第11回 日本語教育施策を研究・執筆する際の留意点|田尻英三

★この記事は、2019年8月7日までの情報を基に書いています。

2019年4月26日に出入国在留管理庁から公示された「日本語教育機関の告示基準の一部改正について」は、当初6月末に公表、7月1日運用開始の予定でしたが、やっと8月1日に「日本語教育機関の告示基準の一部改正に関する意見募集の結果について」という形で公表され、9月1日運用開始となりました。「パブリックコメント:結果公示案件詳細」には、以下の項目があります。

・意見募集の結果について

・(別紙1)御意見の趣旨及び御意見に対する考え方

・(別紙2)告示基準・新旧対照条文

・(別紙3)日本語教育機関の告示基準(確定版)

これだけでは、大事な資料が抜けています。法務省のホームページにある「日本語教育機関の開設等に係る相談について」というサイトにある「日本語教育機関の告示基準解釈指針」も併せて読まなければいけません。担当部署の違いでこうなったのでしょうが、事情を詳しく知っている関係者は「日本語教育機関の告示基準解釈指針」も併せて読まなければいけないことが分かるでしょうが、そこまで詳しくない日本語教育施策に興味を持っている人には不親切な書き方です。この内容についてのコメントは、次のウェブマガジンに書きます。ただ、意見を出した人が164人だったことには、失望しました。この告示基準は日本語教育機関の存在そのものに関わるもので、現在750校近くある日本語教育機関の関係者だけでなく、日本語教員養成に関わる人や日本語教育全般に関心を持つ人(日本語教育学会の会員)が意見を出すと期待していましたが、あまりに少ない意見数に日本語教育関係者の問題意識の低さを改めて感じました。8月7日現在、この情報は日本語教育学会のホームページに出ていません。

今回の記事は、最近日本語教育施策に関わる論文や著書が出ていますが、そこには研究・執筆にあたっての留意点が欠けているものが見られますので、そのうちのいくつかを例に取って留意点を指摘します。ここで気になるのは、日本語教育の世界では「批評」が書かれてきていないので、扱われた論文や著作の執筆者の反応が読めないことです。田尻は、基本的には「書評」のない学会誌には問題があると考えていますので、まず最初に田尻が考える研究・執筆上の留意点を列挙して、田尻の立場を明らかにします。執筆者でご意見のある方は、ひつじ書房の編集部へお知らせください。

日本語教育施策を研究・執筆する場合の留意点

(これは、一般的な論文執筆にも通じる点です)

①執筆内容に関わる先行研究は、必ず引用すること。

極めて当たり前のことですが、日本語教育の世界の著作物にはかなり多くの問題点が見られます。

②執筆内容や資料は、第三者が検証できるものに限る。

特に、この点はこの分野執筆の際には注意が必要です。前のウェブマガジンにも書いたように、田尻は出席した会議の資料が公開されていない限り、その時点での資料開示については関係省庁にご迷惑がかかる可能性があるので、引用は控えます。そのために、その時点での情報提供はできないことになりますが、内々の会合だけでの裏情報提供のようなことはすべきではないと考えていますので、この姿勢は続けています。

③新聞記事などだけを使って執筆せずに、必ず関係府省のホームページの情報で裏付けを取る。

新聞記事が一概に間違っていると言うつもりはありませんが、記者に知らせた後の内部の会議などで内容が違ってくることがあるので、必ず裏を取る必要があります。これは、はっきり言ってかなり大変な作業です。Google検索などだけで情報の有無を判断してはいけません。

④入稿までの時間が許す限り、最新の情報を書き込む。

現在のように、常に状況が変わり、その時点まで施策に関わっていなかった委員会などで突然重要な意見が出ることが何度もありました。最新の情報を読者に提供するのは、研究者の義務だと考えています。

⑤不確かな事柄は書かない。

これも極めて当たり前のことですが、自分がもともと詳しくない分野の情報について、他の書籍の孫引きや又聞きで書いた事例がかなりあります。

⑥「思われる」・「考えられる」という表現は、避ける。

この分野の情報を扱う時には、その時点でどのような方向に向かうかはっきりしないことがあります。未公開の資料や情報を自分だけが持っているが、それを公表できる状況にないときに、「思われる」などの表現を使うことは理解できます。ただし、その場合は、時間が経ったあとでの評価にも責任を持つ覚悟が必要です。

以上の留意点を前提に、以下に一つの論文と一冊の著作を扱います。上に述べた①~⑥に該当すると田尻が考えた事例の説明の後に(①)のように根拠を示します。

Ⅰ西郡仁朗(2019)「介護福祉の日本語教育の現状と支援者の育成—介護の日本語Can-doステートメントを中心に—」『日本語教育』172号

 

  • この論文で扱われている資料は、このウェブマガジンで先に扱っているのに、引用されていない(①)。

 田尻編著の『外国人労働者受け入れと日本語教育』は引用されていますが、この本は2017年に出版したもので、それ以降の情報は、このウェブマガジンに書き続けています。西郡さんの姿勢は、日本語教育学会社会啓発委員会と同じものです。

第10回ウェブマガジンに書いた「外国人介護人材の介護技能及び日本語能力の評価方法に関する調査研究事業【報告書】」は、西郡さんが主としてまとめた公開されている大事な資料なのに、この論文の「注」にも「参考文献」にも挙がっていません。田尻は報告書の「入国時点での日本語のレベルを過度に求めるのではなく」ということと、22ページにある西郡さんも関わったはずの日本語教育学会の要望書にある「N4は,抜本的に見直し」に当然西郡さんは共鳴しているはずですから「今後も参照されるべき内容だと筆者は考える」と書いていますが、この二つの考え方は矛盾していると考えます。これは、大変大事な点です。

  • 19ページ表1が最新の情報ではない(④)

EPAについては、5月10日に、国家試験不合格者で一定の条件を満たせば、特定技能1号に移行できることが厚生労働省から公表されました。

技能実習生の項も同様で、来日2年目でN3に合格していなくても在留できることは前にも述べました。

 特定技能1号の項にある「日本語能力判定テスト(仮称)」は、現在は「国際交流基金日本語基礎テスト」という名称になっています。これは、論文の締め切り時には間に合わなかったのかもしれません。

  • 22ページには、西郡さんたちの研究は東アジア・アセアン経済研究所からの委託研究となっているが、そのことを示す同研究所のサイトのURLを示すべきである(②)。

20ページにも30ページにも「東アジア・アセアン経済研究所」となっていますが、正式には「東アジア・アセアン経済研究センター」です。田尻は、このセンターのホームページに西郡さんの委託研究の項目を見つけることができませんでした。24ページにも、「介護の日本語Can-doステートメント」が委託研究となっています。この点のご教示をお願います。

  • 20ページに「効果があったと思われる」、「必要度が高まっていると思われる」、「大きな成果であると考えている」とあるが、こう考える根拠が示されていない(⑥)。

24ページにも「広く受け入れられていくように思われる」という表現が見られます。西郡さんがそう考える根拠を示してほしいと思います。29ページにも、「これが完成すれば(中略)提供できるのではないかと考えている」とありますが、田尻は、完成前にこのようなことは書きません。

田尻は、評価については第三者によるものを利用すべきで、自分で評価すべきではないと考えています。

  • 23ページの「アジア健康構想に向けた基本方針」は2016年となっているが、2018年7月25日に改訂版が出ている(④)。

改訂版の12ページの「人材還流」には日本語教育に触れていますが、この項でも、主眼点は外国人介護労働者の出身国での事業展開です。2019年6月5日に開かれた「第4回 アジア健康構想推進会議(アジア健康構想ワーキンググループ)」では、その名称とは異なり、対象はアフリカになっています。

  • 26ページに、「2018年度から、民間事業者が『技能実習2号』の取得時に必要な介護の日本語テストを作成することになっている」や「今後(中略)継続的な検証(主に国際交流基金チームが担当)を行っていき」となっているが、このような情報は現時点では公開されていない(②)。

介護職種の技能実習2号移行時に「介護の日本語テスト」が行われることは、厚生労働省の「技能実習『介護』における固有要件について」などには出てこない情報です。2号移行時は、N3または、J.TEST,NAT-TASTの同レベルの試験だけが課されるとされています。これは、非公開の情報を書いたのでしょうか。国際交流基金チームのことも、公表されていません。非公開の情報なら、その旨を書いてほしいと思っています。

  • 29ページの「日本語教育者が、実際の日本社会には『忙しくて構ってくれず、優しくない』人も多いことを伝えることも重要であろう」とあるが、田尻にはその意図がわからない。

「日本語教育者」という概念もわかりませんが、その後の箇所は何のために学習者に伝えるのでしょうか。「悪い日本人も多いが、がまんしなさい」ということなのでしょうか。ご教示ください。

  • 29ページの「初めから『特定技能1号』で来日し、5年間の滞在でも在留資格『介護』の取得は不可能ではない」の根拠を示してほしい。

わざわざこのようなことを言いだす意図も、田尻にはわかりません。

Ⅱ牲川波都季編著(2019)『日本語教育はどこへ向かうのか—移民時代の政策を動かすために—』くろしお出版

 

この本は、日本語教育施策の研究書だと思って読んでいったのですが、「『特定技能』をめぐってここ(田尻注:この章だけのことを指すのか、この本全体を指すのか不明)に私(田尻注:牲川)が書いてきたことは、疑念と仮説の集合にすぎません」(154ページ)と書いてあるのを見て驚きました。さらに、「本当にそうなのかについては、実態を検証しなければなりません」や「学術的な裏付けのある方法によって、普遍性のある答えを導き出すことが可能です。また研究はそのようにあるべきとも思います。」(155ページ)ともあることを併せて読めば、この本は学術的なものでもなく、研究でもないということになります。しかし、多くの読者は表紙にあるように「日本語教育界の現状」を書いた研究書として購入するのではないでしょうか。しかし、田尻は、牲川さんがたとえそのように言ったとしても、ここでは副題にあるような「移民時代の政策を動かすために」書かれた研究書という体裁をとった本として扱うべきと考えて、以下に問題点を指摘します。

  • 明瞭な誤りがある(⑤)。

「就労のバックドア」(24ページ)や「外国人を入れるためのバックドア」(40ページ・42ページ)などはありません。外国人で非正規労働者が就労していることを指すのが「バックドア」です(望月優大(2019)『ふたつの日本』講談社現代新書89ページ参照)。

「一九九〇年には入管法の改正」(152ページ、153ページ)は、田尻が今まで何度も指摘したように、1989年の間違いです。1990年は改正入管法の施行の年です。日本語教育の世界では、多くの人がいまだにこの間違いを続けています。この2点は、訂正すべきです。

  • 実際とは違う思い込みがある(⑤)。

「だから今は、言わば、そういう悪徳学校を『泳がしている』んだと思うんです」(40ページ)や「これまでは悪徳学校を『泳がしている』状態だった」(151ページ)のような記述は、間違った思いこみです。田尻もこのように問題のある日本語教育機関が存在することは良いとは思っていませんが、それを改善するために法務省の委員会で発言もしていますし、担当部署の方々の日ごろの努力も見てきています。決して「泳がせている」のではありません。この点も、きちんと訂正すべきです。

細かな点での思い違いもかなりありますが、ここでは一々指摘しません。それを書くと相当な量になります。

  • 有田さんと牲川さんが書いてある日本語教育学会の過去の経緯と現在の状況の説明は、直接にこのウェブマガジンの内容と重複する(①)。

ここでも、日本語教育学会社会啓発委員会・西郡さん・この本の著者たちの田尻の著作物(「文献一覧」には田尻の本を2冊挙げていますが、このウェブマガジンは挙げていません)を無視する姿勢が一貫して表われています。

この件をいくら書いても、この方たちはこのウェブマガジンを読んでいないので、「暖簾に腕押し」といった状態です。

  • この本を書くためにやりとりしたメールの内容をそのまま描いた箇所がかなりある。

「『はじめに』の草稿を読んできて」、「これまでメールでかなり議論してきました」(共に37ページ)、「(本書のための改稿原稿に)ちょっと入れなきゃいけないな」(38ページ)、「メールのやりとりでも、そこのところがやや舌足らずだったかもしれない」(79ページ)、「有田さんがメールで書いていらっしゃいましたけれど」(82ページ)などを読むと、読者は著者たちの話に置いていかれていると感じます。編集の段階で調整すべきだったと考えます。

  • 日本語教育学会がロビー活動をして「日本語教育の推進に関する法律」の成立に関わった具体的な例を示すべきである(②)。

 27~28ページにある日本語教育学会が委員会を設置したことによる「ロビーイングも奏功し」たおかげで超党派の議員連盟が設立されたという事例の根拠を示してほしいと思います。田尻は、学会内に委員会を作ることがロビーイングとは考えません。「私としては、わりと日本語教育学会がロビーイングして、(中略)学会が時間をかけてかなり頑張ってくれたんじゃないかと思っています」(44ページ)、「日本語教育は政治に直接の働きかけを行っていて、政策に影響を与えようとしている」(55ページ)などは、どのような情報に基づいて発言しているのでしょうか。田尻は、これまでもたびたび日本語教育学会に動いてほしいと発言してきましたが、今まで何の反応もありませんし、日本語教育学会のホームページにもそのような情報はありません。しかし、このように一部の人には、ロビー活動をしているという情報が伝わっているとしたら、学会としては不健全な姿だと言わざるをえません。この本の執筆者の一人である寺沢さんは、日本語教育学会がロビー活動をしたと信じているようです。「僕は、日本語教育学会が議員連盟の法制化を進めたという話に、部外者としてですけど興味があって」(43ページ)「日本語教育学会からの働きかけもそこそこあった」(44ページ)、「日本語教育のアクティブさっていうのは、純粋に羨ましいなとは思います」(53ページ)などがそれです。また、庵さんは「だからもしロビー活動するんだったら」(49ページ)、「ロビー活動するんだったら」(50ページ)、「ロビー活動をやるとしたら」(51ページ)と言い、牲川さんも「ロビーイングの方向としては」(55ページ)というように、アドバイスしているような言い方をしている点は気になります。この方々は、ご自身でロビー活動をしたのでしょうか。田尻がした活動についてはすでにこのウェブマガジンで述べています。

  • 新聞記事だけで話を進めている(③)。

これは多くの例があるので、ここでは実例を挙げません。

  • 意図がよくわからない表現がある。

「日本語教育で物申すという人やメディアに載っている人は、ほとんどいないですよね」(138ページ)、「取り組む人が少なすぎるという課題があります」(143ページ)、「過去の情報が芋づる式に出てくるだけでなく、新たな情報が刻々と加わり、全体的な様相をつかむのに苦労しました」(158ページ)などは、情報の集め方を変えればこのような表現にならないのではないかと考えます。少なくとも、この分野で発言する人は増えています。

「政策での実現可能性というより、現状を暴露するだけでもやらなきゃいけないのかなと思います」(141ページ)と牲川さんが思っているのなら、「暴露」してはいかがでしょう。このような思わせぶりな表現は気になります。

 些細な点ですが、「後ろ手に回って」(150ページ)は、「後手(ごて)に回って」の間違いですよね。念のために『日本国語大辞典』などを調べましたが、このような用例は見つかりませんでした。

 

★最近は日本語教育施策を扱う論文なども出てきましたので、この分野を研究・執筆する人に対して田尻なりの考え方を示しておくべきだと考えて書きました。対象としたのは、影響力のありそうな二つの著作です。田尻は決して「非難」したわけではないことはご理解ください。今後このような研究を進めていく際の手順について議論しておくことは大事なことだと考えてしたことです。ここで言及した方からご意見があれば、ひつじ書房の編集部にお寄せください。

 

 

 

 

 

 

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