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 1998年9月7日 9月は天中殺か?

天中殺というのは、死語であろうか。このところずーっとドツボっている感じである。寝ても寝ても、眠たいし、今朝など、警察にガサいれされる夢を見た。非常に調子が悪いので、松本の対応が悪かったり、仕事がはかどらない状態でもお許し願いたい。スミマセン。

一方、おかげさまでひつじを手伝ってやろうという人間が、何人も現れて下さった。これは、本当にありがたいことである。また、複数の方から、絵日記終了を悲しんで下さるメールをいただいた。これも本当にありがたいことである。

そんな暖かい視線を感じるとあまりさぼってもいられない。頑張ろう。気分転換に、UNIXをノートパソコンで動かしてみようと思う。ひつじと書評でやっているデータベース全てを、半年後にはUNIXベースに切り替えてしまおうと思うからだ。Filemakerがあまりにも遅いから。もっとも、LC475でやっている方が悪いのだが・・・。

 1998年9月15日 現在の仕事

13日の日曜日と15日の敬老の日と事務所に出て、仕事をしているが、これは現在、大詰めを迎えている『インターネット快適読書術』の手伝いと自分の担当である『日本語一型アクセントの研究』という本の索引を作っているからである。著者の山口先生とは、私が前の会社に在籍していたころに本を出しませんかと言ってからだから、もう、10年以上経過している。一度は、原稿ができず、文部省の助成金を辞退するということもあった。『日本語一型アクセントの研究』も文部省に昨年度の終わりに提出しており、今は索引を作っているのである・・・。

本というものは、10年越しということもあり、分かっていることであるが、本当に手間のかかるものだ。家を建てるより、車を買うよりたいへんなことではないだろうか。

同じくほぼ10年越しの石綿敏雄先生の原稿も現在、初校がでたところである。前の会社桜楓社で、『対照言語学』を作ってから・・・。昔の話しをするようになっては、いけないかもね。

 1998年9月20日 10月に書協関西支部で、話しをする

10月2日に書協関西支部で、話しをすることになった。新文化に書いた文章などを面白く思ってくれたということである。お聞きになる方は、みな私よりも年上の経営者の方ばかりだそうだ。ありがたい機会をいただいたということなので、普段考えていることを提案させていただこう。

これは昼だが、夕方には若手の「本の会」でも話しをする。もし、興味のある方は、松本にお問い合わせ下さい。場所は、京都です。

 1998年9月25日 ネットワーク上の情報の行き交いについて

友人で大きな企業の総務畑にいる人間に聞いた話し。会社の中を行き交う損傷したパケット通信を監視するために、ネットワーク監視ソフトを入れたそうだ。相手に届かないメール、ホームページを見ていてもきちんと応答が返ってこないで、壊れた通信の断片が社内のネットワークにどのくらいあるかを調べることが元々の動機だったらしい。

ところが、意図したことではなかったのだが、会社の設備を使っていろいろおかしなことやられていることが、見えてきてしまった、とのことだった。エッチな画像のダウンロードなら、まだいいといえるかもしれない。勤務時間中であるにしろ・・・。同僚同士のグチ、上司への批判、オフィス内のいろいろな人間模様が見えてきてしまった、ということである。人間ドラマを見て楽しむということではない。組織というものの現実的な姿が、見えてしまったということだ。

基本的に心得ていなければならないのは、電子的なメディアの場合、発信しているだけではなくて、蓄積されるということである。また、それは、いわばネットワークという公道を通って、相手に届けられると言うことである。TCP/IPは、元々送る相手を公道で呼び出しているものである。「○○さんいますかー。います?そうですか、送りマース」という感じの通信を行っているのであるから。サーバー管理者が、チェックしようと思えば、容易なことなのだ。

デジタルメディアの様々な局面というものを思い知らされるように思う。

 1998年9月28日 ノートパソコンにFreeBSDとLinuxをインストール

先週、ThinkPad385EXというノートパソコンを手に入れた。ハードディスクが、4Gで、Windows98がインストールされているのだが、このハードディスクの2Gの部分にPC-UNIXを入れようと言うことなのである。しかも、FreeBSDとLinuxを入れようということ。FreeBDSDについては、この春に一度インストールした(してもらった)ことがあったが、Linuxは初めての経験である。入れたのは、TurboLinuxというものである。今回は、システムを3つ入れるということがあるので、システムコマンダーも購入した。システムコマンダーを使うと、電源を入れた時に複数のOSの中から、どのOSを使うのか、選択することが出来るのだ。

Windows98を2回インストールし直した(1度は、recovery用のCDを入れっぱなしにして再起動したら、勝手にフォーマットし直してインストールされてしまった)とはいうものの、一応、土曜日中には3つのOSが立ち上がるようになり、当初の目的を果たした。

なにゆえ、UNIXかというとひつじ書房のサーバー、書評のサーバーをともに年度内にマックからUNIXへと変更するためである。マックのサーバーでは、WEB発信については問題がないが、情報のやり取り、セキュリティの問題に対応できないこともある。私は、97年の6月からマックでサーバーを1年以上運営してきて、基本的なことはどうにかではあるが、できるという自信が付いてきた。もう少し本格的なサーバーの運営にそろそろ移行しようと思う。

今後は、ウェブでの情報発信に力を注ぐことになるだろうから、その下準備である。ありがたいことに、ひつじの手伝いの人を募集したら、来年の就職が決まった人で、文系なのだがUNIXの知識がある人が、就職する3月(?)まで、来てくれることになった。彼女にいろいろ運営してもらいながら、いろいろと教えてもらってスキルをアップしていこう。求めれば、能力があって、優秀な人が来てくれる。これは本当にありがたいことだ。

ノートパソコンにしたのは、事務所で作り掛けのプログラムたとえば、perlのプログラムを自宅ででも継続して作ることができる。ThinkPad385EXは、重くて無骨な奴である。モバイルという感じではない。CD-ROMもフロッピーディスクも元々付いている。仕事場の環境をそのまま再現できるということだ。これで、京都での書協での話しの時にT-Timeのデモもできる。

 1998年9月29日 本を作りたいと本当に思っているのだろうか?

助っ人を募集と書いたら、複数の人からメールが来た、と書いた。お断りしてしまった方もいたわけである。本当を言うと時給も少ないし、応募してくれただけで、ありがたいと言わなければ、すまないわけだが、お断りした人、あるいはこちらがわからの応答に返事の無かった人は、縁が無かったわけであるが、その判断をしたことにはそれなりにわけあることであり、個人攻撃をする意図はないが、腑に落ちない点があって、そのことがどうも一般性を持ちそうなので、ちょっと書いておく。

基本的にひつじ書房のホームページをきちんと読まないで応募してくる人は、どうしようもない。別にひつじ書房の本を買ってくれといっているわけではなくて、公開しているページは、簡単に読めるのに、全く読まないでメールを送る人。こういう人自身の存在が、信じられないし、そういう人が応募をしてくることが、本当に私には理解できない。応募してくるくらいならば、私の日誌であるとか、絵日記であるとか、コメントを付けようと思えば、もう何でもアリであるのに、何も読んでいないか、読んでいても理解していないのか。私の常識からすると、どうにもアンビリーバボーである。何度もメールのやり取りをして、一度断ったのに、再度、熱意のあるメールを下さった方がいて、それなら会おうか、という段階で、「男女の比率はどのくらいですか」と聞いてきた。そんなのホームページのスタッフのページを見れば、分かることじゃないか!

不思議なのは、いついつの日誌に書かれていた内容に共鳴したとか、ひつじ書房のこの活動に興味を持ったので応募したとか、そういった具体的な表明がないのである。はっきりいって、編集者・出版人としてのベイシックな素養が欠けているとしか、思えない。相手の発信している情報や気持ちに共鳴しようとしない人間が、出版というものに関われるはずがないのに。自己認識を基本的なところで、間違っているとしか思えない。

また、辞めた理由を聞いたときに、具体的な理由なしに、上司と意見が合わなかったとだけお答えになった方がいた。上司と意見が合わないのは当然ではないか。それなら、私の意見のどこに共感したのか、述べてもらわないと、「合わなかった」の一言でかたずけていいことではないだろう。採用する側が、この人は、説明にならない理由で、辞める人間だと判断すると思わないのだろうか。社会性がなさ過ぎる。これもアンビリーバボーである。

児童文学の作家でもある人から、食えないので、ということで、応募をもらった。そのことは、ありがたいことであるが、その人のホームページを見たら、かなり優れた方であることは良く分かった。しかし、ひつじ書房は、あくまで言語学の出版社なのであって、その中で何が貢献できるか、ということを考えた上で応募するべきだろう。その事を聞いてみたら、返事は無かった。全然、テイストが違うのだ。テイストが違うのは構わないが、少ないとはいえ給料をもらおうとする以上は、何かを与えるという視点がないのなら、応募するべきではないだろう。

出版社に応募する人のレベルが、アンビリーバボーになっているようだ。常識がないと言い換えてもいい。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。どうも本が好きとか、本に関わっていたいと口ではいう人の水準がどうしようもなく低くなっているようだ。口先では何とでも言える。相手(この場合私)が、表明している考え、発想に共鳴しないでも、とりあえずメールだけでも送ってみました、という人間と仕事をいっしょにできるはずがない、という当たり前のことに思い当たらないのだろうか。

小さい企業、小さいユニットで仕事をしている場合、そこの運営者と気持ちと願いがある程度一致しないとうまく行かない、生半可な気持ちで応募して来るというのは、不思議である。

ラーメン屋で、おいしい餃子を出す店が皆無なのと同じことだろうか。ラーメンと餃子だけでいい、アイテム数が少ない食べ物屋であるのに、餃子をきちんと作る店がないのと同じことだろうか。仕事というものに関する基本的な認識が甘すぎると思う。確かに、高度成長期のような会社に全てを捧げるモーレツ社員の時代ではない。社会の方向が決まっていて、モーレツ自身が安易な道であったともいえる。今は、ガリガリ、ただ、猛進すればいい時代でもない。しかしまあ、新しい唐突だが、不況は当分続きそうだなという結論である。


日誌 98年7・8月

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