平成文学総括対談|第1回 文芸豊穣の時代|重里徹也・助川幸逸郎

層厚く多彩な作品

助川 いっぽうで、震災を直接描かない「震災後文学」というのもある気がして。たとえば、重里さんが以前おっしゃっていたことですが、吉田修一は悪意とか怨念を描く作家としてデビューしたのに、近年の『路(ルウ)』(二〇一二年)ではまったくちがう方向性を打ち出してきた。

重里 台湾に新幹線を建設する話ですね。

助川 二〇〇八年(平成二〇年)のリーマンショックと二〇一一年(平成二三年)の東日本大震災があわせて一本で、平成を前期と後期で区切っていると私は思います。

平成前期は、「個人の怨念」とか「システムからはみ出したアウトロー精神」とかが、システムでは解決できない矛盾に立ちむかう、という物語が好まれました。これは小説、マンガ、アニメ、どの分野でも共通です。『デスノート』とか『コードギアス』とか。

平成後期になると、個人ではぜったい勝てない津波とか原発事故とかに直面した結果、「みんなでがんばる方式」でないと問題は解決できないと人びとが思うようになった。

樋口真嗣が中心的な役割を果たした『日本沈没』(二〇〇六)と『シンゴジラ』(二〇一六)のちがいに、平成前期と平成後期の対比は如実にあらわれています。『日本沈没』は、豊悦(豊川悦司)が演じる「学会から疎外された天才科学者」のアイデアで日本が救われる。『シンゴジラ』でゴジラを冷温停止に追いこむのは、対策チームの集合知です。

重里 振り返って眺めると、吉田修一は作家として存在を大きくしていく過程が、平成前期から後期への日本社会の移り変わりと見事に対応しているように見えます。「悪意」の作家から、人間の悪も見据えた「共同による達成」を描く書き手へと。

私はそこの問題を、こう考えます。吉田にかぎらず、九七年に登場してきた作家は、前述したようにみんなザラザラした感覚を抱えている。現実に対して拒絶反応がある。しかし、それだけでなく、もっと人間の善意に賭けるような、別の資質も、もともとあった。その部分がさらに豊かな実りをもたらしたのではないか。

助川 私が「リーマンショックと大震災のあわせて一本説」を唱えるのは、バブルのころからひろまっていた「特別な私になりたい症候群」――「ブランドものを身につけ、「プレス」とか「プランナー」とか、カタカナ書きの職業に就くこと」をめざす――が、リーマンショックで完全に終息したと感じているからです。「個人にできること」への期待値がいっきょにあの段階でさがりました。アニメなんかで「日常系」が流行ったのも、それぐらいからです。

重里 事件で一気に状況が改まるのではなく、徐々に進んでいた変化を事件が表面化させた、という見方のほうがいいのではないでしょうか。ともかく、「孤高の天才」より「連帯」に共感する方向へと、人心が向かっていったのはまちがいない。

助川 作家個人がもともともっていた才能だけでなく、じぶんの資質とマッチする状況に出会えるかどうかが、「どこまで作家が大きくなれるか」を左右するのですね。

重里 九七年前後に登場した作家でいうと、阿部和重がエースだろうと我々みんな思っていました。

助川 私もリアルタイムではそういう感じがしていました。

重里 阿部は『シンセミア』を二〇〇三年(平成十五年)に出してある達成を遂げた。二〇一〇年(平成二十二年)には『ピストルズ』が刊行された。彼のその後をどう考えますか?

助川 ものすごくインパクトのある新展開、というのはないのかもしれません。

重里 一群の作家たちのなかで、現時点でトップを走っているのが吉田修一、という印象があるのは、たいへん興味深いです。

助川 ただ、阿部さんの映画評論を見ると、ものすごくオーソドックスな教養のある人、という印象をうけます。これから傑作を書く期待は、じゅうぶん持てるのではないでしょうか。

重里 もちろんです。これからが本当の勝負でしょう。赤坂真理にも、天皇の戦争責任を追及した作品がありましたよね。

助川 二〇一二年(平成二四年)の『東京プリズン』でしょうか。

重里 乾坤一擲の作品という感じがして、感慨深かったです。

助川 重里さんの考えるこの世代の作家に、角田光代なんかも入るのでしょうか?

重里 直木賞受賞は二〇〇五年(平成一七年)ですが、九〇年代初めにはデビューしていました。

助川 ある編集者から聞いた話なんですが、どこの出版社でも、「このままではダメだ」と角田さんのことを思ってたらしいですね。それが二〇〇三年(平成一五年)の『空中庭園』で小説の書きかたに開眼して、そこからメジャーになったとその編集者の方はいっておられました。

重里 私が「小説の不振」を感じていた時代の文学状況に、角田の資質があっていなかったということではないですか。「物語を書いていいんだ」「女の生きかたをテーマにしていいんだ」と開きなおったとき、角田の本領が発揮されるようになったように見えます。

助川 「小説を書くことについて小説を書く」時代には、ひろく読まれる小説が生まれにくかったということでしょうか。

重里 その点は否定しきれないと思います。小川洋子をとても大切な作家だと思いますが、彼女も一時期、好調ではない時期がありましたよね。

助川 角田光代も小川洋子も、はじめは女性の自意識とか生理感覚みたいなものを書いていた作家だと思います。『空中庭園』や『博士の愛した数式』で、もっとひろい世界を対象とするようになって、作家としてもステップアップした。

重里 それから、平成の作家として辻原登、このひとの名前ははずせません。

助川 辻原さんは「大家」という印象なので、昭和から書いていたような印象があるのですが、デビューが一九九〇年(平成二年)で、完全に平成の作家なのですね。

重里 一作ごとに新しいことにチャレンジして、どんどん新境地を見せていく。

助川 単なる「成長」というのを越えていて、シンゴジラみたいですよね。辻原第一形態、第二形態という感じで。

重里 私は『冬の旅』をベストテンにあげましたが、恐ろしい作家だと思います。小説というものの底知れない魅惑を一作ごとに実感させる書き手ですね。物語を紡ぐ書き手としては奥泉光も力作を書き続けています。

助川 今回おもに話題にした「平成になって出てきた作家」のほかに、大江健三郎も書きつづけていましたし、古井由吉ももちろん無視できません。それから、村上春樹、村上龍、宮本輝は先日、三十年以上をかけて書きついだ『流転の海』を完結させました。「昭和作家」だけを見ても、相当活躍しています。

重里 小川国夫、黒井千次といった作家たちも、作品世界を着実に深化させて、大きな実りをもたらした。佐伯一麦の仕事と合わせて、私小説を高度化したり、広げたりした作家たちが読み応えのある達成を見せたのも平成の日本文学でした。

助川 私が若かった八〇年代にくらべると、平成文学はほんとうに層が厚い気がします。

ただ、昭和末期に青春をすごしたのですが、あの時代は「文芸批評」がほんとうに強力でした。「文学青年が将来なりたい物書きの理想像」といえば、中上健次や「両村上」よりも、蓮實重彦や柄谷行人という感じが、私の周辺ではあった気がします。ところが平成になって、先にも申しあげたとおり、「文芸批評」はあきらかに衰退した。それが何を意味するかも、これからの対談で考えていければと思います。

 

 

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