千田洋幸

  1. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|最終回 批判的知性の意義について|千田洋幸

     いまさらではあるが、「国語教師の“単独性”」という本連載のキーワードに違和感をいだかれた人もおおかったことだろう。柄谷行人『探究Ⅱ』に拠るなら、「単独性」と…

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  2. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第11回 教師「である」ことと教師「する」こと|千田洋幸

     予備校や塾の講師、高校での非常勤講師などもふくめると、教師という立場に自分をおいてからすでに40年以上が経過しているが、いまだに「先生」と呼ばれることにかす…

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  3. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第9回 誤読の有用性について|千田洋幸

    「読むこと」の学習に誤読はつきものだ。大方の国語教師は学習者の誤読に日常的につきあわされているだろうし(時にはそのために授業の方向が大きくずれたり…

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  4. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第8回 教室のタブー/教材のポテンシャル|千田洋幸

     みずからの教材論を授業実践とどう有機的にむすびつけるか、というテーマは教師にとって永遠の課題だろうが、教材論に文学研究や批評における成果…

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  5. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第7回 理論を知る―使うということ/前回の記事に対する田尻英三…

     私たちはしばしば、「◯◯理論を使用して△△を研究する」という言い方をする。語り論の観点から小説教材を分析する、読者論の方法を生かして詩教材を分析する…

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  6. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第6回 「ひたすら実践に励むこと」の陥穽|千田洋幸

     世の大学はそろそろ卒業シーズンを迎えつつあるが、私は教職に就くことになっている勤務校の卒業生たちに、「目の前の授業や校務を懸命にこなしている内に、あっという…

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  7. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第5回 ポップカルチャーのリテラシーについて|千田洋幸

     いま、2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』最終回を見終わり、出来のひどさに辟易する感情を持てあましながらこの文章を書きはじめている。水準の低い脚本、幼稚…

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  8. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第4回 「賭け」としての教育|千田洋幸

     十数年ほど前であろうか、出身大学のOB達と飲んでいたとき、メンバーの1人(A氏としておこう)が勤務している重症心身障害児支援施設での出来事が話題となった。A…

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  9. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第3回 戦争文学教材から“戦争”へ|千田洋幸

     先日、初年次教育の授業でリテラシーの問題を扱った際、試みにナイラ証言のエピソードを紹介した。ナイラ証言とは、イラクがクウェートに侵攻して約2か月後、「ナイラ…

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  10. 国語教師の“単独性”はどこにあるのか|第2回 教材を「研究」する意義について、あるいは国語科教育研究…

     前回は、学校教育・教科教育の場に蔓延する子ども中心主義こそ、棄却されるべきイデオロギーであることについて語った。このことは、「子ども好き」であることが、教師…

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  1. 平成文学総括対談|第6回 物語は死なない|重里徹也・助川幸逸郎
  2. [書評]海老原志穂(著)『アムド・チベット語文法』 東京:ひつじ書房、2019 …
  3. 少なすぎる公共図書館の資料費|第1回|山重壮一
  4. ことばのフィールドワーク 薩摩弁| 第8回 様々な言語デイタ (1) |黒木邦彦…
  5. 第49回 外国人労働者受け入れの政府の新たな方針|田尻英三
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