学習院大学文学部

『研究年報』第44輯

目  次

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科学論あるいは知識学としての論理学―ディルタイにおける理解論の展開と諸相

齋藤智志

バークリ『視覚論』 は連合説か?

原 昭

允恭朝に関する考察

黛 弘道

梁啓超における「自由」と「国家」―加藤弘之との比較において

小松原伴子

『萬葉集』の「鵜にしも有れや家念はざらむ」

佐佐木 隆

有島武郎――<市場社会>の中の作家

山本芳明

「眼に見えた虱」の〈私〉―〈見えるもの〉と〈見えないもの〉

松村 良

金井三笑と鶴屋南北の間

加藤次直

トルーマン・カポーティ研究の結び

稲澤秀夫

喪失と脱却―ワーズワスの『ピール城』

松島正一

『初期習作集』 ( Juvenilia ) の意味

塩谷清人

パリンプセストの世界―サルマン・ラシュディ『ムーア人最後のため息』の一考察

寺門泰彦

ルソーの読み方、読まれ方

小林善彦

廃墟の映像―ブランショの〈死〉について

水野雅司

日本語の標準語形成の過程について

田中章夫

The Peterborough Chronicle における前置詞格について

岸田隆之

キャサリン・アン・ポーターとヘンリー・ジェイムズ

武田千枝子

「死者と話したい、という望みから始まった」―ニューヒストリズムの有効性と非有効性

ヘニング・ヘルマン=トレンテポール

ハンス・ザックスとグリム兄弟―KHM 147 「焼かれて若返った小男」を例に

加藤耕義

存在と無のあいだ

原田佳彦

加齢にともなう記憶機能の変化

筒井雄二

「生活指導」概念の成立に関する一考察

川口幸宏

タイ北部アカ族文化の1991 - 1997間の変貌―センチャルン・マイ村の場合

諏訪哲郎