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(6/10)父親不在の学校教育(松本 功) 筆者写真  この春に、私の子どもが小学生になり、地元の小学校がどうなっているのか、この機会に知っておきたいと思って、PTAの広報委員になった。私自身が小学生であったのは、はるかに昔、30年以上も前のことだから、今の小学校がどうなっているのか、知りたかったというのが主な動機である。もしかしたら広報委員なら、学校に出入りしやすいし、学校の仕組みを知るのに便利だろう、日頃の自分の仕事と関係があるから、何か引き受けてもそんなに手間は取らないだろうと思って、あまり考えずに、気楽に立候補してしまった。

■学校への関心薄い男親


 その後の顛末は、置いておいて、実際に委員の一人になってみると、当然のことなのだろうが、男親がほとんど関わっていないことに愕然とした。男性は、あとは、会長と副会長くらい。お母さん方のいろいろな活躍には尊敬の気持ちを抱くばかりである。打ち合わせに出ると、仕事を持っていない主婦の方が多いが、仕事も精力的で正確だし、話し方も論理的で明晰で、敬服する。男親がどうしてこんなにもすくないのか。今の世の中、小学校という組織にもいろいろな問題がある場合があるということは、聞いているはずだし、子どものいじめで自殺したとかそんな話は、新聞などでも報道されているし、少しは心配だったり、気になったりする人もいるのではないかと思ったが、男親は、母親にまかせていて、実際に子どもが長時間過ごす学校への関心はそんなにないように感じる。

 もちろん、私は、学校まで歩いて5分程度の地域に、小さな会社を自分で経営していて、(しかも一日中、お客さんが来て、何かを売ったりするような客商売ではないから)多少は時間の自由が利くという特殊な境遇であって、多くの男親たちとは条件が全然違う。多くの男親の場合は、時間が自由にならないし、こどものために、仕事を休んだり、早引けしたりするということは歓迎されていないというのは平均的なすがたなのだろう。ただ、そうはいっても、子どもの教育は、親たちの責任であるし、何かがあった時にだけ、駆けつけるのではなくて、何かある前に、日頃から視線を寄せておくことがあっても当然だとも思う。学校に問題があるのなら、重大なことになる前に、転校してしまうとか、学校を変えさせるとか行動を起こさないと本当に困ったことになる。自分のこどもに何かがあってから、誰かの責任に転嫁すると言うことは、私はしたくないと思う。子どもの教育は、学校に任せておいてよいわけではなく、人それぞれやり方は自由であるが、参加する機会を作るように心がけるべきだろう。

■議論なき諸問題


 一方では、週刊誌や新聞などからは、ゆとり教育と呼ばれている最近の教育改革に対する批判ははげしいものがある。マスコミという場では、いろいろ言われているにしろ、自分の子どもの実際の生活に興味のある人は少ないのだろうか。円周率が「3」になるとマスコミでは報道されていたが、その後、実際に子どもたちがどのような教育をされているのか、自分のこどもに聞いてみたりしているのだろうか。

 しかしまた、さらに不思議であるのは、親たちが学校の現状を見ることができず、何をしているかがわからないということ、外部からの視線がはいらないことは指摘されてはきたものの、具体的に視線を入れるためにはどのような仕組みが必要かということについては、ほとんど議論もされてないこと。共働きの世帯と子どもの教育について課題は、もう数十年前から、あって、さらに増加し続けているはずなのに、まともな議論の蓄積はないように見えることである。

 たとえば、比較的大きな企業のビジネスマンや公務員には、子どもが生まれたときに育児休暇はあるのに、なぜ、小学校になってからは、実際に子どもたちが教育をどう受けているかを見聞きしたり、子どもが通う学校を手助けしたり、意見を言ったりすることを可能にするための時間を仕事をしている人間に対して保証するような育児休暇はないのだろうか。そのような育児休暇を制度化しようと言う運動は聞いたことがないが、親が教育に参加するための、制度を作ろうという動きはないのだろうか。小学生の親が小学校や小学校を支えるはずのPTAの場に参加できるような権利がないのか。小学校に入る前の、保育所の開いている時間の延期は議論になるのに、なぜ、親が運営に参加するような権利と義務については議論がないのか。あるいは、学童保育と呼ばれている放課後の子ども達への教育について、仕事をしている親たちが多いのにもかかわらず、あまり議論がなされていないように見えるのはどうしてなのだろうか。学童保育などでは、どうも数十年前から、問題になっていることが、全然進展していないようだ。

■社会的に議論する必要性


 小学生を持つサラリーマンに、「育児休暇」を与えよということだけではなく、小さい子どもがいる世代が、職場を変えて地元で、仕事をしやすくするとか、自営業的な会社を作ったりしやすくすることも促進することもあってもよいように思う。このようなことは、社会的に議論する必要のあることだと、私は思う。社会的に議論する必要があるということは、この議論には「公共性」があるということだ。社会的に必要で、公共性があることが、どうして、世論にならないのか。新聞などのマスコミには、そんな、社会性があるのに埋もれた議論を広い人々の問題、つまり公論化する役目があるはずであるのに、どうしてその機能が果たされていないのだろう?マスコミは、国政レベルの問題を議論するには適しているが、地域レベルの問題を議論するには適していないということだろうか。言論を公共化する仕組みが、ここ数十年、きちんと機能してこなかったということになるのだろうか。

 それはマスコミの責任なのか、それとも市民社会の制度自体の問題のだろうか。マスコミ以外のメディアを作るべき時にきているということなのだろうか。


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