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タケザオ009
第1 回  NGOが善だというつもりはもうとうないが。
TEXT:松本功 [ isao@hituzi.co.jp ]

 私はうなぎです。という言い方がある。別にI am an eel.と言っているわけではない。私は、秋葉原です。といったって、別にI am akihabara.と言っているわけでもない。こんなの常識だろう。ところが、山形浩生さんは、おかしいという「私はNPOです」と人が自己紹介するのを、OはOrganizationだから、「私は株式会社です」というのを同じでおかしいという。

おかしいと感じるのは勝手だし、まあ、宴会で「私はNPOです」と言われて、頭にきたということは、同じ場所にいたら、感じたかも知れないから、理解してさしあげることにしよう。が、そんなことをいちいち広場にたって言ったりもしないだろう。だから、言葉の問題ではなくて、何かに怒っているらしいということなのだろう。そう理解して上げた方がいい。ことばは、別にことばの意味だけを伝えるためにあるわけでもないから。

天下り財団とどこがちがうのか、という疑問もまあ、あっていいものだと思う。最後には、「わからない」という素直な言葉もでてくる。しかし、山形さんは、NPOについていろいろと調べた上で、この文章を書いているはずだ。だから、この分からないは素直な疑問ということでなく、本当に分からないのだろう。

そうじゃないのかな?

私はいろいろな文献を読んだ上で、このエッセイがあると思いたい。どうなんだろう。上げてある文献は『ゴーマニズム宣言』だけとは。それしか、読んでいないと言うことはないだろう。

であるならば、もっと具体的に問題をさまざま見つけることができたはずだ。もっと具体的に。どうして、具体的な質問、疑問をだすことができなかったんだろう。

せめて、『インターネット市民革命』(岡部一明 お茶の水書房)や「進化するニューヨーク公共図書館」(菅谷明子 中央公論 1999年8月号)くらいは読んでから、何か言ってくれないだろうか?

もちろん、山形さんの言い分が当たっているところ、さまざまなインチキというものはあるだろう。でも、どうも、新聞を読んで、友達と「NPOってさー、何か怪しいよね」と飲み屋で言っているのとどこも変わらないように思う。せめて、もっと具体的におかしいところを批判すべきだろう。

山形さんはインターネットもすでにマスコミであり、メディアだということを十分自覚していないのではないのだろうか。何も読まないで、何も調べないで、どこにもでかけないで文章を公開できると思っているのだろうか? ホットワーヤードとネットから現れた新しい書き手として、期待していただけに、残念な気がする。

また、NPOへの批評がないというのも、暴論だろう。カンパが集まること、集まらないこと、それはまさに批評ではないか。それこそが、投げ銭でもあるわけだ。
 

山形浩生さんのORIGINAL

こんなやり方はやりすぎだと思われますか?
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