ひつじ書房創立20周年記念シンポジウム 可能性としての文学教育

ひつじ書房創立20周年記念シンポジウム 2010/8/24更新



可能性としての文学教育

場所 日仏会館(恵比寿)

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日時 2010年9月23日(木・祝日)  開場12時30分・開演13時

 



13:00-13:15
ご挨拶  松本 功(ひつじ書房代表取締役)
テーマ説明  助川幸逸郎(横浜市立大学非常勤講師)


13:20-13:45
国語教育がなぜ文学教育になったのか、の起源について
山本康治(東海大学短期大学部)

「国語教育」というと、文学教育を思い浮かべることが多い。これは多くの日本人に共通することがらであろう。しかしながら、このような国語教育=文学教育という捉え方がなぜ多くの人々にとって「自明」のこととなったのか、そのプロセスについて、これまであまり明らかにされてこなかったようである。
 本発表では、明治三十年代に教育界を風靡したヘルバルト派教育学と「改正学校令」(明治33年)との関係を踏まえ、「美感」による「人格の陶冶」を目指す同教育学が、国語教育に童話や詩を教材として求めた背景について明らかにし、また、同教育学に拠った教育実践が、東京高等師範学校を頂点とする教育ヒエラルキーのもと急速かつ強力に全国の教育現場に浸透した結果、国語教育=文学教育という共通認識が形成されていったことについて明らかにしたい。さらに、そのことが何をもたらしたのかについても触れていければと考えている。


13:45-14:10
楽しい音楽分析(アナリーゼ)〜イメージを広げる楽譜の読み方 
岩河智子(作曲家・札幌室内歌劇場音楽監督)

 音楽分析(アナリーゼ)とは、楽曲の中のいろいろな事件を発見することだ。目のつけどころはいろいろ。旋律の動き、リズムの対比、バスのさまざまな特徴。和声(ハーモニー)や転調のプランはまず第一に考えたいことだ。時には楽曲全体を図解して大きな見取り図を把握することも大事だ。
 アナリーゼをして音楽の出来事が浮かび上がり、曲の姿が明らかになると、自分自身のイメージが大きく膨らむ。演奏家は強弱や音色、テンポなどのアイデアがわき、確信を持って演奏することが出来る。音楽の聴き手はより深く内容を味わい、いろいろな演奏を聴き比べる時の揺るぎない手がかりを得る。
 今回は、クラシックの名曲(ベートーヴェン交響曲第5番「運命」1楽章)、および愛唱歌(雪の降る町を)の2曲をとりあげる。一見難しいクラシックの曲が解りやすいドラマで仕立てられていること。そして、なじみ深い愛唱歌が深い奥行きを持っていることを発見して頂きたいと思う。


14:10-14:20
休憩

14:20-14:45
文学教育の実践における読みの理論の必要性あるいは困難について
相沢毅彦(早稲田大学高等学院)

 「文学理論」と聞いてどのようなものを思い浮かべるだろうか。あるいは「文学理論」を国語の授業に導入すると聞いて。
 時々、文学理論を国語の授業、あるいは文学作品の読みの方法として導入しようと試みていると話すと、ある文学理論的な枠組があって、単にそれを作品の読みに当てはめることなのではないかと思われてしまうことがある。しかし、僕にとって理論を使った読みの行為とは、ある決まった型を当てはめるものではなく、どのような姿勢で作品と向き合うのかという自らの世界観認識の問題としてある。自らの世界観認識を問うことは読みの固定化・限定化を齎すのではなく、むしろ理論的な方向性を明らかにせず、漠然と読んでいる時よりも、読みをひらいていく可能性と繋がっているのではないかと考えている。
 文学理論の必要性やそれに伴う困難さなどの問題を通して「可能性としての文学教育」についてみなさんと共に考えていけたらと思う。


14:45-15:00
二十一世紀における文学教育の意義(講演補足+まとめ)
助川幸逸郎(横浜市立大学非常勤講師)

 言葉そのものを読み解く〈方法〉—それを欠いた文学教育は、「道徳教育のまがいもの」になる、あるいは、教師の意見のたんなる押しつけになる。
 国語教育にたずさわる者は、古くからその事実に自覚的であった。そしてたゆまず、〈方法〉の模索を続けてきた。西郷竹彦の文芸学や、向山洋一・宇佐美寛らの言語技術教育などは、そのよく知られた例である。
 それらにおいては、語り手の視点のありようや、作中に描かれた情景といったものを読みとることが目ざされる。「読者の主観に左右されにくい要素」を正確に把握する力を、子供たちにつけさせよう、というわけだ。
 そうしたもくろみが、有意義であることは間違いない。が、それはあくまで、「文学テクストの読解方法を教えることには、あらゆる児童生徒にとって意味がある」という前提に立っての試みであった。現在、中学高校の国語から文学教材を外し、論説文の読解のみを行なうべきだという議論が起こっている。そうした状況にあって、文学教材の読解方法を万人が学ぶ意味を提唱する根拠を、従来の〈方法〉をめぐる議論は提示しきれていない。
 本発表では、文学教材をいま、教えることの根源的意味を問う。さらに、小説と韻文作品を、同じ「文学教材」として扱ってよいかどうかという点にまで、議論を広げたい。


15:00-15:15
休憩(質問用紙回収)

15:15-16:30

パネルディスカッション・質疑応答



事前申込みが必要となります。席数に限りがありますので以下のお申し込みページからお早めにお申し込み下さい。専門学校生・大学生は無料です。大学院生および社会人は1,000円となります。

 

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