〈社会システム〉として言語教育を観察していく| 第四回:ルーマンに依拠しながら言語教育のひとつの学習目的 「相互理解(mutual understanding)」をかんがえる |新井克之

Ⅰ.はじめに

ルーマンの社会システムとはコミュニケーションなくして存在しえない。社会システムの基盤となるコミュニケーションは、二つ以上の心理システムにおける〈自己〉と〈他己〉、またそれら〈自己〉と〈他己〉それぞれが作動する〈予期〉と〈予期の予期〉による〈情報〉〈伝達〉〈理解〉のやりとりによって成立する[i]。このように生まれては消滅し、自己生成するコミュニケーションの連鎖こそが社会システムであり、いわゆる我々が思い浮かべる「社会」である。つまりルーマンにもとづくならば「社会」とはコミュニケーションを最小単位としたさまざまなシステムの集合体である。では、わたしたちはいかにしてコミュニケーションを自己生成しながら、「社会」はこれまで存続しえたのか。

Ⅱ.社会システムの変遷

ルーマンによれば、社会システムとは、家族や親族を根本とする〈環節的分化されたシステム〉を創始とする。それは現在の社会システムと比較すれば、シンプルな構造であった。しかし、各システムは時間の経過にしたがって不可逆的に〈複雑化〉していく。各システムはシステム外部環境を〈差異〉にもとづいて〈意味〉付けしていくことで各サブシステムに選り分けるからである。こうして選り分けられ〈分化〉したサブシステムは、お互いがお互いにとって〈環境〉となる。家族や親族を根本としながら選り分けられて、環節的分化した社会システムから、やがて、「身分」や「位」の〈差異〉に応じて意味づけされることで分化する〈成層的分化されたシステム〉へと社会システムは変容していった。それからさらに、〈社会の複雑性〉が不可逆的に増加していくにしたがって、近代になり現代にまでいたるシステム、すなわち〈機能的分化されたシステム〉に移行する。

機能的分化されたシステムは、各システムが〈意味〉を選り分けるためのそれぞれが〈コード〉を持ち、各システム特有の機能を担うことでシステム存続する。たとえば、科学システムは「新しい知識を担う」という機能のため、「真か/偽か」かという〈コード〉によってそれぞれの〈意味付け〉しながらシステムを創発し、自己生成し、システム存続する。この〈機能的分化されたシステム〉には、ほかにも経済システム、法システム、経済システム、科学システム、政治システム、そして教育システム等があり、各々の〈コード〉を持っている。前述のように各システムにとって、自己以外のシステムはそれぞれが〈環境〉となり、これら異なるサブシステム同士は、それぞれが〈環境〉となって相互に影響を与えあって自己生成している。またそのサブシステム同士が複合している。こうして究極的には〈全体社会〉を形成する。ある政治システムはときに経済システムや法システムとのお互いがお互いのシステムの〈環境〉となり影響を与えあう。科学システムは経済システム、政治システムと相互に連関し合ってシステム存続するように、経済システムは、科学システム、政治システム、そして教育システムにも多くの影響を与えてシステムを存続させている。

つまり、わたしたちが仮に名付ける「言語教育システム」の観察をする際は、このようなシステムの有している〈複合性〉を大前提とする必要があり、各システム同士の〈環境〉の影響を無視することはできない。ということは、言語教育システムは、たとえば政治システム、経済システムといった諸外部環境の影響から逃れることはできない。

Ⅲ.「相互理解」という目的

各サブシステムの複合にあって存在する〈言語教育システム〉はどのように存続してきたのか/いくのか?教育システムは社会で行われるコミュニケーションの態度や能力を育成するという機能を持ち、「より良い/より劣る」というコードによって選り分けながら自己生成する。言語教育システムでは、たとえば、「よりよい成績をとる/取らない」というコードによってシステム存続することが容易に想像できるであろう。

本稿では言語教育の目標や目的、ゴールとして設定される機会が多く、近年にわたって使用される典型例として「相互理解」という学習目的、学習目標を基準にしながら言語教育システムについて少し考えてみたい。「目的」とはルーマンによれば、「適度に複雑で不透明で激動する環境の中での方向付け[ii](ルーマン1990:ⅳ)」として機能する。たとえば「相互理解」という概念は、国内においては既に激動する戦時下という環境下で称揚理念として掲げられていた大日本帝国時代から2023年現在にいたるまで、ひろく使用されつづけている[iii]。この「相互理解」という概念は、耳障りがよく、「『相互理解』のための日本語教育」といえば、ほとんどの課題や問題が解決したようである。じっさい、日本語教育分野では、国内での文化庁の「日本語教育の参照枠」や、海外における日本語教育における外務省所轄特殊法人の国際交流基金が推進する「JF日本語教育スタンダード」でその理念において核となる概念として取り上げられているように、近年においてさらに勢いを増しながら「相互理解」という用語は使用されつづけている。

上記の二つの枠組みが依拠するのがここ数年来、言語教育界で話題となっているヨーロッパ言語共通参照枠組み(以下、CEFR)でありその影響力は甚大である。そしてまた、このCEFRでも「相互理解」は登場している。CEFRはEUにおける言語教育政策の五つの概念「複言語・複文化主義」「言語の多様性」「相互理解」「民主的シティズンシップ」「社会的結束」を土台にした理念を持つ。つまりCEFRでは、これまでの単一言語、単一文化による言語教育ではなく、一人ひとりの人間内部に、複数の言語や文化を内在し、多種多様なバックグラウンドを持つ〈自己〉と〈他己〉によるコミュニケーションによる「相互理解」を促し、そのような、民主的シティズンシップを育むことで、社会的結束を深めようとする理念をもつ。ここには、CEFRが生まれる背景として、フランスとドイツを中心とする民族間の軋轢が引き起こした第二次世界大戦時の反省があり、大戦以降、異なった背景をもつ個々がお互いを理解し合い、社会的結束を高めて、ひとつの共同体として、存続していくための意志が根底に存在しているのだろう。つまり、ここには議論のための権力関係や時間的・空間的制約を一度括弧にいれて、お互い対等、平等な立場に立って、コミュニケーションしていこう、という前提がある。はたしてこの議論のための権力関係等を一度括弧に入れたコミュニケーションの前提はどこから由来するのか。

Ⅳ.ハーバーマスと「相互理解」

CEFRを育んだEUの世界観、権力関係や空間的制約といったあらゆる制約から解放され、議論する者の背景や環境をお互いがお互いをまずは括弧にいれた「公共圏」での議論による社会形成をめざすといった概念を理解するために、もっとも手助けとなるのは、ハーバーマスの「理想的な発話状況(ideal speech situation)」[iv]におけるコミュニケーション的行為理論であろう。彼の代表作であるコミュニケーション行為理論においてハーバーマスは彼が考案した上述の「公共圏」の概念を用いながら、このような理想的発話状況について述べる。その一例として有名なのは、彼の代表作『コミュニケイション的行為の理論[中]』で挙げられる講義の際に水を頼む事例である(ハーバーマス2001[1986] pp. 46-49)。

たとえば教授が講義中に水を頼むような場合、まず理想的な発話のためには、人々は真に平等に議論を行うことができ、その議論によって人々の合意(了解)に達することが可能となるような公共圏が存在することが大前提である。この公共圏では、だれもが、発言を許され、一定の節度を持って議論できるような環境である。たとえば教授が学生に水を持ってきてくださいと頼む際、公共圏であれば、学生は「水道が近くにありません、授業中に戻ってこられません。」といった「真理性」に基づいて反論することが可能となり、教授は「いえいえ、水は近くにあるはず」とまた同様に応えることができる。またさらに、学生は「学生は使用人ではありません」と「規範の正当性」から反論できるが、教授は「命令ではなくお願いである」と議論することができる。さらに、学生は「教授は本当は喉が渇いていないのではありませんか。本当は私を追い出したいのでは?」返す場合は、「いえいえ、私は本当に喉が渇いているのだ。それは嘘ではない」と「主観の誠実性」を用いて反論することも可能となる。

このように彼らをとりまく権力関係といった制約を一度括弧に入れて、何物にも制約を受けないという理想的発話状況下での討議による合意形成を目指す。

では、このような議論の場である公共圏が市民によって自制的に形成していくような理想環境とは現実的なのだろうか。それはCEFRの基本理念のように、それぞれの人間の「主体」がそれぞれ「複言語・複文化」のチャンネルをもち、それぞれが「言語の多様性」を尊重することができ、またそのような理想的な議論で、お互いが「相互理解」し市民が市民によって「民主的シティズンシップ」を形成し「社会的結束」が育むような公共圏は理想的ではあるだろうが、はたして現実的なのか。

Ⅴ.ハーバーマスとルーマンによるコミュニケーション論の相違

ハーバーマスは、人間としての主体の発話、主体概念が形成するコミュニケーション行為を基本に据えるが、ルーマンはハーバーマスが、人間を、理性を持つ「主体」概念を根幹としていること自体に異議を唱える。ルーマンの社会システム理論とは、長年拘泥してきた人間の主体間のコミュニケーション、ひいては、その主体概念そのものをシステムととらえることで一度解体して、徹底した機能分析によって再構築を目指しているのだ。

ルーマンによれば、各システムは、システム外部の〈環境〉の〈複雑性〉を〈意味〉によって縮減することによってシステムを存続維持することができる。ちなみにこの際の〈意味〉とは言語化される事象に限らない。(e.g. 各臓器が消化に必要なものと必要でないものを選り分ける)ルーマンによれば心理システムを基軸に作動するコミュニケーションが社会システムを構成し、その各システムの絶え間ない変容こそが、いわゆるハーバーマスのいう「コミュニケーション行為」に値する。つまり、システム論に依拠するならば、各システムは環境を無視したり、影響を受けたりしないわけにはいかない。したがってルーマンにいわせれば、諸環境、システム外部を括弧にいれたハーバーマスの述べた理想的発話状況は、現実的には存在しえない。

理想的発話状況とは、そもそも根本的に複雑で想像を絶するほど多様な世界環境を一度括弧にいれて、「平準化」し、「透明性」を得ることを前提としてコミュニケーションすることを目指す。しかし、この理想的発話状況とは、ルーマンの理論に依拠するのならば〈複雑性の縮減〉によって作成されたひとつの概念にすぎない。同様にまたCEFRの理念もひとつの理想的な概念ではありうるが、現実的ではない。

Ⅵ.「相互理解」の実相

ルーマンのシステム理論にもとづいたコミュニケーションは〈情報〉〈伝達〉〈理解〉によりそれぞれの全体社会の一部を構成する心理システムが変容する。このコミュニケーションによって創発する心理システム内部の〈理解〉が「相互理解」と妥当するかもしれない。しかし、この「相互理解」の実相ともいえる心理システム内部の変容について、観察し考察するにはどうするべきか、という課題が残る。刻一刻と確実に変化しているこの心理システム内部における〈理解〉の確認方法として、心理学分野にたより、たとえば定量的なアンケートで測るか、脳科学分野に依るか、それともより複合的にとらえるべきか、多変量解析、質的調査等が妥当かどうかは未だに分からない。

しかし、言語教育の現場で少なくともたしかに言えることは、背景や世界認識といったバックグラウンドが異なる〈自己〉と〈他己〉のカップリングにおいて、〈情報〉〈伝達〉〈理解〉に必要となる話法や作法を学習している事実である。たとえば、日本語母語話者である自己が、かりにスペイン語学習によって、スペイン語による単語や文法、そしてコミュニケーションの話法を学び、その学習によって、自己は同時にスペイン語話者の作法を体得することができるようになるであろう。その過程において、自己はこれまで未知数で、理解ができていなかった他己について理解を深めている可能性は高い。このような、自己と他己の互いの世界認識やコミュニケーションの作法の学びあいによって、お互いにとってコミュニケーションの〈予期〉がスムーズになり、ある種の〈信頼〉が創発している可能性がある。また、その反対に自己や他己の属するコミュニティや国家組織等についての諜報活動として利用することも可能であるだろう。つまり「相互理解」といった称揚理念によって現実世界を隠蔽し、ときとして差別の「道具」としても機能させることも可能となる[v]

つまり「相互理解」を目的とする言語教育活動とは、全体社会にとっては、ポジティブにもネガティブにも帰結する。ということは現在進行中で言語教育界に多大な影響を与えているCEFRやJFスタンダード、そして日本語教育の参照枠の理念や評価法を鵜呑みにして無批判に受け入れることはなんとも危うい。現実的には「相互理解」を目的に設定しつつも、その評価が普及していくにしたがって、その評価基準は、あるコミュニティにとってはコミュニケーションを活性化し安定存続していくための「道具」にもなれば、ひるがえって、あるコミュニティにおける差別や排斥の「道具」にも変貌する。少なくとも、言語教育の教授法や評価法にくわえて、その性質や効果、帰結についても、今後注視しながら検討する必要があるだろう。

文献

ハーバーマス,ユルゲン(2001)『コミュニケイション的行為の理論 上・中・下』川上倫逸他訳,未来社

ハーバーマス ・ ユルゲン、ルーマン ・ ニクラス (1984)『批判理論と社会システム理論 ハーバーマス=ルーマン論争』佐藤嘉一・山口節郎・藤沢賢一郎訳, 木鏑社

ルーマン,ニクラス(1993)『社会システム理論 上・下』佐藤勉訳,恒星社厚生閣

ルーマン,ニクラス(1990)『目的概念とシステム合理性 社会システムにおける目的の機能について』馬場靖雄・上村隆広訳,勁草書房

山本冴里(2014)『戦後の国家と日本語教育』くろしお出版

吉島茂,大島理枝(他)訳・編(2004)『外国語教育Ⅱ 外国語の学習,教授,評価のためのヨーロッパ共通参照枠Common European Framework of Reference for Language: Learning, Teaching, Assessment』朝日新聞社

Web site

JF日本語教育スタンダード
https://jfstandard.jp/pdf/web_whole.pdf

日本語教育の参照枠https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/93476801_01.pdf

全9回(予定)
第一回 序論:なぜ言語教育に社会システム理論が必要なのか。
第二回 学習による成長とは何か?いわゆる〈主体〉とは何か?:変容しつづける人と社会
第三回 各種システムのオートポイエティックな〈変容〉とコミュニケーション
第四回 ルーマンに依拠しながら言語教育のひとつの学習目的 「相互理解(mutual understanding)」をかんがえる

第五回 〈社会〉を構成する背景と4つの分化について
第六回 認識はどのようになされるか。意味にもとづくバイナリーコードとは何か?
第七回 〈社会〉における各メディアとコードについて
第八回 分化で生まれる新たなコミュニティについて 
第九回 結語:〈社会〉の「よりよき未来」の自己生成へ導く言語教育について


[i]  本連載の第3回参照。
https://www.hituzi.co.jp/hituzigusa/2021/11/16/luhmann-03/

[ii] 詳しくはルーマン,ニクラス(1990)参照。

[iii] 山本(2014:314)ではおもに戦後の国家政策における日本語教育について検討し、「継続的に掲げられる理念は『相互理解』」であるとし、「日本語教育は『相互理解』という名目の、実質的には好意的には対日理解を醸成するための方策」であるとまとめている。

[iv] この理想的な発話状況が成立するためには(a)無制限の参加機会(b)平等の発話機会、(c)発話者の誠実性の想定、(d)コミュニケーションを統御するさまざまな発話能力の必要性という4つの条件が成り立っている必要がある。

[v] 拙稿「JF日本語教育スタンダードとCEFRに潜む権力と諸問題」で、評価による権力性とその帰結について言及している。
http://jalp.jp/wp/wp-content/uploads/2019/04/gengoseisaku10-arai.pdf

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