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2025年11月10日(月)
大塚の宇野書店に行きました
(こちらは8月20日に発信したメール通信の「房主より」を元にしています。) お盆が明けましたが、お盆のあいだのことの話です。ひつじ書房は、茗荷谷にありまして、最寄り駅は丸ノ内線の茗荷谷駅と三田線の千石駅です。東京に馴染みがないと場所が分からないと思いますが、東京駅と池袋駅の真ん中よりも池袋寄りです。椎名林檎の「丸の内サディスティック」には茗荷谷は出てこなくて、「領収書を書いて頂戴。税理士なんて就いて居ない後楽園」の隣の駅です。余計に分かりにくいですね。 申し上げたいことは隣が大塚という場所ということです。かつては花街もあり、飲食関係で栄えていた場所です。そこに批評家の宇野常寛氏が、大塚駅の少し北に宇野書店というのを8月1日に開店させたのです。全く愛読者ということではなく、すみません、読んでいないと言っていいのですが、文筆業で批評家という立場の人が書店が苦境のこの時代にわざわざ書店を作るということをFacebookで知って、開店したら行きたいと思って、お盆休みの中、行ってきました。 建物の外、看板があって、お店自体は地下になります。行きましたら、ご本人がいまして、携帯で電話をしていました。(これまで面識はありませんですので、挨拶はしませんでした。無理にでも挨拶するべきだったか?いや、1冊も読んでないのではそれは無理。)そこそこの広さで、真ん中には書籍を展示しつつ、座って読むこともできるテーブルとイスもあって、狭くてギチギチということではないそれなりの空間のあるお店です。レジの店員がいないのでどうやって買うのかと思いましたが、セルフレジの形式でスキャンして支払いをする形式です。 ちょっと前に出ました『庭の話』と『ラーメンと瞑想』を購入しました。『庭の話』については読んでいるところです。まだ、半分ですが、面白いと思います。私の解釈では、SNSがオープンなプラットフォームで、自由に発言できるはずが、評判を得ることに志向が傾いて、自由ではなく、平板で同じような思考になってしまうこと、誰でも入れるはずなのが多様性が失われていくWEB2.0として期待されていたはずの現状を批判して、ただ、オープンにするのではなく、外部からの参入を許容しつつ、意図の介入する空間としての庭の可能性を述べています。庭の例では、外来種を許容しつつ、際限の無い繁殖は抑制するということを言っていて、それは結局都合の良い管理ではないか、との批判を受けそうですが、単なるオープンなプラットフォームとはちがったあり方を模索するという中での言い方なのでしょう。共同性は求めないということや、たまたまであることの価値を尊重するというような言い方も興味深いので、残りの半分を楽しみに読み進めていきたいと思っています。 そのような庭にはオープンでありながら、植物の育ち方を調整していく庭師がいるということになると思いますが、編集者という職業柄、それは編集ではないかと言いたくなりますが、なんでもかんでも編集者にしてしまうという汎編集主義は自制したいところです。ただ、また、多文化共生といった時にオープンなプラットフォーム作ればすむわけではないだろうといったことを考えると庭というテーマは結構重要ではないかと思いつつ、何かを批判するため、乗り越えるために新しいコンセプトを持ってくるというのは、ありがちなことでもあるので、そういう冷めた目を持ちつつ、読んで考えていきたいと思っているところです。大塚という比較的近所に書店ができたことは喜びたいことです。 ちなみにこの文章を書いたので、iTunes storeで検索してみると茗荷谷ということばがタイトルに入っている歌は3曲(家主・田中ヤコブ、橋本薫、小袋成彬)ありまして、歌詞に茗荷谷が出てくる歌もありました(人魚はスラムで海を売る(浅井直樹))。茗荷谷が書名に入っている本は、木内昇さんの『茗荷谷の猫』がありますね。今の話しではないですが、街並が自動車に支配される前の話で、文京区がお屋敷もある時代の感じで、なかなかステキです。 ---------- 執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。 「本の出し方」・「学術書の刊行の仕方」・「研究書」・スタッフ募集について・日誌の目次・番外編 ホットケーキ巡礼の旅 日誌の目次へ
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