1996年9月6日 書店さんへ! 常備店募集中!


ひつじ書房では、鈴木書店経由で常備のお願いのお知らせを発送した。書店さんではない、読者のために説明しておくと、常備とは、書店さんに売り上げを立てないで、見本として1年間預かってもらい、売れた分だけ補充してもらうことである。書店さんは仕入れのリスクが無く店頭に在庫でき、また、出版社としては店頭に置いてもらうことで、多くの人の目にさらされるようにすると同時に、購入してもらう機会を増やすことができるやり方である。最近は本の寿命が短いので書店さんは、1年間固定してしまう常備に以前ほど積極的になれないようになっているということも聞く。大学生協の定番はこれを発展させたものともいえる。
やはり我々のような本の場合はメリットが多い。読者の方から問い合わせがあった時、○○書店には並んでいますといえるし、なんと言っても目に触れてもらえるのはありがたい。倉庫の奥に眠らせても仕方がないわけで、戻ってくる恐れがあるにしろ、今まで10軒程度しかなかった状況からすると、20店くらいになれば、だいぶ知られる可能性が増えるというものだ。また、読者の方が注文する際も、常備店なら、ひつじ書房のことをよく知っている訳だし、情報のやりとりの多いから、品切れとか重版とかの情報も流しやすいというわけだ。問い合わせていただいておかしな応対ということもないだろう。ありがたい、ありがたい。

また、今日、東京大学生協駒場店書籍部の渡辺店長さんから電話をもらった。大修館、ひつじ、くろしおで、10月に言語学のフェアをしてくれるようだ。ありがたい、ありがたい。店頭曰く「くろしおさんも、スリップにISBN入れてくれるようになってデータも取れるようになっているし・・・」「それは私が教えて上げたんです」自慢してしまった。もともとは旧鹿児島大学生協の登尾さんに教えてもらったことですが。

ネチケットの表紙のカラーコピーが日興美術さんからあがってきた。我らが編集長但野が、レイアウトした力作である。なかなかかわいい表紙になっている。いい絵を描いていただいた仲世さんのおかげである。その編集長は明日イギリス出張に向けて旅立つ。さてさていくらの売り上げとなるだろうか。がんばれ、編集長!

また、プリントゴッコで作った葉書を400弱の書店さんに発送した。最初、ピカッとならず製版できないで困ったが、電極の部分をヤスリでこすったら、光ってくれた。なんと言っても数年前に暑中見舞いを出して以来なので、さび付いていたのだ。成果はいかに?

それにしても今週は2日も事務所に泊まり込んでしまった。我が娘の寝顔を2晩も見れないとは、悲しい。のぞみは歯が生えました。泊まり込むとやはり仕事は進む。昼間は仕事半分しかできないものなあ。

1996年 9月7日 ますや書店さんにリンクを貼りました


NiftyserveのFbookc10番会議室 【業界サロン 】著者−出版社−取次−書店での常連のMASUYAさんが、ホームページを作られましたので、ホームページにリンクしました。琵琶湖の北ということで、地元にも根ざした情報を提供されようとしていていい感じです。


1996年 9月18日 編集長、無事帰還


但野編集長が風邪ひきではあるが、無事帰ってきた。イギリスに行っている日本人の方々に助けてもらったようだ。もう少し詳しい報告は本人からしてもらうことになっている。

1996年 9月20日 東京大学生協書籍部駒場店で言語学書フェア


東京大学生協書籍部駒場店の店長渡辺さんに会った。何度も書いているが、鈴木書店の口座は渡辺さんのおかげでとれたのである。お礼に行こうと思っていたが、今までかなわなかった。今度、ひつじとくろしおと大修館との3社で、言語学書フェアをやってくださるという電話をいただき、この機会にとお邪魔した。
店長と台湾料理の店に飲みに行った。卵関係がおいしかった!店長は、指定された教科書以外の関連書、参考書をいかにして授業をする先生に聞き、部数を予測して、店に並べるかということが、大学内にある書店の一つの使命だと言っていた。そういった努力によってわれわれのような人文書の出版社は助けられてるのであろう。
日販の駒場担当の大悟法さんも来ていて、酒席にご一緒した。本の発注は、店舗の人間だけでなく、取次店の人も手伝っているのに驚いた。そういうフォローをしているのですねえ。知らなかった。ご本人は、入社4年目とは思えない、ベテランかつ存在感のある人で、圧倒された。パソコン社内導入の話には笑わされた。交通費の精算をパソコンでやるようになってから、75パーセント減ったそうである。すごい経費削減だ。ご本人はザウルスで、その場でメールを見るなど、使いこなしている方だった。自分で雑誌を発刊していたり、ホームページを作っていたりとエネルギッシュな方だった。実は、私が前につとめていた桜楓社で若山牧水の本を出した方のお孫さんであった。

1996年 9月21日「国際社会と日本語」


実質的に国立国語研究所が、中心となって行っていると思われる新プロ研究「国際社会と日本語」という名称の公開シンポジウムが国連大学であった。時間をつぶすにはちょうどよい催しで、大手新聞にも載ったようで、研究者以外の人も大勢参加していた。東京の中心部の青山学院大学の正面のいいロケーションで、海外からも人を呼んでいて、かなりお金がかかっているだろうと思われた。科学研究費を使う際の義務でやっているシンポジウムだろうと思うが、そのお金があれば、本が何冊かできるのにと思った。一日だけ、公開するのと、永遠に残る本を1冊作るのではどうなのだろうか。本ではなくても、インターネットで読めるように公開しておくといった手もあると思う。
また、いつも不思議であるが、入場無料だとどうしてあれほどの人があつまるのだろうか。数百人はいたはずである。言葉に関して興味を持っている人が多いと言うこともあるだろうが、お金を払わないですむのなら、土曜日一日つぶしてでも出かけるということだろう。これが、500円だったら、1000円だったら、どのくらいの人が集まっただろうか。いつも驚きであるが、多くの人は、2000円程度の本代も渋るものである。食事なら、数千円すぐに使うのに。一時で消えてしまうものには、お金を出すと言うことなのだろうか。知識にはお金を払わないということだろう。
青山ブックセンターに念願の挨拶に行った。

1996年 9月22日 「学術専門出版とインターネット


大学出版部協会編集部会主催で上記の勉強会が開かれる。私もささやかながら、短い話をさせていただくことになっている。10月11日(金)の午後から行われる。今、当日話す内容をまとめているところだ。

たぶん、どうして弱小出版社に、インターネットが必要であったのか、また、現実的にはどの程度の貢献をしているのか、今後商売としてどの程度期待できるものなのか、最後に本づくりの題材としてネットワークに関わることの意味と必要性のようなことを短く話すことになると思う。

1996年 9月25日 デジタルとアナログのハイブリッドを


日興美術の東京所長さんを小畠さんがつれてきて下さった。直接の目的は4月に取引をやめた印刷所から引き上げたフィルムを日興美術で、印刷したいができるかどうか、という相談であった。結論的にいうとフィルムにトンボの入っていないフィルムでは印刷ができないということであった。トンボというのは、印刷の位置を決める印のことだが、通常の古い設備のところでは人がフィルムを刷版の板の上に置いて人間の目で位置合わせをするのでできないことはないのだ。だが、日興美術では、フィルム作成の時にすでにデジタルで処理しており、自動的にトンボを入れている。機械で版を焼く位置も決めていて、たぶん刷る時もそのトンボが必要なのだ。
これはデジタル化したことによって品質を高度な方に均一化を可能にしているのだが、一方トンボが無いと印刷できなくなってしまうのだ。私の考えでは、トンボでなくてノンブル(ページの番号)でもプログラムでできるような融通の利くシステムにすることも将来的には可能だろうと思うが、今の段階ではコンピュータの枠に入らないとダメなのだ。むむむ。一旦、そこまで進んでしまうと印刷現場では人的なノウハウの蓄積が無くなってしまうから、対応ができなくなってしまう。だれか、昔の技術を持った職人がいて融通を利かせてくれるということがあればもっと都合がいいのにと思ってしまった。でも、ここでいう昔の技術とは5年前くらいの技術だ。すべてをデジタル化(コンピュータの都合に合わせる)ことで、大きなメリットもあるが、アナログな職人というものも融合させてほしいものだ。ただ、21世紀にはアナログの職人はいなくなるのだろう。職人は復活するだろうか?私は職人の時代が来るような気がしている。サラリーマンの時代も終わりかけているのではないか?このことはまた考えたい。

1996年 9月26日 ミウラさん来社


京都の古本屋さんのミウラさんが、古書会館での入札のついでにお寄りになった。ミウラさんとの話で面白かったのは、自己紹介のないホームページの話だった。確かに私にも理解を超えている。自分を発信するためにホームページを作るというのが、普通の考え方だと思っていたが、それとも違う考え方があるらしい。もっとも私のように商売とつながっている人間とまったくの個人で作っている人とでは違いがあるのは当然だろう。私は、好むと好まざると広告塔にならざるを得ないから自分の「売り込み」もするが、そんな必要のない人は・・・。理解できないと言うと、伊達公子の引退も理解できないな。新聞もほめているのが多いが、どうしなのだろう。私が伊達公子だったら、NECやらあちこちから広告収入をがっっぽりもらって、そのお金で本をどんどん作りたい。印税もたくさん払う。前金でもいい。たくさんでなくてもいいけど、もう少し金があればなー。どっちにしろ、伊達公子は、本なんかつくらんだろうけど。

1996年 9月27日 デジタル時代のことばと社会の会


気鋭の言語学者Tさんと気鋭の劇作家Hさんと気鋭の社会学者(?)Kさんの上記の集まりに出席した。私ではなくて、大先輩にあたる編集者Kさんの肝煎りで青山で行われているものだが、私も手伝いで参加させてもらった。内容は面白く、今回は、Kさんによる前提となるべきメディア研究のオリエンテーションが行われたが、早くも入り乱れて、次から次と様々な話題が提供された。面白くなっていきそうである。ただ、私の頭でまとめることが今はできないの啓発され、考えながら、報告できることがあれば、この日誌でも公開していきたい。劇作家Hさんとは私が大学時代いっしょに広島にいったことがある。これも面白い縁だ。

1996年 9月28日 ネチケット 一部抜きを見る

本は製本にはいる前に、刷り上がったものを見て、きちんとすれているか確認するのだが、今日ネチケットのその確認にための一部抜きが届いた。問題は無かった。私は洋書っぽい感じになるように意図して、ラフな表面が少しぼさぼさしているような紙を選んだ。持った時に軽いので驚くはずだ。装丁というと重厚なもの、贅沢なものを尊重する傾向があるが、私は、持ち運びが簡単でどこでも読めて、軽い本がいいと思っている。マッキナニー著のブライトライトシティのようなのが、好きなのだ。いずれにしてももうすぐ本になる。やっとだ!

10月11日に話すことだが、学術専門出版社にとって、インターネットは来るべき電子リテラシー社会へのエクササイズではないか、ということを話そうと思う。





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