これは草稿です。最終原稿ではありません。
出版ニュース(出版ニュース社発行)の来年の1月の上旬・中旬合併号に
掲載されます。どうぞご覧下さい。


ひつじがめぐる冒険


ひつじ書房がホームページ(http://www.mmjp.or.jp/hituzi/index. html)を作ってから、1年と数カ月がたち、その時点では出版社のホームページは一桁程度であったのに現在では数え切れないくらいになっている。出版社でもホームページをとりあえず作るのは、はやりであるようだが、この時点で、これまでの小社のホームページの経験を反省して、今考えていることを述べたいと思う。ただし、これはあくまでひつじ書房という一つの小さな学術専門出版社のケーススタディであり、私個人が切り取った報告として読んでいただければ幸いである。
ひつじ書房を知らない人がほとんどだろうと思うので、少しばかり自己紹介をさせていただくことにする。ベルリンの壁の崩壊の次の年、1990年の2月に創業したので、現在は、7年目ということになる。今まででだいたい60冊程度を刊行した。半分くらいを社内のマッキントッシュのDTPで、作っている。私と妻に加えて、3人のスタッフで、仕事をしている。「ひつじ」というかわいらしい名前がついているが、出している本はハードな内容ばかりで、言語学という専門的な分野が中心である。それも翻訳ではなく、日本語の仕組みを解明するオリジナルな研究書ばかりである。読者としては、中心は言語研究者とその予備群、また言語学に興味を持つ関連諸分野の研究者ということになるだろう。昨年は『東京弁は生きていた』という本を出し、最近では『ネチケット―ネットワークのエチケット―』という本も出した。広くは、ことばに興味のある人が読者ということになる。加えて、『身体の構築学』のような文化人類学や認知科学などの臨界領域の新しい人文科学の研究書も刊行しはじめている。すでにできあがっている学問を人々に啓蒙したり、紹介したりするのではなくて、今まさに世界で同時代的に研究されているホットな新しい人文科学の本を出せる出版社をめざしている。啓蒙ではないから、読者の数もさほど多くないのはつらいところだ。21世紀まで生き延びることができれば、かなりのことができるようになると自負しているが、現時点ではマイナーな出版社だ。


読者と著者と我々とのコミュニケーションの手段

ホームページを最初に作ったとき、我々が望んだのは一言でいうと、読者と著者と我々とのコミュニケーションの手段を作りたいということであった。具体的にいうと、刊行物の内容、刊行時期、入手方法、言語学関連のリンクなどの読者への情報提供(問い合わせに答えることも含む)、ひつじ書房自体の紹介を載せていた。『未発』という小社の図書目録兼PR誌の内容もそのまま載せてあった。今年の2月からは、自分でホームページをアップデートできるようになったので、「房主の日誌」と題した私の業務日誌兼日記を公開して、ほぼ毎週、多いときは毎日少しづつ新しい情報を書き込んでいる。小さな出版社の立場から出版社の内幕、印刷所のとの関係、読者や著者との関係についてなど、半ば公開の日記として書いてきた。
ホームページを作ったのには差し迫った必要があった。トーハンや日販などの大手取次店と直接の口座をもてないでいる我々は、書店流通から排除されている部分があり、分野がマイナーだということで新刊配本もわずかな部数しか、できない状況である。地方小出版流通センターだけの時代から鈴木書店に口座を開設して、かなりよくなったが、読者の方々が、書店で入手しようとしても非常な困難がともなうのはあいかわらずである。本の流通が不完全であるだけでなく、情報もきちんと流す方法がなかった。情報の提供のために、雑誌広告も、新聞広告もやりたい気持ちはあるが、経費がかかりすぎる。そのような折に、コストの少ないホームページは情報の提供能力からいって、魅力的な宣伝媒体に見えた。作成時は1月30000円であったし、いまではなんと月5000円である。ひつじ書房の本についての情報が、圧倒的に少ないので、自ら何らかの方法で情報を広めていかなければならないことからすると最適なメディアに思えた。
小さな出版社の場合、大手出版社とは販売方法も原価計算も違って定価が、高価であることや、店頭に並ばず、読者は通常の場合、注文してまで本は買ってくれないので、注文してもらえるように、読者に対して訴えかけたり、説明したりすることが必要である。小さな出版社の流通の立場は、非常に弱い。99パーセントの読者は、(経済規模が小さいことなど理由はあるにしろ)差別的な流通の問題があることなど、知らないし、説明もされないという現状では、自分で説明するしかない。ホームページはそれができる手段だと思ってきた。その他にも、私には説明したいことが山ほどあり、たとえば、私は21世紀の人文書の出版は啓蒙ではなく、エクササイズの時代になると思っているとか、説明の手段がどうしても欲しかった。
読者が、よく知らない出版の事情は山ほどある。中には説明して、分かってもらった方がよいことも多い。具体的に例をあげると、言語学には音声記号というものがある。活版の時にしろ、電算写植にしろ、特殊な文字はない。ない文字は当然作ることになるが、文字を作るのはかなり大変なコストであった。印刷してしまえば、どうということのなく見えるページもその1ページにかかるコストというのは文字を作らなければならない場合は、べらぼうに違うのである。活版の時に作字すると、1文字で1ページ分の経費がかかったこともある。それが何文字もページに入っていたら・・・。このようなことは、比較的専門書の事情が理解できる人が多いはずの学会での出張販売の時であっても、「この本こんなに薄いのに13390円もするの」という非難に説明のしようがないのである。(出版業界の人でも、分からない人が大半であろう。)でも、どうにかして納得してもらわなければ、非常識に値段を付けていると思われてしまう。それは心外である。そういった説明の必要な時にホームページは有効だと思ってきた。実際、説明を載せてきたのである。

ホームページが、読まれているか

しかし、読まれているのだろうか。ホームページによって理解されたのであろうか。最近では、1日40ほどのアクセス数があり、40人の方々に毎日ひつじ書房のホームページは見てもらっているということになる。これは1年にするとのべで1万数千人であり、少ない数だとは思っていない。若い著者やつきあいのある研究者の方からも、読んでいますよという声をいただくこともあり、読んでくれている人は確かにいる。また、電子メールのでの問い合わせや注文は実際に週に何件もあるし、すでに実用的なレベルで稼働してもいる。郵便振替や宅配便の代引きなどによって直販も行っている。少なくとも5000円以上の売り上げはあるから、「赤字」ではない、といってもいいのかもしれない。また、出版社が初期に作ったホームページということやまじめに運営しているところが好意をもってもらえるのか、新聞などで紹介されることもあり、ひつじ書房をしってもらうことに役にたっていることもある。
効果はあるにはあるが、十分なものかというと残念ながら不十分であるというのが、現時点での冷静な結論である。専門出版社としては特定少数の人にきちんと情報を伝えるというのが重要なのだが、必ずしもうまくいっていないようだ。例を上げよう。11月に英語学会という言語学関係の主要な学会のひとつがあり、ひつじ書房のホームページのトップページで英語学会に出店しますと告知し、その英語学会の部分をクリックすると「英語学会の時にホームページを見ています」といって下さった方にプレゼントしますと書いておいた。が、名乗り出た方は、ゼロであった。一方、同じ英語学会で教科書の献本をしたときに、申し込み用紙に名前などを記入してもらったが、ほとんど方がe-mailのアドレスを持っていた。これは、考えさせられるに十分な事件であった。というのはe-mailのアドレスを持っていて、アクセスできる環境にありながら、ホームページにアクセスしてくれない人がたくさんいるということだからである。私が研究者だったら、どんな新刊が出ているか確認しておくということぐらいするだろうと思ったが、そうでもないらしい。研究書を刊行している出版社にとって、特定少数の方々に密に情報を提供するというのは重要なことである。言語研究者むけということで、「月刊言語」や「英語青年」などには広告の中にURL(ホームページのアドレス)を載せているのにも関わらず、インターネットにつながっている人から、十分にアクセスされていない。これは、ホームページを持っているという情報が伝わっていないということと、ひつじ書房のホームページの魅力がないということであろう。実際、学会の時に配るチラシにはURLを載せており、学会の後はかならずアクセス数が増えるという現象が起きる。読んでもらいたい人々に、まだまだ読まれていないということがいえる。アクセスされないのは色々な意味で、私の力不足だ。読者を引きつけ、読んでもらいたい人に読んでもらううためにはどうしたらよいのだろう。

編集者にとってのエクサイズとしてのネット経験

ただ、ここで、ホームページは広告掲示板であるだけではないということも述べておきたい。ホームページの経験は、編集の上で非常に重要だと思っている。ネットワークがわれわれの日常を変えるのであれば、新しい様々な状況がそこから起きてくるはずで、出版社としても様々な新しいトピックが生まれてくるということだ。我々は、言語学の出版社であるわけだが、ネット上の言語の研究というものは今後重要なトピックになっていくだろう。インターネットのエチケットの本『ネチケット』を、ひつじ書房で刊行した理由のひとつがここにある。インターネット上では、言葉によるケンカもあり、ことばの機能を考えるのに重要かつ新しいトピックの宝庫である。また、このケンカについての日米での共同研究の出版ができないか、企画中である。私が面白いと思うのは、執筆者と同じところで企画を立てられるということである。同じところというのは、執筆者である言語研究者や人文学研究者にとっても、ネットワークは新しい経験をしている最中であり、今起きている大変動を、ともに体験し、研究者と編集者が共同して、本づくりができるということなのである。これは実に編集者冥利につきることであると思う。この大変動はまさしく人文科学的な前提をも変えようとしている。編集者がネットで体験することが、一種のエクササイズであり、それがそのまま編集上の重要な体験になる。啓蒙が主体の出版社・編集者にとっては、面白くないだろうが、私にとってこれは面白い。まあ、はっきりいって、この体験自体のおもしろさがなければ、毎週ホームページの更新などできない。
また、我々はある大学の紀要の編集・制作を数年前から仕事として行っているが、今年はこの紀要をDTPで作り、インターネット上でも公開できるようにもして紙の紀要とともに納品するつもりである。新しい学術情報に公開に関わるビジネスを展開しつつあり、このことを考えついたのも実際にホームページを作っている体験からである。これは、学術情報がどう流れるようになるかの実験にもなる。また、今までとは違った情報の提供の仕方が、可能になる見通しもある。教科書の献本や見本ページを、DTPで作ったものをそのままオンラインでの公開することを来年からはじめる予定だ。これは重要なことだ。つまり、オンラインで新しい情報を発信できるということだからだ。そうなれば、ホームページは、いっそう有意義で刺激的なものになり、定着するようになるだろう。(その情報のコストをどう回収するかという問題ももちろんある。ただ、私は楽観的で、「ソフト」的な何らかの方法を用いて解決できるだろうと思っている。)そうなって初めてアクセスしてほしい人にアクセスしてもらえるようになり、コミュニケーションとしてのホームページが成立できるようになると思う。

長い道のり、でも着実に

最近もこんなことがあった。たまたま同じ日だったのだが、図書館と書店の方から電話がかかってきて、最新の目録を欲しいのだがというのである。(この二つは全く関係のない図書館と書店であった。)私が、「ホームページは見ることができるのでしょうか?」ときいたら、「できる」と返事が返ってきた。「最新の新刊の情報はホームページから見て下さい」とお願いしたら、見ますといってくれた。これらの方々は、今後はホームページから刊行情報などを入手してくれるだろう。この例を見るまでもなく、ホームページが実際的な手段として、定着しつつあるということは、間違いのないことである。ホームページをどう出版活動の中に位置づけていくかは、いうまでもないことだが重要なことだ。我々は、ホームページを新鮮な情報のある魅力的なものにしていくとともに、紙媒体や口コミといった様々な方法を用いて、まだアクセスしていない読者にも知ってもらう努力を続けていく。我々のホームページを定期的に訪れてくれる方が、定着していくだろう。それはそんなに先のことではないだろうと思っている。


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