えるわけですからね。

寺沢:そうだね。いわば「国家総動員」的な英語教育論だね。

太郎:でも、事実を直視できていないという意味では、ちょっとアホっぽいですね。

寺沢:たしかにアホっぽいけど、大真面目に言っている人もいる。文科省ですらこの立場で政策を展開したことがある。あと、しばらく前にやっぱり大真面目に議論されてた英語第二公用語論とか。

太郎:英語を公用語にって!? そんな提言があったんですか・・・。

 

パターン3b:基礎教育

寺沢:もう1つの立場はちょっと複雑だ。今の社会では一部の人しか英語を使わないっていう事実は認めつつも、「だから何? そのこととは別に、英語教育を重視すべきでしょ!」と宣言するタイプ。学校英語教育には独自の意義があるんだから、社会のニーズに100%応える必要はないと主張するわけね(例、山田雄一郎『英語教育はなぜ間違うのか』ちくま新書)。

太郎:開き直りみたいですね。

寺沢:まあ、社会的ニーズを何より大事と考える人には開き直りに聞こえるかもしれないね。でも、学校教育の自律性に高い優先順位をつけるべきだと考えれば、別に開き直ってるわけじゃないと思う。

太郎:はあ、そうなんですか。

寺沢:でも、単に「学校英語教育には独自の意義・自律性がある」と言えばそれで済むかっていうとそんなに簡単な話じゃないのは事実。

太郎:そうですね。「じゃあ、『学校英語教育の独自の意義』って具体的には何だよ?」っていう話になっちゃいますからね。

寺沢:そう。そこをきちんと説明しない限り、何も言ってないのと同じになっちゃう。

太郎:どんなふうに説明されてるんですか?

寺沢:よくあるキーワードが「基礎教育」。学校は社会のニーズに即応した応用的内容を学ぶ場所ではない。学校は職業訓練の場ではなく、基礎教育の場だ。学校英語教育も基礎教育の一環だ。もし将来、英語が必要になってもすぐ対応できるように、基礎的な英語力を身につけさせて何が悪い。そういう主張だね。

太郎:なんだか循環論法みたいだなあ。

寺沢:それはそうだね。要するに「独自の意義 = 基礎的な英語力の育成」と主張してるわけだけど、「じゃあ、どうして基礎的な英語力を基礎教育の場で教えるの?」って疑問は棚上げしているからね。

太郎:「基礎的な○○能力を基礎教育で育てます」って言い方、一見説得的ですけど、「○○能力」の部分に何でも入っちゃいますよね。

寺沢:そう。「基礎的なフランス語能力を基礎教育で育てます」だって言える。「基礎的なサッカースキル」とか「基礎的な将棋能力」とか「基礎的な量子力学の知識」とかでもOK。こう見ると、率直に言ってなかなか苦しい主張ではある。

 

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