謹賀新年 ことしの挨拶

 1998年1月5日 トーハンの返品

トーハンから、返品が返ってきた。『読むということ』は、通算、220冊の返品。300冊のうち、80冊をのぞいて戻ってきてしまったということ。トーハンには委託した段階で、すぐさま定価×5パーセントの委託経費を請求されている。つまり、56700円分はすでに取られている。80冊なら、直接本屋さんを回っても、とれる注文の数である。つまり、機械的に配布してもらう必要はないということ。委託も全く機能していないし、やるだけばかばかしいと言える。

しかも、信じられないことに本の横には靴で踏んだ跡がついている。いったい、本を横をわざわざ踏むというのは、どのような運送をしているのだろうか? 勘ぐるとわざと踏んでいるのではないか、と思える。こんな配本をしている、本を愛さない人々は、本当は流通には携わるべきではないのではないか、その資格はないのではないか。

 1998年1月6日 Pagemaker6.5Jは6.0のファイルを開けない

Pagemaker6.5Jは6.0のファイルを開けないものがある。ニフティのFDTPの会議室で質問したら、私のところばかりでなく、他でも起きている情報を得た。また、Pagemaker6.5Jで本文にアンダーラインを付けていたら、これ以上、設定ははいりませんというエラーのメッセージがでた。Pagemaker6.5Jは、使えないソフトだということだ。私は、城田先生の本をPagemaker6.5Jに読み込もうとしていたが、問題が多いので、Pagemaker6.0Jでやることにした。ABODEには、猛反省を望みたい。

 1998年1月13日 AppleVisionDisplayが戻ってきた

年末に、ディスプレイが壊れた。まだ、保障期間中であったので、修理に出した。私は、修理に出すときに悪い予感がした。電話してもつながらないし、応対もめちゃくちゃで修理に時間がかかっていつまでたっても戻ってこないのではないかと。今回は、うれしいことにこの「期待」は、はずれた。1週間しないで返ってきたのである。当たり前のことではあるが、消費者を大事にした姿勢がうれしかった。

 1998年1月17日 書評ホームページを手伝ってくれる人を募集しています

書評ホームページも年を越した。アクセス数は、ひつじよりも格段に多い。しかしながら、メンテナンスが十分に行き届いていない。そこで、お助け人を募集することにした。まことに申し訳ないが、書評のページは全く利益を上げていないし、ひつじからの持ち出しになっている。勝手なお願いではあるが、夕食代くらいしか、差し上げられない。お許し下さい。ただし、ホームページの作り方などは懇切丁寧にお教えいたします。

 1998年1月21日 ルネッサンスパブリッシャー未定稿

日誌の目次を見れば、おわかりと思うが、ルネッサンスパブリッシャーの草稿を公開した。まだまだ、バージョンは若い(?)、でもなんとか書き上げたいと思う。 

 1998年1月22日 書評ホームページの分析

今までほおって置いたのが、いけないのだが、書評ホームページの分析をほんの少し行った。といっても、アクセスの記録を分析するソフトにかけて、どのドメインからアクセスがあったのかとか、どの時間にアクセスがどのくらいあるのか、ということを調べることができるようにしただけだ。これは書評のページの話しで、ひつじのページの話しではないが、土日は少ないし、日中が多い。ということは、個人的に夜、自宅からということではなくて、会社や研究室から見ているということになる。感覚的に個人のアカウントで見ているのかな、と思ったが、時間帯からするとこういうことになる。とするともう少し、実務的な情報の方がいいのだろうか?

 1998年1月27日 研究者のための研究書の出し方講座(1)

先日、私の友人が、社会科学系の研究をしている人を連れてきた。翻訳書を出すに当たって、出版社の事情を知りたいのでということで、相談にのったのだ。ひつじの分野ではなかったので一般的なことしか、答えることが出来なかった。その人を見ると、どうやって本を出版社から出すのか、といったことについて良く分かっていない人がかなり多いのではないか、と見受けられた。そうであるのなら、時間のある時にどういう風に出版社とつきあったらいいのか、内密な情報も含めて公開してしまおう、というのがこの趣旨である。うまく続けばいいけれども。

まず、二つ指摘しておこう。

一つ目。本当は30歳を過ぎて、研究者として就職ができたくらいの年齢でこのようなことを相談できる出版社の編集者を知っていなければいけないのである。講師になる時くらいまでに、少なくとも論文集の中の一つの論文くらい書いているだろうし、何か企画物があった時に、その中の執筆者になっていなければいけないのだ。その時に、少しでも編集者とつきあいがあれば、見ず知らずの出版社に相談などしなくてすむはずである。だから、今売れなくてどこも出してくれない師匠の記念論文集というのは、そのような編集者と知り合うためのコストとして、考えるべきなのだ。読者は、全部を読むわけではないのに、1万以上のお金を払う。その結果、回り回って、若手の研究者が、出版社とつきあう方法を学ぶわけだ。そのコストを(学会が)払っていないのだから、仕方がないのかもしれない。

二つ目。つきあうべき出版社が、あるかどうか。出版社がなければ、そもそもつきあいようがない。政治学なら政治学の分野で、研究書をだせる出版社を育ててきていたか。育ててきていなかったのなら、その学会はその負担をさぼってきたということになる。これはこれで仕方がない。だが、研究書をだす出版社を育てられなかった学会には、将来がないだろう。

この二つはスタートライン以前である。


日誌 97年12月

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