「出版の仕事知らない著者、出版方法教えない出版社 どう解決するか」

「出版の仕事知らない著者、出版方法教えない出版社 どう解決するか」

「研究書出版支援講座」についての報告として

「研究書出版支援講座」についての報告を書かなければならないと考えているが、もう少しかかると思われるので、出版業界紙「新文化」(2005.11.3)に書いた文章が、出版業界向けであって、著者向けではない点はあるが、概略と意味について書いているので、ここに掲載することにした。「新文化」とは少し変わっているところが一部ある。「研究書出版支援講座」についての報告は、年内に行う予定です。


 ひつじ書房では、9月に「研究書出版支援講座」を開催した。研究者向けに研究書の出し方を伝えるという趣旨であった。大阪外国語大学の仁田義雄氏と京都大学の家入葉子氏の両教授に講演していただき、著者の立場から、研究書の出版の意味について講演していただいた。私からも、学術出版社とはどういうものかについてと、日本学術振興会の出版助成金についての話しをした。

 この講座は、当社で、7月から2カ月間行ったオープンオフィス(誰でも研究書の出版について自由に相談できるように当社の事務所を公開すること)の締めくくりとなるもので、参加者も多く盛況であった。なぜ、当社がそのような講座を開いたのか、どういう意味を持つのかという点を述べたい。そのなかで、研究書を出す学術出版社と著者・読者との新しい関係の構築の試みについて述べたい。

 さて、当社は、言語学の研究書を出版している学術出版社である。1990年に創業し、今年で15年になる。言語学の世界では、3年連続で「新村出賞」を受賞するなど、言語学の出版社としての認識は、研究者の世界では、定着してきていると自負している。我々の著者は、研究者であり、研究者が書く書籍を主に刊行している。仕事柄、当然、研究書の出版について相談される機会が多いが、最近、質問の内容に首をかしげることが多くなってきた。数年前のことである。ある研究者の方から、研究書の原稿を書いたとのお電話をいただいた。私が、電話にでると開口一番、「300頁の原稿なのだが、いくらで出版できるのか」とのこと。私は驚いて、「内容やどういう文字を使っているのか(当社は言語学の出版社なので、音声記号や外国語を扱うことが多い)がわからないとお答えできません」というと、「いや、すぐにでも値段を聞きたい」とおっしゃるのである。そうはいっても原稿の枚数だけではわからないというと納得しかねる声の様子であった。

 多分、電話をかけてきて下さった方は、出版社と印刷所の区別がついていないか、あるいは自費出版と商業的な出版の区別がついていないということだと思われる。(出版社によっては、原稿の内容を見もせずに経費のことしかいわないところもあると聞く。それでは自らを印刷所と区別の付かない位置づけにしてしまうことになる)大学の研究者といえば、一般の人々よりも書籍や出版の世界に近い位置にいると思われるが、出版というものについて、まるでわかっていない方がいるということになる。受話器を置く時、どうしてわかっていないのかと残念な気持ちだった。しかし、一人ではなく、何人かの方が同じ内容の質問の電話をかけてこられることを経験するに伴い、しだいに考え方を変えるべきではないかと思うにいたった。出版社の仕事というものが伝わっていないという事実をまず受け止め、そうであるならば、それを伝えるのは誰なのかということである。

 もしかしたら、その責任は学術出版社側にあるのではないか。そのように考えた末に、当社のホームページに、出版提案書のひな形を掲示してダウンロードできるようにした。その中には企画を受ける場合に、こちらから聞きたい点を盛り込むようにした。関連する学会はどれで、それぞれの学会の規模はどのくらいか、使用する言語は日本語だけなのか、それとも例えばギリシャ語を使っているのか、などである。このような質問に答えていただくなかで、結果的に出版社がどのようなことを気にかけているのか、判断する際にどういう情報が必要なのかということを感じ取ってもらいたいという願いもそこに込められているのである。おかげさまで、先のような電話は今でもかかってくるものの、「ホームページの出版提案書のページを見てから、ご相談下さい」と伝えることで、スムーズに電話を受けることができるようになった。

 そういう出版提案書を作る上で参考になったのは、海外の学術出版社のページである。言語学であれば、「John Benjamins」とか、しっかりした学術出版社が、同様のページを持っていて、問合せ方をオープンにしているところが少なからずあるのだ。ところが、日本の出版社ではそのようなページはほとんど設けられていない。先日も、ある若い研究者の方から、出版社のホームページは、注文を受けるページはあるのに、原稿を送ることについてのページがない、原稿の持ち込みを拒絶しているようだ、との話を聞いた。

 顧客とのコミュニケーションという視点で述べたい。学術書の出版社にとって、研究者の方々は、著者でもあり、読者でもある。優れた著者は優れた読者でもある。また、研究者の主要な仕事はなんといっても研究であることは当然のことで、多くの研究書を読みつつ、自分の論をまとめ上げていくわけである。そのプロセスのなかで、研究書を執筆し、世に送り出していくということはかなり重要な仕事ということになる。そうであるならば、本来は主要な仕事、雑事に追われてしまい、やろうと思ってもなかなかできないが重要なことに対して、その願いを成就するように支援するということは、最も重要な顧客サービスではないだろうか。

 当社では、実際にはこのようなことをやっている。出版提案書を書いていただき、拝見し、その上で原稿を送っていただく。原稿を読んだ上で、当社に来ていただいて研究のバックグラウンドと研究内容についてご本人にプレゼンテーションを行っていただく。直接お目にかかるという過程は絶対に必要である。沖縄の方でも北海道の方でも東京の我々の事務所まで足を運んでいただいて、お話しを伺う。このプロセスは、読者でもある研究者の方々に本が出されるプロセスを伝えるものでもある。原稿をわたせば、本ができあがるというようなものではなく、どのようなことを検討しているのか、検討しているプロセスも知っていただくということである。「本はどのように作られるのか」というプロセスをお伝えすることでもある。

 そこまでしなくてもとお思いになるだろうか。大学人であれば、知っていて当然のことをどうしてそのような手間をかけて伝えなければならないのかと思われるかもしれない。しかし、大学人であっても出版のプロセスや出版の意味を知らないというのは現実的な事実なのである。であるならば、それを伝えるのはお客さまへの当然の努めではないだろうか。

 ホームページに公開するということと、学術書として一冊にまとめることの違いがわからない方もいる。先日、ある英語教育研究者の方がこられた。教育研究の論文集を、かつて複数の仲間で作って出したことがあるという。次を作ろうと思っているが、前回が売れなかったので、どうしたらよいのかわからないということで相談にこられたのだ。出版界の諸先輩は、そんなことを聞きに来るなんてと思われるかもしれない。でも、このことは現実である。私は、ネットで公開することと出版とは違うということ。「作品」としてまとめなければ、読者はお金を払ってくれないものなので、作品として作るよう仲間で話し合って下さいと伝えた。この方は、貴重なアドバイスが得られたととても晴れやかに喜んで帰られた。丁寧にきちんと説明をし続けることが、読者をきちんと育てることになるのである。

 このことはかつては、研究者コミュニティのなかで、先輩から後輩へ、師匠から弟子へ教え伝えられたことだ。しかし、これが現実である。であるならば、伝える主体は出版社以外にはないのではないだろうか。出版の意味も理解されないだろう。出版の意味が理解されなければ、出版は成り立たない。このことを伝える努力をするところから、変わっていくのである。

 仁田氏は、ひつじ書房を顧問として助けて下さってきた方だが、出版社を支援する理由は、研究者・出版社・研究書購買者は三位一体というべき、密接な連関があり、研究者が研究書を出版し自己実現を果すためには,研究書を出版する出版社の存在が重要であるからであると言われた。家入氏は、テレビやインターネットと比較して、本というメディアが、まとまった主張を責任をもってきちんと伝えるという点で、優れていること、イギリス留学時代の大学の学科が、その後、なくなってしまったということで、学者も研究書をきちんと公刊することも含めて、学問の存在意義について社会的に説明していく必要があるという点も強調された。

 出版の位置づけは大きく変化している。作れば売れるという時代は過ぎ去ってしまった今こそ、顧客との丁寧なコミュニケーションという商売の基本が求められているのではないだろうか。


学術出版の困難
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