これからの英語教育の話を続けよう|第3回 小学生と語る「なんで小学校で英語やるの?」|寺沢拓敬

 

誰が教えるのか

寺沢:この改革について最後に考えたいのが、誰が教えるかっていう問題だね。

太郎:担任が教えるか、専科教員が教えるかっていう選択ですね。

寺沢:文科省は今回も「担任が教えるべし」と言っている。

太郎:これまでの外国語活動やその他の状況を踏襲したっていうことですね。

寺沢:そのとおり。前例踏襲。でも、外国語活動と教科としての英語科は制度上違うわけだから、無理に前例を踏襲しなくてもいいと思うけどね。

太郎:たしかに。

寺沢:この一個前の学習指導要領改訂のときには盛んに言われていた「子どものことを一番良く知っている担任が教えるのがよい」論、今回はあまり聞こえなくなってしまった。

太郎:ああ、ちょっと前に話していた「コミュニケーションの大切さを教えるため~」って話ですね。

寺沢:そう。最近になって「コミュニケーション能力の欠如した子どもたちに、その大切さを英語活動を通して教えたい! それなら担任が適任!」と言ってる人はぱったりいなくなってしまった。

太郎:文科省の公式見解にまで入ってた話だったのに!?

寺沢:2020年度からだって、外国語活動は小3・小4で継続する以上、急に消えるのは奇妙だよね。

太郎:変ですね。

寺沢:邪推するなら、このレトリックは、10年前、外国語活動を導入する時にだけ便利だったってことだろうね。

太郎:それとも、僕らのコミュニケーション能力がこの10年でぐんぐん上がって、コミュニケーション能力が欠如している子どもは日本から消えたってことでしょうか!

寺沢:そうであれば、たいへんよろしいことだね。まあ、文科省側の本音としては、教科としての英語が入ってきた以上、「周辺的な」目的論を展開する余裕はなくなってしまったという辺りだろう。英語の発音とか文字学習とか基本表現とかそういったことにエネルギーを費やさなければいけないわけで。

太郎:でも、そうであれば、それこそ専科の先生の出番って感じがするんですけど・・・。

寺沢:そうだね。正直、今回の改革で「担任が教えるからこそ良い」を強弁するのはなかなか難しいと思うよ。

太郎:「コミュニケーションの大切さを教える」という名目の外国語活動ならまだしも、教科の英語ですからね。

寺沢:うん。だから、実情としては「担任が教えるのが良い」というよりは「担任に教えさせるしかない」ということだろうね。

太郎:どういうことですか?

寺沢:要は、お金がないってことだよ。

太郎:お金?

寺沢:専科教員を新たに雇うお金がないってこと。だから、今いる先生にやらせるしかないってこと。

太郎:専科教員を雇えないから、担任にやらせる・・・。

寺沢:そんなとき、とても重宝されたのが「担任が教えるからこそ良い」論。

太郎:予算不足への方便に、「担任主導」というのが使われたわけですね。

寺沢:もちろん、総合学習や必修化以前の英語活動のときは、担任が教えるからこそ良い場合があったことは間違いない。だって、そういう覚悟・適性・能力のある先生が、自ら選んでやってたわけでしょ。

太郎:でも、同じ理屈が、必修化された後にも当てはまると考えるのは楽観的すぎますよね。

寺沢:うん。ただでさえ多忙な小学校の先生にさらに負担を強いる。それも一律に。それが、必修化だからね。

太郎:はあ。

寺沢:こういう事情もあって、最近、文科省は、来年度、専科教員を雇う予算を新たに確保したと発表したよ。

太郎:そうなんですか。

寺沢:1000人増。ということは、20校に1人くらいの増員だから、「焼け石に水」感はあるけど、もちろんないよりはマシ。朗報には違いない。

太郎:あー、でも、今までさんざん「担任が教えるからこそ良い」と言ってきた人は、どう反応するんだろう。

寺沢:悩ましいところだね。この点に関して僕は「担任が教えるからこそ良い」論を推し進めてきた人たちに言いたいことがある。自分たちが編み出した理屈が、現に担任の先生たちに大きな負担を与えている。予算不足を覆い隠す体の良い方便に使われてしまっている。このことをどう考えるのかということね。もちろん最初に「担任が教えるからこそ良い」と言い出した人たちは善意でそう言ってたんだと思うけど、もう少し政策のマクロ的な帰結を考えてほしいと思う。

太郎:・・・。でも、みんな必死で頑張ってレベルアップして教壇に立てるようになれば御の字ですよね。

寺沢:推進側はそういう希望的観測を言うけど、それが本当に実現可能なのか何ら根拠をあげない。抽象的な話ばっかり。「これこれこういうフォローをして、こうすれば対応できるようになるんです」みたいな丁寧な説明はなく、「もう決まったんだから、一生懸命対応しなくちゃなりません!」と叫ぶのみ。

太郎:要は精神論ってことですか・・・。あ、でも、研修とかあるんじゃないですか。

寺沢:もちろん。小学校英語はもう目の前に迫っているから、国も自治体も必死で先生たちに研修を受けさせている。でも、絶対的に足りないよね。ただでさえ過密状態の小学校の先生のタイムスケジュールに、ねじ込む形で研修を入れているわけで。

太郎:ええ・・・。他業務を一部免除にしたうえで、研修に専念する時間を捻出してくれてるわけじゃないんですか。

寺沢:無理無理。そんな予算はついてないからね。

太郎:それはキツイですね・・・。

寺沢:うん、ものすごく厳しい状況だ。でも、この難局は、昨日今日で生まれたわけじゃない。もっと言えば、今現在の文部大臣や文科省の役人が無能だからこうなったわけでもない。今までの積み重ねの結果なんだ。

太郎:歴史から考えるというのは、これまでの小学校英語の経緯を踏まえて、現状を考えるということなんですね。

寺沢:その通り。歴史を見たからと言って簡単に解決策が見つかるわけでもない。むしろ、歴史を見れば見るほど、現状の困難さが見かけ以上だということがわかるだろう。でもね、出発点としてこの困難は絶対理解しておくべきだよ。さもないと、安易な楽観論に飛びついてしまったり、あるいは逆に、安易な犯人探し──「◯◯が諸悪の根源。◯◯を取り除けばみんな良くなる」みたいな話で納得してしまったりする。

太郎:うーん、難しいですね。でも、今日の話を聞けて良かったな。経緯を聞くことで、現状にはそれ相応の事情があるってことがわかりました。春から先生がてんやわんやでも、少しは優しい気持ちで見守れるかな。

寺沢:それを聞けてうれしい。語った甲斐があったよ。あと、その美談オチ、締めとして最高。

太郎:見切り発車の対話形式で、一時はどうなるかと思いましたけど、なんとかきれいに収まりましたね。

 

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