「現代の国語」と「言語文化」の問題点|第1回 ざっくり知りたい! 新しく始まる高1国語の問題点|清田朗裕

ご挨拶

この度、「「現代の国語」と「言語文化」の問題点」というタイトルで、来年度からスタートする新しい高等学校の国語の科目が抱えている問題点について述べることになりました、清田朗裕と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

具体的には、タイトルの通り、「現代の国語」と「言語文化」という2科目の問題点を取り上げます。

学校教育について特に学んだことのない方にも、この問題についてできるだけわかりやすく述べていきたいと思っています(その分前置きの内容が増えてしまいますので、すでに知識をお持ちの方は、適宜読み飛ばしていただいた方がよいかもしれません)。

これをお読みの皆さんも、学校教育を経験してきた(または今経験している最中)と思いますので、国語という科目についてのイメージ自体はもちやすいと思います。

ただそれは諸刃の剣で、皆が通ってきた道ですから、ついつい自分の経験だけを頼りにして話してしまう点もあろうかと思います。

もちろん、同窓会等で思い出話に花が咲くという点では楽しい(または嫌な)話題ではあるのですが、その思い出だけを唯一絶対のものとして、日本の国語(科)教育全体の話として語ってしまうと、それは実態とはかけ離れたものとなってしまいます。

児童・生徒の健やかな成長を願い、日常生活・社会生活・実社会において彼らが豊かに生きていけるよう、我々は日本の教育問題の実態を共有し、改善していくことが求められます。

その意味で、この連載の内容が、読者の皆さんの個人的な国語教育の経験に、新たな認識や価値観を付け加える契機となれば幸いです。

私個人の考えも示していきますが、それは議論の叩き台として、肯定否定さまざまに取り上げていただけるとありがたいです。

なお、「現代の国語」と「言語文化」は、2022年度から始まりますので、その教科書はまだ世に広く出回っていません。現場の教員が教科書選定のために読めるだけですので、私は直接読んでおりません。教科書会社のHP等で紹介されている内容に留まります。その点、不正確な内容だったり曖昧に記述せざるを得なかったりする部分があります。ご了承ください。

第1回 ざっくり知りたい! 新しく始まる高1国語の問題点 

1. 教科書と学習指導要領

第1回は、高等学校国語の新設科目「現代の国語」「言語文化」が抱える問題点を指摘していくための前提知識をまず取り上げます。具体的には、新学習指導要領の方針の一部と、どのような科目が構成されているのか、そしてそこから窺える問題点です。この前提知識が曲者で、(今回の記述でも不十分なのは自覚しておりますが)内容が混み合っていますので、現行の学習指導要領と新学習指導要領の国語の科目編成の対応関係を先に知りたい方は、7節の国語科の教科目標から読むことをお薦めします。なお、PISAショック、主体的・対話的で深い学び、カリキュラム・マネジメント等の話は、具体的な授業内容に関わってくる話題ですので、次回以降に述べたいと思います。そのため、今回は触れません。ご了承ください。

2. 国語の教科書、何を覚えていますか?

さて、日本で教育を受けてきた人々にとって、教科書は特別な存在です。皆さんも教科書掲載の物語文、小説、説明文、評論文について、何か一つは印象に残っているものがあるのではないでしょうか。

小学校の物語文であれば、角野栄子「サラダでげんき」、斎藤隆介「モチモチの木」、新美南吉「ごんぎつね」、あまんきみこ「白いぼうし」、椋鳩十「大造じいさんとガン」、宮沢賢治「やまなし」、海外作品であれば、ロシア民話「大きなかぶ」、アーノルド・ローベル「お手紙」、レオ=レオニ「スイミー」等を挙げることができるでしょう。

説明文であれば、中川志郎「ビーバーの大仕事」、大滝哲也「ありの行列」、鷲谷いづみ「イースター島にはなぜ森林がないのか」、高畑勲「『鳥獣戯画』を読む」等を挙げることができるでしょう。

中学校であれば、ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」、芥川龍之介「トロッコ」、向田邦子「字のない葉書」、太宰治「走れメロス」、井上ひさし「握手」、魯迅「故郷」、清少納言「枕草子」、『平家物語』「祇園精舎」、松尾芭蕉『奥の細道』等の文学作品にも触れてきたことと思います。

その他にも、単語や文節、主述の関係、方言と共通語といった言語事項に関する授業も記憶にあるのではないでしょうか。

私個人としては、光村図書出版の教科書編集者でもあった大阪大学名誉教授の宮地裕先生や京都大学名誉教授の渡辺実氏の小論を読み、言葉の面白さを学んだことを覚えています。

(余談ですが、宮地先生には一度だけ拝顔したことがあり、その際、宮地先生がなさっているような教科書作成にも、将来何らかの形で関わっていきたい旨を申しましたところ、「見ている人は必ずいますので、地道にやっていくことが大切です」とのお言葉をいただけたのは、大変光栄なことでした。)

3. 何を学んできましたか?

さて、皆さん。高等学校ではどんな授業を受け、何を学んできましたか。また、ここまで取り上げてきた小中学校の作品を通して、一体、何を学んできたか、具体的に説明できますか。

それぞれの作品に出てくる語彙でしょうか、取り上げられた文学作品の粗筋でしょうか。そこから、何を学んだといえるのでしょうか。

実はここまでに数多くの作品名を挙げ、問いを投げかけたのは、義務教育である中学校までに皆さんがどんな授業を受けてきて何を学んだか、そして高等学校ではどうだったか、思い出してもらうためです。

中には、教科書に掲載されているすべての内容を理解することが国語の勉強だった、という方もいらっしゃるのではないかと思います。

たしかに、正確な理解は読解の第一歩です。その点を疎かにすることはできないでしょう。しかし、国語の勉強はそれだけではありません。むしろ、理解してから先、どのような力を育成できるかが大切なのです(5節~7節参照)。しかし、それに関する枠組みが示されることは、教員を含む専門家以外にはあまりありません。そのため、世間的には、しばしば国語では何を学んでいるのかわからない、どんな力がつくのかわからない、と誤解されています。

実際、私が勤務している大阪教育大学で担当している「国語Ⅰ(ICTの活用を含む。)」という科目の中で、受講生に国語の時間にどんなことを学んだのかアンケートを取ると、大体、作品名や文章ジャンルの名前が回答に挙がり、それを通じてどのようなことを学んだかについては、ほとんど回答に挙がりません。教育大学の学生でもそういう実態があります。しかし、本来は文章(言葉)を通じて学ばせたい、育成したい力があるのです。

4. 学習指導要領の力

では、国語では、どのような力を育成するのでしょうか。実は、これには指針があります。文部科学省が出している「学習指導要領」です。

初等中等教育において、学習指導要領は非常に大きな力を持っています。学習指導要領の記述、方向性に従って教科書が作成されるからです。

また、学習指導要領には、どの教科をどれくらいの時間をかけて扱うか、といったことも示されています。皆さんが「時間割」と呼んでいたあのスケジュール表も、学習指導要領の内容に従ったうえで作成されています。

なんだか教育を縛り付ける法律のようだと思う方もいらっしゃるでしょう。これは、実際に法律です。学校教育法によって規定・適用されています。たとえば、広島県教育委員会ホームページにも次のように記載されています。

学習指導要領は,国会で制定された「学校教育法」の規定をうけて「学校教育法施行規則」で定められており,法体系に位置付けられていることから,国民の権利義務に関係する「法規」としての性質を有するものと解されます。

(広島県教育委員会ホームページ)

そのため、来年度から新しく始まる「現代の国語」と「言語文化」も、学校教育法施行規則附則(平成三十年三月三十日文部科学省令第十三号)において、令和4(平成34)年4月1日から施行することになっているのです。

いかがでしょうか、前置きが長くなりましたが、世間的には、国語という科目ではどのようなことを学んでいるのか、実はよく理解されておらず、曖昧であるという実態と、学習指導要領の存在が、学校教育において大変重要な存在である、ということはわかっていただけたのではないでしょうか。

それではこれから、実際の学習指導要領の方針の一部を紹介し、国語を含め、どのような力を育成することが求められているのか見ていきたいと思います。

5. 未来社会Society 5.0

学習指導要領は、約10年に一度改訂されます。それは、時代に合わせた教育を行っていくためです。

では、時代に合わせた教育とは、一体どのような教育なのでしょうか。実は、これまでの教育とは根本的に変わっていこうとしています。皆さんが経験してきた教育とはまったく異なる考えに基づいた教育が進んでいこうとしているのです。

その土台となる考えは、内閣府が示しています。

内閣府HPでは、現在の社会がSociety 4.0 という「情報社会」の時代であるとしています(ちなみにSociety1.0 が「狩猟社会」、Society 2.0 が「農耕社会」、Society 3.0 が「工業社会」としています)。そして、次にくる未来社会が、予測困難な時代であるSociety 5.0 です。

Society 5.0 とは、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」(内閣府HP)です。

図 Society 5.0(出典:内閣府HP「Society 5.0」)

また、次のようにも述べています。

Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります。

(内閣府HP)

予測困難なSociety 5.0 の時代を生き抜く力を、これから学校教育を受ける児童・生徒に育成していくことが求められる、ということになります。

なお、Society 5.0 の詳細は、内閣府HPにありますので、ぜひ御覧下さい。

6. 学びの地図

内閣府によるSociety 5.0 の考えのもと、中央教育審議会(中教審第197号)では、学習指導要領が教育の「学びの地図」となるために重視すべき考え方を、以下の6項目に整理しています。

①「何ができるようになるのか」(育成を目指す資質・能力)

②「何を学ぶか」(教科等を学ぶ意義と,教科等間・学校段階間のつながりを踏まえた教育課程の編成)

③「どのように学ぶか」(各教科等の指導計画の作成と実施,学習・指導の改善・充実)

④「子供一人一人の発達をどのように支援するか」(子供の発達を踏まえた指導)

⑤「何が身に付いたか」(学習評価の充実)

⑥「実施するために何が必要か」(学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策)

(文部科学省2019: 21)

中教審とは、文部科学省内に設置されている審議会です。複数の分科会に分かれ、日本の教育について文部科学大臣の諮問等に基づき審議・答申を行っています。ここでの審議内容を踏まえ、学習指導要領が公示されます。

さて、①から⑥を読みますと、学習内容以外の、学習方法や評価法等への指摘があることに気がつきます。

ここから、中教審が知識習得という学習内容以外のことに十分な注意を払っていることが窺えます。つまり、従来の暗記中心型の授業や一斉講義による伝達型の授業を中心とした教育方法、また筆記試験等の点数による評価法等から脱却しようとしているのです。

これは、多くの皆さんが経験してきたであろう授業形態や試験方式とは異なる教育でしょう。その意味で、すでに学校教育を修了した皆さん個人の学校教育の経験は、今後共有されにくくなっていく可能性が高いといえるでしょう。

新学習指導要領は、以上の方針に基づき作成されました。国語においても、学習内容だけでなく、学習方法や評価法にも大きな変革をもたらすものです。

では次に、具体的にどのような力を育成していくことになるのか、今回はその大枠を確認していきましょう。最初に、高等学校国語科の教科目標から確認します。

7. 国語科の教科目標

新学習指導要領に記載されている高等学校の国語科の教科目標は、以下の通りです。

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

(1)生涯にわたる社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。

(2)生涯にわたる社会生活における他者との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を伸ばす。

(3)言葉のもつ価値への認識を深めるとともに,言語感覚を磨き,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,生涯にわたり国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

(文部科学省2019: 21)

「生涯にわたる社会生活」の部分は、小学校では、「日常生活」、中学校では「社会生活」という範囲で述べられています。この違いから、高等学校では、生徒のこれからの人生すべてに関わっていく国語の力を育成することが目指されていることがわかります。非常に大きな目標が立てられていることがわかります。

そして、(1)~(3)で示した目標は、〔知識及び技能〕、〔思考力,判断力,表現力等〕、〔学びに向かう力,人間性等〕という三つの柱にそれぞれ対応します。〔知識及び技能〕と〔思考力,判断力,表現力等〕には、以下のように下位分類があります。

〔知識及び技能〕

 (1)言葉の特徴や使い方に関する事項

 (2)情報の扱い方に関する事項

 (3)我が国の言語文化に関する事項

〔思考力,判断力,表現力等〕

 A 話すこと・聞くこと

 B 書くこと

 C 読むこと

(文部科学省2019: 7)

これらが、新学習指導要領において、国語を通して育成を目指す資質・能力の大枠になります。

では次に、現行の学習指導要領の「国語総合」と比較してみましょう。現行の学習指導要領の教科目標は以下の通りです。

A 話すこと・聞くこと

B 書くこと

C 読むこと

伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項

(文部科学省2019: 7)

現行の学習指導要領では「A話すこと・聞くこと」「B書くこと」「C読むこと」がそれぞれ独立した項目として立てられていたのですが、新学習指導要領では、〔思考力,判断力,表現力等〕の枠組みの下で互いに関連し合うように設定されている点に特徴があります。

また、〔知識及び技能〕の中に、現行の学習指導要領にはなかった「情報の扱い方に関する事項」というものが新たに設定されています。これは、「情報と情報との関係」という、情報同士を比較する力や、「情報の整理」という、関係性を明確にする力を育成することを目指すものです。これまでも実際の授業では扱っていた内容だとは思いますが、それを項目立てて明示化したことに意味があります。Society 5.0 の時代を生き抜くために必要不可欠な資質・能力だとされているものです。

なお、「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」は、〔知識及び技能〕の中に吸収されています。

以上、高等学校では、「生涯にわたる」社会生活を見据えた国語の力を育成することや、〔知識及び技能〕、〔思考力,判断力,表現力等〕、そして〔学びに向かう力,人間性等〕という資質・能力を育成することが求められていることを確認しました。

8. 現行の科目編成と単位数

それでは、新学習指導要領における科目と、現行の科目とがどのように対応しているのか、述べていきたいと思います。

ここでは、現行の国語の科目編成を述べます。以下の通りです。

【共通必履修科目】

 「国語総合」(4単位)

【選択科目】

 「現代文A」(2単位)「現代文B」(4単位)「国語表現」(3単位)

 「古典A」(2単位)「古典B」(4単位)

(文部科学省2019: 11参照)

まず、全員が履修しなければならない共通の必履修科目として、4単位の「国語総合」があります。1単位は、35時間分(50分授業を週一回一年間行う時間数)の学習が課せられているものですので、4単位ですと合計140時間分ということになります。通常、これを高校三年間の中で学習するのですが、実際は、選択科目の前に履修することが求められていますので、選択科目を履修できるようにするために、必履修科目は高校一年(及び高校二年)の時点で履修することになります。

次に、選択科目ですが、「現代文A」「古典A」は2単位、「国語表現」は3単位、「現代文B」「古典B」は4単位となっています。単位数が異なるのは、各学校の特性に合わせて他教科・他科目を重視する場合があるからです。また、選択科目ですので、履修しない科目も出てきます。

科目名からわかる通り、現行の学習指導要領では、総合的に取り上げる「国語総合」以外は、現代文か古典かという、時代で取り扱う文章が分けられています。そのため、「現代文」「国語表現」の中に評論・小説・随筆・実用的な文章等が含まれ、「古典」の中には古文・漢文が含まれるという科目構成になっています。

このように「時代」を一つの基準とする科目編成は、国語のこれまでの科目編成と変わりませんので、皆さんにとってもなじみ深いものだといえるでしょう。

9. 新学習指導要領の科目編成と単位数

さて、新学習指導要領に基づく科目編成を見ていきましょう。

新学習指導要領では、なんと、時代という枠組みを排した科目設定がなされました。文章ジャンルによる編成がなされています。具体的に見ていきましょう。

【共通必履修科目】

 「現代の国語」(2単位)「言語文化」(2単位)

【選択科目】

 「論理国語」(4単位)「文学国語」(4単位)「国語表現」(4単位)

 「古典探究」(4単位)

(文部科学省2019: 11参照)

まず、全員が履修しなければならない必履修科目として、各2単位の「現代の国語」と「言語文化」があります。

次に、選択科目ですが、「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」が各4単位です。

新学習指導要領では、以上の科目編成で授業が構成されます。特に選択科目では「論理」「文学」(「表現」)という文章ジャンル毎に科目が編成されており、両者が明確に区別されているように見えます。本連載では中心的には扱いませんが、すでに「論理国語」「文学国語」の扱い方にも、問題があることが指摘されています。たとえば、安藤(2020)は、論理的な文章と文学的な文章の境界線がどこにあるのかについて述べ、科目として分けることに疑問を呈しています。

たとえば小説や詩歌が「文学的な文章」である、という点では異論はないでしょう。しかし仮に大江健三郎が核兵器の廃絶を「想像力」の重要性と共に訴えている評論を書いていて、教材として採用したい場合、明快な論旨を持っているから「論理的な文章」なのでしょうか、それとも小説家が創造力の重要性を説いているのだから「文学的な文章」なのでしょうか。坂口安吾の『日本文化私観』は多くの教科書に採用されてきた教材ですが、安吾はこの中で「美」は博物館の陳列ケースにあるのではなく、日々の生活の役に立つもの、実用の中にこそある、という主張を展開しています。「実用」の重要性を文学者が説く場合、これはどちらに入るのでしょう。夏目漱石の『私の個人主義』、小林秀雄の『無常ということ』、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』など従来定評を得てきた評論は、はたして「文学国語」なのか、それとも「論理国語」なのか、今回の科目分けによって行き場を失ってしまう可能性があるわけです。

(安藤2020: 12–13)

朝日新聞の社説でも、日本学術会議の提言を引きつつ、次のように指摘しています。

 高校で学ぶ国語は、22年度実施の新学習指導要領に基づいて再編され、論理的・実用的な文章を扱う「論理国語」と、文学的な文章を扱う「文学国語」という選択科目が登場する。

 これに対し、多くの作家や研究者が「文学軽視につながる」と異を唱えてきた。全体の授業時間の制約や受験への配慮などから「論理国語」が優先され、「文学国語」を採用する高校は少なくなるとみるからだ。

 日本学術会議の分科会も先月末、懸念とそれを踏まえた改善策を提言した。「『論理』と『文学』を截然(せつぜん)と分けられるものだろうか」との指摘に、共感する人は多いのではないか。

(朝日新聞DEGITAL「(社説)高校の国語 文学と論理 境を越えて」2020年7月31日)

「論理国語」を選択することで「文学国語」を選択できなくなること(、またその反対の状況が生じうること)、そもそも「論理」と「文学」とが明確に分けられるものなのかどうか、という疑問が提示されています。

なお、先に挙げた安藤(2020)が掲載されている阿部[他](編)(2020)は、東京大学ホームカミングデイ文学部企画のシンポジウムがもとになったもので、非常に好評を博したそうです(安藤2020: 19–20参照)。本連載の内容や主張とも関連しますので、興味がおありの方は一読することをお勧めします。

10. 科目の対応と単位数の比較

現行の科目と新学習指導要領の科目の対応関係を見ていきましょう。

科目の名称だけを読むと、選択科目の「論理国語」「文学国語」は、「現代文A」「現代文B」と対応し、「国語表現」はそのままで、「古典探究」は、「古典A」「古典B」と対応しているように見えます。ひとまず、このように対応すると考えて進めます。

単位数を比較します。まず、選択科目の合計を比較すると、現行の学習指導要領では15単位、新学習指導要領では16単位となるので、総単位数は増加しているといえます。この点では、国語をより重視する姿勢がみられるように捉えられます。

とはいえ、「論理国語」「文学国語」が2単位増、「国語表現」が1単位増、「古典探究」が2単位減と読み取れることからすると、選択科目では、古典軽視の流れが生じているようにもみえます。実際のところはどうなのでしょうか。

これにはからくりがあります。それは、以上の科目は選択科目だということです。つまり、選択である以上、履修しない科目もあるということです。実際の学校現場では、この選択科目は、通常、現代文系1科目、古典系1科目を履修することが多いと思います。つまり、現行であれば、「現代文B」4単位と「古典B」4単位を履修し、それ以外の科目を履修しないことがありうるのです。そうすると、新学習指導要領においても、たとえば、大学入試を見据えた選択科目編成をする場合、現代文系の科目として「論理国語」「文学国語」から1科目4単位、古典系の科目として「古典探究」1科目4単位が履修される可能性が大きくなるでしょう。とすると、古典系の科目の単位数は現行と変わらないといえます。むしろ現代文系の科目の方が、単位数自体は変わらずとも、そこで扱う内容が「論理」もしくは「文学」に偏ってしまうということになるのです(なお、一部単位数減で対応するという話はここでは措いておきます)。この点は、先に述べたように問題点として指摘されています。

それでは必履修科目はどうでしょうか。「現代の国語」「言語文化」は2単位ずつ、合計で4単位なので「国語総合」の4単位と単位数では変わりません。科目名からも両方の内容をカバーしているようにも見えます。とすると、選択科目のような問題はないのでしょうか。ところが実は、この部分が、この連載で繰り返し取り上げていく問題点になります。

11. 文章ジャンルから見た「現代の国語」「言語文化」

現行の学習指導要領の科目である「国語総合」とは異なり、今回の新学習指導要領の「現代の国語」は、現代と銘打ってはいますが、実際には「現代の国語」の授業内で、現代の「文学」的な文章を扱うことはできません。文部科学省(2019)に、次のように記されているからです。

論理的な文章も実用的な文章も,小説,物語,詩,短歌,俳句などの文学的な文章を除いた文章である。

(文部科学省2019: 106)

この記述は、授業の中で取り扱える文章ジャンルを「論理的な文章」及び「実用的な文章」に制限するものと捉えることができます。つまり、「現代の国語」2単位の中では、近代以降の文学的な文章を取り上げることができないということです。

一方、「言語文化」では、どうでしょうか。「言語文化」は、上代から近代以降の文学的な文章を扱うことができます。つまり、近代以降の文学的な文章、古文・漢文です。ただし、「言語文化」ではこれに加え、論理的な文章も扱うことができるのです。文部科学省(2019)は、「言語文化」について、以下のように述べているからです。

「B読むこと」の近代以降の文章に関する指導については,20単位時間程度を配当するものとし,計画的に指導すること。その際、我が国の伝統と文化に関する近代以降の論理的な文章や古典に関連する近代以降の文学的な文章を活用するなどして,我が国の言語文化への理解を深めるように工夫すること。

(文部科学省2019: 136–137)

この記述から、「言語文化」では、我が国の伝統や文化について書かれたものに限ってはいますが、近代以降の論理的な文章を授業内で取り扱うことができるのです。

どうでしょうか、何か変だなという違和感が出てきたでしょうか。その違和感は、まさに今回取り上げる問題点に直結するものだと思われます。

12. 「現代の国語」と「言語文化」が抱える問題点

今回の内容をまとめます。

新学習指導要領の必履修科目「現代の国語」2単位の中では、論理的な文章と実用的な文章のみを扱い、文学的な文章を扱わないよう制限されているのに対し、「言語文化」2単位の中では、古典から近代以降の文学的な文章に加え、論理的な文章をも扱うことができるというアンバランスな状態が生じている、ということです。

このアンバランスな状態が、「現代の国語」と「言語文化」のさまざまなところに問題点を作り出しているといえるでしょう。

次回は、「現代の国語」について、より具体的に見ていく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

参考文献

阿部公彦・沼野充義・納富信留・大西克也・安藤宏[著]、東京大学文学部広報委員会[編](2020)『ことばの危機 大学入試改革・教育政策を問う』集英社新書

朝日新聞DEGITAL「(社説)高校の国語 文学と論理 境を越えて」2020年7月31日(https://www.asahi.com/articles/DA3S14569239.html 最終閲覧日2021年11月09日)

内閣府HP「Society 5.0」(https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/ 最終閲覧日2021年11月05日)

広島県教育委員会ホームページ「学習指導要領の法的性格について」(https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/kyouiku/02zesei-sankou-seikaku-se-kaku.html 最終閲覧日2021年11月05日)

文部科学省(2019)『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説【国語編】』東洋館出版社

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