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房主の日誌

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日記をつけることにしました。わたくし、ひつじ書房の房主であります松本功の日記です。弱小出版人の恨み辛みやらこんなことをやってます、というのを書きたいと思っています。やりながら考えるたちなので、下手な考え休むに似たり、と思いますが、断続的に続けて行くつもりです。

はじめる前に。出版界の大先輩の津野海太郎さんの『本はどのように消えていくか』(晶文社、1900円)は、今年の初めの大きな成果だと思います。その中の章、「インターネット電子出版入門記」に私の名前があがっていました。おそれ多いことです。元気づけられた一人としてあげられていましたが、私こそいろいろ学ばせてもらってきているのですから。

ホームページを作るということは、ささやかな試みでしたが、そんな大先輩の「原因」にもなれるのなら、ほんとによかったと思います。ボイジャーの北村さんともマックエキスポの時に、リンクをはることからはじめていろいろできることをやろうと話していますが、相互的に巻き込みあえれば、やれることはたくさんあるので、面白い気がします。この日誌もそのための一歩と考えています。


1996年3月30日

ホームページの補修をした。一月ぶり。ある電話を待っていたのだが。来なかった。
おかげで3時まで、いじってしまった。

今日、新王子製紙と本州製紙の合併という記事を読んだ。たぶん、紙の値段が上がるだろうと思います。すでに、去年から紙代がずいぶんあがりましたから。加えて、合併すると銘柄が、減りますので選択枝も減ります。紙ばっかり、消費していられない、というのは元からありますので、紙以外の手段も現実性を増すかもしれません。

1996年4月1日

個人的なホームページなので、書いてしまおう。共同経営者であり、妻である専務が、出産した。大変な出産であった。28日に入院してから、4日目にしてやっとのことで4月1日エイプリールフールの今日、生まれた。30日の日に待っていた電話は、出産の知らせだった。陣痛が弱かったり、分娩台にまで上りながら、途中で降りてしまったり。今日はもうどうしても生んでしまわなければ母体も子供も危ないということで、医師や助産婦さん、もちろん本人の必死の努力で生まれた。お医者さんは、妻のお腹に乗って押し出し、また助産婦さんは引っ張りと大変だったようだ。聞いたとき耳を疑ったが、子供はなんと4742グラムもあった。女の子であった。髪の毛も黒々と生えていた。1996年4月1日16時51分。「のぞみ」誕生。

1996年4月2日

朝鮮語入門の青焼きと色校を印刷所に戻す。これで、問題がなければ、10日に刊行できる。この春から採用して下さった先生方、教科書だというのに、遅くなりまして申し訳ありませんでした。この本は、著者の油谷先生に何から何までお世話になってしまった。油谷先生に厚くお礼申し上げる次第です。アップルのマルチリンガルの機能を使って、本書は漢字トークに、ハングルトークを入れて執筆していただいている。研究者の方々がみんなそういう執筆をしていただければ、ひつじ書房は楽なのだが・・・。などと勝手なことを考えている。でも、実際印刷所で組むのはすごい苦労と経費なのだが、
この方法だと日韓対照言語学も恐くないのである。今年から、NHKの朝鮮語のラジオ講座を聞くはずだったのに、ばたばたして聞き逃してしまった。明日から聞くことにしよう。

1996年4月3日

ひつじ書房では、大学の紀要の編集と製造を請け負っている。自社の単行本を作ることと並行して、大学での研究内容の公開のお手伝いをしている。もちろん、仕事として請け負っているわけである。今日は、抜き刷りができたので、それを納品したのだ。秋からこの仕事はしていたので、半年仕事ということになる。抜き刷りをお渡しするとき、来年のこともあって、一つの提案を申し差し上げた。せっかく、紙の本を作るのだから、来年はそれをHTMLにしませんか、という提案だ。紀要というものは、本当に必要な人にはなかなか届きにくいもので、重要なものが載っていても、所蔵しているところを見つけるのはかなり手間がかかってしまう。でも、もし大学のホームページに入っていれば、必要なときにすぐに読めるというわけだ。なかなかいいアイディアだと思うが、どうだろうか。実際にDTPの印刷所さんと相談をもうはじめている。
親ばかだと思うが、子供を撮るためにデジタルビデオカメラを買った。面会時間が短くて、早い時間なので、時間の余裕がなくて、しかたなくて帰りの電車の中で、説明書を読み、カセットを入れ、バッテリーを入れて、ファインダーを覗いて、試した。ははは。何とも。ただ、買ってみるといろいろ使い道が浮かんでくる。ホームページに画像を入れるというのももちろん、最初から目的の一つだったわけだけれども(神保町食べ物マップを作ることを誓います!)、活字組版の現場や鉛版屋さんの仕事、DTPへの橋渡しだった活字清刷りタイプライターなど、もう少しで消えていきそうな印刷技術を記録に残して置きたい、という願いが胸の中に芽生えてきた。そんなことは他の人はあんまり興味もないだろう。そのためにはいいツールだ。
ニフティの本のフォーラムFBOOKCの業界会議室のミウラさんの所属されている京都の古書店のホームページにリンクした。

1996年4月4日

今年の刊行予定の一覧表を作ってみた。30冊近い。出ないものもあるにしても、実質3人でやっているので、一人8冊くらいは少なく見てもあるということだ。しかもその中の半分以上自社DTPだから。かなり辛いところ。どうしたもんだろうか。


1996年4月5日 思い上がったひつじ書房

久しぶりに、NTTのホームページからはじめて出版社のホームページをたどってみる。ずいぶんとたくさん増えたもんだと驚く。もうすでにホームページを持っていること自体は、何の特色にもならないようになったようだ。町の本屋さんに本が恐ろしくたくさん並んでいるのと同じように、出版社のホームページもただたくさんあるだけになってきている。どーも、面白くない。バカバカしいことかもしれないけど、インターネットによって何かが変わるのではないか、と期待している私にとってつまらないなーと思う。ひつじ書房が、独自性をだすとしたら、やっぱり、学術出版系の出版社として、もっと自己を表に出して行くしかないだろう。こんなふうに感じるのは、思い上がりだろうか?
本日、歴史民俗博物館の橋本さん来社。アメリカのプリンストンから帰った気鋭の芸能研究者だ。小社からは、『課題としての民俗芸能研究』、『身体の構築学』の中の論文を執筆している。いろんな話が出たが、向こうのある研究者が、大学院の博物館学の授業で、その研究者のホームページが、参考文献一覧になっているのだそうだ。課題になっている世界中の博物館のホームページがリンクされていたり、参考文献自体のテキストがみれるようになっているという。これはなかなかすごい。博物館学といっても、近代の博物館がどのようにつくられ、社会的にどんな役割を担っているか、といったことまで考える研究だから、なおこことすごい。つまり、今現在の博物館のあり方といったもの、バーチュアルというより、インターネットの中にあるという現実をも含めて考えさせるということだからだ。
余談だが、竹橋の近代美術館は金曜日は、7時30分まで入場可能だと言うこと、ご存じでした?


1996年4月6日 ニフティサーブFBOOKSフォーラム

書店の本の大海の中でどうやって、自分のところの本を知らせるか、ということは、かなり大きな課題である。朝日新聞の一面の下の広告は、一スペース100万円以上で、とてもそんなお金はないし、書店さんを回る余力もほとんどないわれわれには、本当に頭の痛い問題である。このホームページもその解決ためというのも目的の一つである。
当該のフォーラムは、ニフティサーブの中に本のショーケースを作ろうというもの。ニフティの書き込み限度である300行以内で、本の紹介を行うものである。もともとはFBOOKRの中に、昨年の秋に作られたものだが、その時、日頃、露出度の多いとは言えないひつじ書房としては、シスオペの江下さんから、お話があった時に、即座に了解した。今回、それが独立して一つのフォーラムになったというわけだ。その上、今回から協力スタッフということになった。なかなか面白くなりそうである。


1996年4月7日 地方小のページにリンク

地方小出版流通センターのページにリンクをはった。


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