古代エジプト語のヒエログリフ入門:ロゼッタストーン読解|第2回 エジプト語の言語系統と文字|宮川創・吉野宏志・永井正勝

2.1 エジプト語と同系統の諸言語

 

前回はヒエログリフという言葉が指すものと、エジプト語の内側での変化や文字について説明しました。今回はアフロ・アジア祖語から分化したと考えられる他の言語と比較することで、エジプト語の特徴を外側からも探りたいと思います。

言語学では共通の祖先を持つ言語の集まりを「語族(language family)」と呼びます。エジプト語はアフロ・アジア語族に属しています。よく「エジプト語はアラビア語の一種なのか?」と聞かれることがありますが、それは違います。しかし、エジプト語もアラビア語も共にアフロ・アジア語族に属する言語ですので、両者は親戚関係にあります。

語族のうち、最も有名な語族は、インド・ヨーロッパ語族であり、これには、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、ヒンディー語、ペルシア語など現在多くの話者人口をもつ言語が含まれます。古典語では、ラテン語、古代ギリシア語、サンスクリット語などがインド・ヨーロッパ語族に含まれています。

例えば、英語の「兄弟」はbrotherですが、ドイツ語では、Bruder、フランス語では、frère, ロシア語ではbrat、サンスクリット語ではbhrā́tṛ、ペルシア語ではbarâdar、ラテン語ではfraterであり、それぞれ形がよく似ています。これらの言語の似ている単語の音の対応には規則性があるため、これらは、昔、1つの言語だったが、それぞれの地域、グループごとに違いが少しづつ発生していった結果、今のように様々な言語に別れていった、と言語学者たちは考えています。ちなみに、日本語の語族は、様々な説があり、決定的な説なく、インド・ヨーロッパ語族ほど確実な語族は想定されていないません。

エジプト語の語族は、アフロ・アジア語族です。この語族は、聖書に出てくる名称にちなんで19世紀にセム・ハム語族と呼ばれるようになりました。現在でも、歴史の教科書などでこの呼称がまだ見られることがあります。しかしながら、1963年にジョーゼフ・グリーンバーグという言語学者がハム語族というグループを否定した学説を発表してからというもの¹、言語学の世界ではアフロ・アジア語族という名称が用いられています。アフロはアフリカ、アジアはその通り、アジアを意味し、この名前から、この語族の言語がアフリカからアジアにかけて存在していることがわかります。

この語族には、エジプト語のように紀元前4千年紀から書かれていた古典語もあり、世界的にも突出して古い記録をもつ語族です。ちなみに、現在確実に文字であることが判明している世界最古の文字体系は、メソポタミア文明の初期を担ったシュメール人たちの言語であるシュメール語を表すウルク古拙文字だとされていますが、最近の発見ではエジプト語の古拙エジプト文字も、シュメール語の文字と同様に世界最古クラスのものとされています。ちなみに、シュメール語も日本語のように語族が不明な言語です。

アフロ・アジア語族の有名な言語としては、セム語派に属するアラビア語とヘブライ語があります。語派というのは、語族の下位区分です。インド・ヨーロッパ語族でいうと、英語やドイツ語が属するゲルマン語派、イタリア語やフランス語が属するロマンス語派、ロシア語やポーランド語が属するスラヴ語派、ヒンディー語やウルドゥー語、ペルシア語が属するインド・イラン語派などがあります。アフロ・アジア語族のセム語派には、アッカド語、旧約聖書の言語であるヘブライ語、イスラームのクルアーン(コーラン)の言語であるアラビア語、と宗教や文明にとって大変重要な言語が含まれています。そのほかにも、アラム語とその方言の1つであるシリア語、フェニキア語、古代北アラビア語、古代南アラビア語、ゲエズ語など古い文献をもつ言語が多数あります。

アフロ・アジア語族は、一般的には6つの語派に分かれると考えられています²。西はモロッコ、東はウズベキスタンの一部(中央アジア・アラビア語)、南はエチオピア(エチオピア・セム諸語)、北はトルコの一部(現代アラム語など)に広がるセム語派、エジプト語が属するエジプト語派、エチオピアやスーダン(ベジャ語など)、ケニア、タンザニア(イラクゥ語)などに分布するクシ語派、エチオピアに分布し、母語話者が少ないオモ語派(諸説あり)、西はモロッコから東はエジプトのシワ・オアシス、南はマリなどサハラ砂漠の南に広がり、ティファナグ文字で書かれた碑文を残すベルベル語派、そして、ナイジェリア北部のハウサ語を筆頭に、スーダン、チャド、ナイジェリアなどで話されるチャド語派があります。

 

2.2 アフロ・アジア諸語の主な言語と文字

 

  • アフロ・アジア語族(主な言語のみを挙げています。主な文字体系を角括弧に示しました。語派は、Greenberg 1966³: 48に、Fleming 1969によって主張されたオモ語派を付け足したものです。Ehret 1995: 90など数多くの研究では語派間のより細かな分岐関係とグルーピングを仮定していますが、様々な仮説があり、広く受け入れられている説があるとは言い難いので、この入門では示しません。また、語派の下位分類は実際はより複雑なものがなされ、様々な説が存在します。厳密な分類は、この入門では扱えませんので、これらの例は目安として考えてください。)
    • エジプト語派   含まれる言語・・・
      • エジプト語
        • 前期エジプト語
          • 古拙エジプト語 [古拙エジプト文字]
          • 古エジプト語 [ヒエログリフ/ヒエラティック]
          • 中エジプト語 [ヒエログリフ/ヒエラティック]
        • 後期エジプト語
          • 新エジプト語 [ヒエラティック/ヒエログリフ]
          • 民衆文字エジプト語 [デモティック]
          • コプト語 [コプト文字]

       

    • セム語派   含まれる言語・・・
        • アッカド語 [楔形文字]
        • エブラ語 [楔形文字]
        • ヘブライ語 [ヘブライ文字]
        • フェニキア語 [フェニキア文字]
        • アラム語 [アラム文字] ・・・シリア語 [シリア文字] (シリア語はアラム語の一種で、多数のキリスト教文献を残しています。)
        • ウガリット語 [ウガリット楔形文字]
        • アラビア語 ・・・現代標準アラビア語 [アラビア文字]、エジプト・アラビア語 [アラビア文字]、マルタ語 [ラテン文字] など
        • ゲエズ語 [ゲエズ文字]
        • アムハラ語 [ゲエズ文字]
        • ティグリニャ語 [ゲエズ文字] など

       

    • クシ語派   含まれる言語・・・
      • ベジャ語(諸説あり)
      • オロモ語 [ゲエズ文字、ラテン文字]
      • ソマリ語 [ラテン文字、アラビア文字]
      • イラク語など

       

    • オモ語派 [ゲエズ文字、ラテン文字など]   含まれる言語・・・
      • ウォライタ語など

       

    • ベルベル語派   含まれる言語・・・
      • トゥアレグ語 [ティファナグ文字]
      • アマジク語/タマジクト [ティファナグ文字]
      • シルハ語/タシュリヒート [ティファナグ文字]など

       

    • チャド語派   含まれる言語・・・
      • ハウサ語 [ラテン文字、アラビア文字] など

このうち、古い記述を持っているのは、セム語派とエジプト語派、そして若干のベルベル語派のみであり、他の言語は近代になってから記述されるようになったものがほとんどです。そのため、それぞれの語派で古い記述が残っている言語が存在するインド・ヨーロッパ語族の祖語、すなわち、インド・ヨーロッパ祖語に比べ、アフロ・アジア語族の祖語、すなわち、アフロ・アジア祖語の再建は遅れています。また、古い言語の場合、アッカド語など少数を除き、母音を書かない文字体系をもつ言語が多いこともアフロ・アジア祖語の再建の遅れの要因になっています。この母音を書かないという表記法は、おそらくヒエログリフ(とそれに先立つ原エジプト文字)が史上初のものでありました。この点について、次回以降の連載で詳しく説明します。

 

[注]
1 Greenberg, Joseph H. (1963) The Languages of Africa. (International Journal of American Linguistics, Vol. 29, No. 1, Part II) Bloomington: Indiana University.
2 オモ諸語を、語派ではなくクシ語派の下位分類だと考える、または、オモ諸語がアフロ・アジア語族に入ることに疑念を持つなどして、アフロ・アジア語族は5つの語派に分かれると考える学者もいます。
3 Greenberg, Joseph H. (1966) The languages of Africa. 2nd ed. The Hague: Mouton.
4 Fleming, Harold C. (1969) The Classification of West Cushitic within Hamito-Semitic. In: Daniel F. McCall et al. (ed.) Eastern African History. 3–27. New York, Washington, London: Frederick A. Praeger.
5 Ehret, Christopher (1995) Reconstructing Proto-Afroasiatic (Proto-Afrasian): vowels, tone, consonants, and vocabulary. Berkeley: University of California Press.
6 Gragg, Gene and Robert Hoberman (2012) Semitic. In: Frajzyngier, Zygmunt and Erin Shay (eds.) The Afroasiatic Languages, 145–235. Cambridge: Cambridge University Press at 151–2は、セム語派を、東セム諸語(アッカド語、エブラ語など)、北西/中央セム諸語(ヘブライ語、フェニキア語、アラム語、アラビア語、ウガリット語、古代南アラビア語、現代南アラビア諸語、ゲエズ語やティグリニャ語やアムハラ語などのエチオピア・セム諸語)の2つに分けていますが、東セム諸語以外の言語の分類方法は他にも様々なものが存在します。
7 Iraqw。タンザニアのアルーシャ州とマニャラ州のイラク族によって話されている言語です。西アジアの国であるイラクではありません。
8 エチオピアのクシ語派、オモ語派に関しては、どの文字体系を用いるか定まっていない言語もありますが、その場合も文字で記録を残す場合は便宜的にゲエズ文字やラテン文字を使用することが多いです。

関連記事

  1. 吉野宏志

    古代エジプト語のヒエログリフ入門:ロゼッタストーン読解|第12回 ヒエログリフの決定符(2)|宮川創…

    前回は決定符の基本について勉強しました。今回ははじめにを前回の続きのガ…

ひつじ書房ウェブマガジン「未草」(ひつじぐさ)

連載中

ひつじ書房ウェブサイト

https://www.hituzi.co.jp/

  1. 第45回 最後のパブコメと会議資料の大幅な改変|田尻英三
  2. 第42回 早速動き始めた日本語教育施策と日本語教育専門家の対応|田尻英三
  3. 自分を変えるためのエッセイ作成術|第16回 おすすめエッセイを読む(上)|重里徹…
  4. onohan オノマトペハンター おのはん!|第7回 今回のオノマトペ:「ふっパリ」|平田佐智…
  5. 第36回 日本語教育施策の枠組みが変わる(1)|田尻英三
PAGE TOP