2025年11月12日(水)


『会話の0.2秒を言語学する』を読んで考えてみた

(こちらは10月8日に発信したメール通信の「房主より」を元にして加筆しています。)

アマゾンの紹介の冒頭に

「ゆる言語学ラジオ」水野太貴による、 YouTube 登録者数約40万の「ゆる言語学ラジオ」のスピーカー、水野太貴による待望の書き下ろし。

と書かれています

『会話の0.2秒を言語学する』水野太貴(新潮社)

の読書会を社内でしました。章ごとに担当を決めまして、内容の紹介をして、その章で取り上げられているトピック、内容から、ひつじ書房で刊行することができそうな企画を考えるという読書会でした。内容の紹介については、この本で流暢性についても議論されているので、もし、水野さんが読んでいるのなら、参考文献に弊社の本を上げてほしかったというコメントもありました。企画については、罵倒語についての書籍を出してはどうか、会話分析に関する企画など、いくつもあがっていました。

個別の企画案については、せっかく出してもらった案なので埋もらせずに検討をすすめていくようにしたいと思います。私としては、この本を読みながら、反省するべきところが多くて、複雑な思いです。これから述べるのは、私個人の反省的なことになります。

この本のタイトルからして、グサッと突き刺さりますが、私の解釈としては会話分析的な談話の分析と従来の言語学(生成文法から認知言語学、語用論的な言語学まで)との葛藤への注目、かつそれを乗り越えて、人間科学を作りだそう(出してもらいたい)という挑戦的ないい方だと思います。この葛藤については、それなりの時間があります。時間というのは、会話分析研究が開始されてから、ずっと時間がたっているのに、ポジティブな方にあまり協働できていないと思われるということです。その間、私たちは協働が出来ていないということを乗り越えられるような企画を立てることができていたのか、という鋭利な問いともいうべき危ない道具の切っ先を突きつけられているという思いがします。そういう問いはないでしょうか。ひつじ書房に向けて、問いを発しているということでもないと思いますが、そんなふうにも感じます。

しかしながら、あるいはそうであるから、ということを思いますと自身のふがいなさとはがゆさを強く感じてしまいます。必要上に反省モードに入ってしまっているかも知れないです。本当は打開案を出して、企画を立てて問いかけるべきで、内向きモードの発言を「房主より」でするべきではないと思います。なので、反省文ではなく、これから何らかの打開策を考えたいという予告の宣言として申し上げたいです。

話しを戻すと『会話の0.2秒を言語学する』は、言語学に対しての発言というだけでなく、会話分析と社会学の関係についても、問題提起をしているところもあるように思います。もしかすると言語を通して人間を理解するということからすると言語人類学に対しても問題提起をしているかもしれません。水野さんの書き方が人徳のある非常に好感の持てる書き方なので、私は勘違いしているだけなのかもしれないです。私に人徳がないのとやあやあと人と仲良くなるのが得意でないというのが大反省点ですが、前向きな反省モードに戻るとテーマはまだいろいろとあるということで、いろいろと生み出されるパンドラの箱のふたを開けたではないですが、この本の出版は、既存の学問が封印してきた問いを封印から解いたということになるのかもしれません。私たちも封印から解かれましょう。(ちなみに、人と仲良くなるのが得意でないということは人と仲良くなる気持ちがないのではありません。)

といいながら、会話分析的な研究と言語の関係についても、橋を渡す的な研究の企画がないわけでないことを思い出しました。「シリーズ フィールドインタラクション分析(高梨克也監修)」がそうで、「鮨屋で握りを注文する (仮)」(平本毅編)もリストに入っています。このシリーズで刊行されているのが、『多職種チームで展示をつくる 日本科学未来館『アナグラのうた』ができるまで』(高梨克也編)で、近刊と言っているのが、「「三夜講」で火祭りを準備する 野沢温泉道祖神祭りの伝承を支える仕組み」(榎本美香編)です。既刊はまだ1冊ですが、、、

『多職種チームで展示をつくる 日本科学未来館『アナグラのうた』ができるまで』(高梨克也編)(https://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-89476-731-7.htm


執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。



「本の出し方」「学術書の刊行の仕方」「研究書」スタッフ募集について日誌の目次番外編 ホットケーキ巡礼の旅

日誌の目次へ
ホームページに戻る

ご意見、ご感想をお寄せ下さい。
房主
i-matumoto@hituzi.co.jp