英語とともに日本語を考える| 第7回 命題への態度表現―補助動詞をめぐって |武内道子

1. 補助動詞とは

「美容院へ行ったの?」と聞かれて「母に切ってもらったの」あるいは「母が切ってくれたの」と応答しますよね。英文’My mother cut my hair.’と比べてみてください。

「日本語の文はあいまいでいく通りにも解釈できる」と、ロンドン大学の言語学者に言われたことがあります。たとえば、(1a)(1b)の日英文の意味は同じですか、どこか違いがありますか。

(1)  a. My Father bought this watch for me.
   b.この時計は父が買ってくれました.

その教授は(1b)について、「誰の父なのか」「誰に買ったのか」と、私に矢継ぎ早に質問して来ました。時計を買ったのは私の父で、私のために買ったのだということは「テクレタ」によって明白であることを説明する羽目になりました。

ここでの〈〜テモラウ〉〈〜テクレル〉という語は補助動詞とよぶものです。英語で助動詞とよばれるものは、日本語では二つのタイプが区別されます。助動詞と補助動詞です。

助動詞は、用言・体言などに付属して意味を添える働きがある語で、大きな述語のまとまりを作ります。付属語で活用があるという特徴があります。付属語のため、一語では意味は通じず、自立語である用言・体言のあとについて役割を果たします。たとえば、動詞、形容詞、名詞+「だ」/「です」のような述部になります。受身、可能、使役、尊敬・謙譲を表す「れる」「られる」「せる」「させる」、断定を表す「だ」、打ち消しの「ない」、過去及び完了の「た」、推量の「ようだ」「らしい」「そうだ」「ろう」などがあります。

一方補助動詞は、辞書的片割れの動詞をもっていますが、本来の意味が薄れて直前の文節に意味を添える働きをする動詞をいいます。形式動詞ともいいます。補助動詞とその例を、片割れの動詞と共に(一部ですが)、挙げます。(2)Bの「テ」+「おく(置く)」のように、本来の動詞の意味はなく(どこかに本来の意味を残しているかも?)、直前の動詞「食べる」を補う働きをしています。

(2)
A.「いる」/「ある」 〈~テイル〉/〈~テアル〉
  知っている;ドアが開いている;ドアを開けてある
B.「おく」      〈~テオク〉
  (今のうちに)何か食べておく
C.「いく」/「くる」 〈~テイク〉/〈~テクル〉
  何か買っていく 変わってくる
D.「みる」      〈~テミル〉
  (やれるところまで)やってみます
E.「みせる」     〈~テミセル〉
  (そんなに云うのなら)やってみせてよ
F.「しまう」       〈~テシマウ〉
  (うちの猫が)死んでしまった    
G.「あげる」/「くれる」/「もらう」 〈~テアゲル〉/〈~テクレル〉/〈~テモラウ〉
   買ってあげよう 同情してくれた 英語を教えてもらった

⒉ 話し手と事象の関係性―命題態度表明

本稿では助動詞と補助動詞をパラレルに考え、分析するための枠組みをここで提示します。たとえば、「彼は合格すると確信している」という文の構造を考えてみると、話し手の言わんとする中核内容「彼は合格する」に関して「確信している」という話し手の判断が付いています。中核内容と話し手の判断は構造的には表示のレベルが違うと考えます。つまり、中核内容の外側に、言いかえると上位レベルに話し手の判断が位置していると考えます。確信しているのは発話者としての私ですから、この文の意味構造は、S1[私は S2[彼は合格する]と確信している]となります。SはSentence(文)のことで、中核内容文S2が上位レベル文S1に埋め込まれているということを示しています。

 (3)ルームメイトは可愛がっていた猫に死なれた。
 (4)家主が家賃を上げてきた。(益岡 1997)*
  (3)’  S1[ルームメイトは S2[ルームメイトが可愛がっていた猫がshin-u]rare-ta]
  (4)’  S1[私に S2[家主が家賃をage-ru]tekuru-ta]

受動文を作る〈ラレル〉と補助動詞の〈テクル〉を取り上げて、その意味構造を考えます。

上記(3)は被害の受動文とよばれ、「死ぬ」という自動詞を受動文にするのは英語にはありません。(3)‘に示されるような構造をしていると考えます。S2の「ルームメイトが可愛がっていた猫が死ぬ」が能動文で、S1の中に埋め込まれています。(3)の受動文を出すには、「猫が」を「猫に」と改め、中の文(S2)の「ルームメイトが」と外の文(S1)の「ルームメイトは」が同じ名詞なのでS2の「ルームメイトが」を省略し、「死ぬ」の語幹/shin/と受動文を作る助動詞/rare/のままでは発音できないので、/rare/の初めの/r/を省略します。これで表層の文(3)が生成されます。

(4)は(2)C にある補助動詞構文です。「上げる」の語幹/age/と〈テクル〉が結合し、外の文S1の主語を省略して表層の文が生成されます。このS1の「私に」の省略が起こるのは補助動詞〈テクル〉があるからです。

ここで注目してほしいことは、被害の受動文は初めから能動文を抱えこんでいる一つの構文だということです。同様に補助動詞構文も、補助動詞なしの文を埋め込んでいると考えます。そして助動詞〈ラレル〉と補助動詞を含むS1は、埋め込まれている文S2とレベルが違うことに気づいてください。S1はS2の外にあってS2を包んでいるという構造です。S2は伝えたい内容そのものの表示で、命題とよびます。それを包むS1は高次表示といいます。

能動文は客観的に事実を伝えるのですが、受動文は一般的に主観的な感情が事実にプラスされます。(3)においてルームメイトの悲しみが伝わります。発話者である「私」は同情し、悲しみを感じていることも伝わります。1人称が使われると、この感情は一層強くなります。「私は知らない人に声をかけられた」の深層の文は[私は[知らない人が私に声をかける]られ-た」となりますが、受動文は「びっくりした」「戸惑った」あるいは「恐怖心に駆られた」といった気持ちを伝えます。ここには事象への発話者の関係性が介在しています。

補助動詞構文においても事象と話し手である私との関係性は明らかです。補助動詞なしの「家主が家賃を上げた」は、家主側に視点があり、事実を伝えるだけです。一方(4)の「家主が家賃を上げてきた」は、視点は発話者の立場にあり、家主の行為が、たとえば先月は支払日を早める通告をしてきたばかりなのに、今度は家賃を上げるという行為に出てきたといったことを伝えます。家賃を上げるという行為と行為者家主に対して、発話者の「けしからん」といった気持ちを〈テクル〉が伝えることになります。

S2で示される伝えたい意味内容を命題とよぶことにすると、発話=命題+高次表示という図式が成り立ちます。高次表示は命題内容についての発話者の気持ち・姿勢を表明します。助動詞(〈ラレル〉)と補助動詞は、動詞に付くか、文節に付くかの違いはありますが、構文は高次表示として、発話者の命題に対する気持ち・姿勢、つまり命題態度を表明しているのです。

⒊ 移動動詞を使った補助動詞


(5) a. 先刻出かけてあの花を買ってきました。 ...なるべく沢山買ってきました(『それから』十四 204)**
   b. これからは児童数が減っていく。 

(5a)の〈~テクル〉によって、話し手は花を買い、その花をもってやってきて今相手とともにいると解釈されます。「花を買いました」だけでは、その後の移動先、ここでは自分の家に来たということは伝わりません。(代助と三千代は好きあっていたが、三千代は代助の友人だった平岡と結婚した。何年か経って東京へ戻った平岡夫妻と再会し、三千代が代助の家を訪問する場面、百合の花は二人の思い出の花である。)(5a)の解釈は、「代助は花を買った、そして代助はその花をもって三千代のいるところへやってきた」といった内容になります。さらに、〈~テクル〉によって、その花を一緒に眺めたい、その花にまつわる想い出を共に話したい」と思っていることも伝えるのです。

次に、(5b)を考えてみます。「児童数が減る」という現象が発話時の今あり、そしてこれから先も「減る」現象が続くことを表明しています。補助動詞〈〜テイク〉の使用によって動詞「行く」のもつ移動の意が発話の時間的方向とある程度の期間を指示します。さらに、「(自分の住んでいる)日本も少子化が進み、真剣に対策を考えなければいけない」といった話し手の気持ちも伝えることになります。一方、補助動詞のない「これから児童数が減る」はただ事実を客観的に述べるだけに留まるのです。

⒋ 授受動詞を使った補助動詞:〈~テアゲル〉、〈~テクレル〉、〈~テモラウ〉

(2)G の〈〜テアゲル〉、〈〜テクレル〉、〈〜テモラウ〉は、本動詞の表明する行為、ないし行為の及んだものが人から人へ移動する意味を添え、基本的には文法的機能を表明するものです。

授受動詞を使った表現は、上記移動動詞と異なり、動詞に対する補助ではなく、事象・行為全体、つまり命題S2に対する補助と考えられ、高次の命題態度表明の機能をもちます。以下、(6)の深層の構造はそれぞれ(7)に示すものです。

(6)   a. 卒業祝いに万年筆を買ってあげよう。
    b. (兄嫁は)気の毒だといって同情してくれた。(『それから』十四 196)**
    c. 私たちの新しい家、友人の建築士に建ててもらった。
(6’)   a. 卒業祝いに万年筆を買おう。
    b. (兄嫁は)気の毒だといって同情した。
    c. 私たちの新しい家、友人の建築士が建てた。
(7)  a.  S1[父が 私に S2[父が万年筆を買う]テアゲル-た]
      b.  S1[兄嫁が 私に S2[兄嫁が同情する]テクレル-た]
   c.  S1[私たちは 友人の建築家に
     S2[友人の建築家が私たちの家を建てる]テモラウ-た]

(6a)は買ったものが他人に移動することを表します。父親が娘に言ったとすれば、父が娘のために万年筆を買って娘にプレゼントすると解釈できます。一方(6’a)では、「君(のため)に」と明示しなければその万年筆は自分用かもしれません。さらに(6a)は、送る喜び、大切に永く使ってほしいといった話し手の気持ちも伝えるかもしれないし、万年筆がはやらないご時世だからこそ記念に送ることに意味があるといったこともひょっとして伝わるかもしれません。

英訳‘I’ll buy a watch for you.’ は、‘for you’によって聞き手である私がその時計を使うことは明示されますが、あくまで話し手が時計を買うという個体の行為を記述しています。

(6b)において「同情してくれた」は、兄嫁の同情心を、話し手はこころにとめて多としていることが伝わります。代助に対する彼女の思いが、彼女から代助に贈られたという感覚があり、ありがたいと思っていることが伝わります。一方(6‘b)では「誰に」が明示されなければ、「同情」が移動した先がわかりませんし、話し手である代助にはその気持ちが届きません。

(6b)の英訳(And Then. 171)***は次のようにあります。‘ She became sympathetic – she felt sorry for him, she said. ’日本語では発話者(代助)に視点があり、代助のありがたいという気持ちが強調されるのに対して、英語は兄嫁に視点があり、彼女の代助への思いが焦点化されています。

「もらう」は「頼んで手に入れる」という意味があります。(6c)では、私たちがお願いしたこと(家を建てること)を友人が引き受け、その結果願いである家を手に入れたと解釈します。同時に恩恵を蒙ったという含み、話し手のありがたいという態度も伝達されるでしょう。一方、(6’c)は新しい家を建てたのが友人であるという情報しかありません。〈~テクレル〉と〈~テモラウ〉の違いは、いずれも恩恵が話し手側に移動したことを伝えますが、〈テモラウ〉は話し手の「頼む」という働きかけがあるという違いがあります。

(6c)の英文は、‘I have a friend, who is an architect. He built our new house.’とでもなりますか。「頼んだ」意を伝えるためには、‘We asked my friend, who is an architect, to build our new house.’ とすればいいのですが、要はこれを日本語では〈〜テモラウ〉で表明するということです。

授受に関する補助動詞の使用は、語彙動詞の意味を基本にもち、事象、行為の移動を指示し、その移動した先が恩恵、利益を受けること、加えて恩恵を与える喜びあるいは恩恵に浴するありがたさといった心的態度を含むのです。対照的に、英語では、giveやreceive, sendという授受動詞は動詞そのものが所有(権)の移動の意味を含んでいるので移動が成り立ったことは伝えますが、もろもろの心的態度は伝わりません。

ただ英語にもものの移動にプラスαを添える構文があります。間接目的と直接目的をとる授受動詞は二つの構文を取ります。

 (8) a. John taught Mary English.
       b. John taught English to Mary.

2つの構文は学校文法では書きかえの関係にあるものとして扱われ、意味は変わらないと教えられてきました。「教える」という行為は「習得する」という反応を伴います。したがって(a)型構文は「メアリが英語をものにした」という意味が含まれ、一方(b)型構文は「習得した/している」という意味合いは必ずしも含まれません。したがって、‘but she didn’t master it at all’ (「もっともメアリはあまり学ばなかったけど」)といった文は(b)の方には自然に続くことになります。「英語をモノにした」という感覚は教わる前の状態からの変化、移動を含み、うれしい、ありがたいといった心情を伝えるかもしれません。そういう意味で〈〜テモラウ〉に少し近いといえるでしょうか。

⒌ 一枚の絵

補助動詞が、移動の方向を指示するという意味を元の動詞からもらっていて、これを本動詞に続けて作る世界を見てきました。行為、事象を、個体中心的に捉えるのでなく、個体の姿の没した連続体とする様を、補助動詞の働きの中に見てきました。動く個体としての行為者や対象物そのものに注目するのではなく、動く個体を含む環境全体に視点を合わせ、動く個体もその環境という全体の一部であり、心的動きまでもその中の一部に含まれるという日本語の世界です。こういった全体的状況への注目は一枚の絵の提示とたとえてもいいでしょう。

明示的でない話し手である私、主語が行為、事象の中でどういう関係性をもっているかを前景化することで、行為者、被行為者、対象物をことばにしなくても示される文構造を、日本語はもっているのです。ことばにしない代わり、それらに対する発話者の姿勢、こころのあるところといった心的態度を表明する言語表現があるのです。補助動詞という窓を通して日本語の姿が垣間見えました。

行為者に特別の概念を与え、それを中心に文の構成を行う英語とは対照的です。個体への注目、個体中心的とらえ方は事象、行為の事実を客観的に表現するのが身上です。

冒頭の、「母に切ってもらった/「母が切ってくれた」と‘My mother cut my hair.’と比べて、英文の方は何とそっけないんだろうと思いませんか。あるいは、「(現場には)彼に行かせよう」と言う代わりに「彼に行ってもらおう」と言うことを考えてみてください。日本語の表現は事象の客観的事実、発話者(主語)の行為の表明というより、そういうことは表に出さないで、発話者の、行為・事象、他者との関係性を表明する手立てを日本語はもっているということです。

その手立ての一つである補助動詞は、〈モノ〉を包んで〈コト〉化された世界を作るといえます。〈コト〉化した世界が一枚の絵によって提示されるのです。

* 益岡隆志.1997. 「日本語の補助動詞構文―構文の意味の研究に向けて」 『複文』新日本語文法選書2 くろしお出版.181-195.

** 夏目漱石.『それから』  漱石全集 第八巻 (岩波書店)

*** Norma Moore Field. 2011. And Then. Tuttle Publishing, Tokyo.

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