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(7/29)求められる「新しいメディアとことば」(松本 功) 筆者写真  『理想なき出版』(アンドレ・シフレン 柏書房)という本が出た。この本によれば、著者のシフレンは、アメリカのパンセオンという出版社で、アメリカの政治を問い返したり、サブカルチャーの本など人文書の分野で優れた本を刊行していた人物だが、社がランダムハウスに買収され、さらにランダムハウスの経営者が変わったことで、編集方針が保守的になり、ついには結果的に追い出されてしまう。最後には、自身で出版社を起こし新しい出版活動をはじめている…という内容である。(新しい出版社を立ち上げるときに財団の助成を受けているが、そういう助成があるというところがアメリカはすごい)

■「新人を育てる方にまわっていかない現実」


 70年代、80年代に良心的な出版を行ってきた出版社が、買収により、一冊一冊を短期的な収支に収めること(まだ売れるかわからない新人と売れている著者と全体で黒字にするのではなくて、全て売れる本でなければならない)という方針を押しつけられて、結果的にユニークな本を出せなくなる姿が書かれている。どんな著者も最初からたくさんは売れるわけではないから、試しに出してみるということが許されなければ、新しい著者など生まれない。シフレンは、日本でも知られている『仕事』『よい戦争』などのターケルなどを物書きとしてデビューさせた人でもある。

 先日、私がワールドカップのベルギー戦のさなか(!)に催したシンポジウム「アメリカの作家と公共図書館」で、アメリカ在住の出版ジャーナリストの菱川摩貴さんが、ミッドリスト(少部数)の作家たちが、公共図書館で講演会などのプロモーションを精力的にはじめたのは、ブロックバスター的な横断的なマスセールスをねらう本にばかり資金が投下され、新人を育てる方にまわっていかない現実があると指摘していたことを思い起こした。

 この本を読みながら、私は、シフレンとはちょっと違うことを考えた。なぜ70年代には社会のあり方を問うようなハードな本が何万部、何十万部と売れ、なぜ、今は売れなくなっているのか。これは、著者がいうように経営者が売れる本だけを出すように強制しているという原因ばかりではないのではないだろうか。学生の反乱が起きた時代には、人々がかなり知的な情報を、積極的に手に入れようとしたのはなぜなのか。 知的な弱体化が、世界的に起こっていると考えるべきなのか。書き手が変わったのか、読み手が変わったのか?そもそも、この本には、読者のことはでてこない。その点では、『だれが「本」を殺すか』(佐野眞一 プレジデント社)の方が、なぜ読まれなくなったのかを精緻に追求しているように思う。ちなみに、この本には私も最後のところで、登場する。

■機能しなくなった、伝えるだけの「本」


 著者は、保守的な経営陣と合併を繰り返す市場に対して、批判的であり、自由に本が出せて、それが売れた時代を評価しているが、出版の冬の時代に出版業をはじめた出版の黄金期をしらないものにとっては、よき時代が失われたといって嘆いても意味はない。もちろん、シフレンはベストセラーをずっと何冊も出してきたやり手の編集者であり、自身で出版社を作って、それも成功させているわけだから、嘆いているだけの人ではないが。今は、70年代とはちがって、課題がそもそも白黒つけにくいものになってきている。単純ではない。親米か親ソかとか、開発か自然保護かとかのように2者択一的な問題ではなくて、それぞれのいろいろな局面で、少しずつ見解が違うし、意見も違うというような現実のなかで、本とか新聞とかが複雑な状態を表現できるのだろうか。多くの出版社や編集者は課題を見つけていないし、見つけたとしてもその課題は今の時代、本という媒介で、書店で買ってもらうようなかたちで情報は共有されるものなのだろうか。編集者が、ちょっと難しい内容の企画を通すことをあらかじめ断念するようになってしまったのか。

 たぶん、そこにはいろいろな問題がある。まずは、ことばの問題があるのではないだろうか。そもそも、本や新聞のような活字のメディアは、政治の議論をするには適しているが、個別の事情を議論するには適していないのではないだろうか。活字のメディアというものは、誰かの立場を伝えるとか、誰かの考えを批判するには適しているメディアであるが、本自体が議論を作りだし、解決する場所になるという点については不得意である。単なる伝えるだけのメディアとしての本は、機能しなくなっている。

■インターラクティブなメディアとそれに適合した日本語


 一方、今は、ネットワークによるコミュニケーションが、行われている。掲示板やメールなどのインターネットで交わされることば(本コラムの文章もその一つだろう)をも含めて、新しい言葉を作っていくことが、新しい知的な状況を作り出すことになるのではないだろうか。まずは今話され、使われている日本語の現状を反省的に見てみる必要があるのではないだろうか。私自身出版人であり、シフレンとはことなったアイディアを試してみる予定である。私なりの答えとしてNPOのマネジメントという新しい市民の教養とコミュニケーション技法について書いた『市民の日本語』(加藤哲夫著)という本を近々刊行する。

 本当の意味でのインターラクティブなメディアとそれに適合した日本語が作られなければ、新しいことばや思想は生まれてこないだろう。そういうものがなければ、誰も身銭を切って本を買おうと思わないのではないか。インターネットも含めた新しいメディアとことばが生まれないのが問題の核心なのではないだろうか。


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