出版社としてリモート時代に魅力あるアイデンティティとは
2021年7月8日(木)

出版社としてリモート時代に魅力あるアイデンティティとは

(7月7日にメール通信で配信した内容がもとになっています。)

『職業は専業画家』という本が誠文堂新光社から出版されました。著者は、福井安紀(ふくいさだのり)という方で、画家を専業にしている方です。この方の絵画は、土と石を使った独自の日本画で、この本の後ろにご自身の絵の写真が掲載されています。

この本は、画家という仕事を専業ですることを強くすすめています。画家の方の多くが、専業ではなく副業でされているということで、副業として画家をやるのではなく、専業でやることをすすめています。そこで、この本では専業でやっていくためにはどうしたらいいのかということが書かれています。私が、この本を紹介したいと思いましたのは、学会がリモート開催になって、出版社が出店して本を並べて紹介したり、売ったりすることができなくなっているこの時期に考えるヒントとなることが書かれていると思うからです。

福井さんは、専業で生きていくためには、特別なお客さんを作ることが重要と述べています。特別なお客さんというどういうお客さんかというと、まず、画廊や展示場所で見てくれる「お客さん」がいて、次に購入してくれる「自分のお客さん」がいて、さらに2作目以上を買ってくれる「自分の特別なお客さん」がいるといいます。この自分の特別なお客さんが、購入してくれるということに加えて、人とのつながりを作ったり、気が付かなかったことに気が付かせてくれたりととても大事な存在といいます。そういう大事な存在のお客さんと出会うために、画廊の方から共同で展示を提案してくれる企画画廊(ただし、その画廊のファンのお客さんに知ってもらい買ってもらうことになり、画廊のファンのお客さんとは知り合えるが、お客さんは広がらない)と貸し画廊(展示するための負担が必要だが、路面に面している画廊だと新しいお客さんと出会えるので、お客さんとの新規の出会いがある)とを上手に組み合わせて展示することで、お客さんを開拓し、自分のお客さんを開拓し、さらには自分の特別なお客さんを開拓するということをかなり具体的に述べています。このことはお客さんを必要とする仕事をしている人であれば、とても参考になります。お客さんをどう開拓するかは一番重要なことです。

学術出版社の編集者である私として特に注目したいことがあります。現在、コロナ禍の中、学術出版社にとって学会という出店場所がなくなったということは、新しいお客と出会える路面に面した画廊がなくなってしまったということになります。これは、大きな問題です。路面に面しているから、フリーのお客さんもふらりと入ってきてくれるわけです。新しい読者、新しい著者との出会いであり、それが失われているということです。どうしたら、路面の店がないところで、訪問していただけるでしょうか。

この中で「支えたくなるアイデンティティ」ということを福井さんは議論しています。福井さんがあげているのは、何らかの伝統や土着のものに関連することをお客さんに訴えることです。この作家を守りたい、大事にしたいと思ってもらえることで、買い続けようとお客さんに思ってもらうことができて、それが自分の特別なお客さんを作るというのです。福井さんの絵画が、土と石でできているということがあり、そういう気持ちに訴えるというのはとても納得がいくことです。これは、時代の寵児になってメジャーになり、スターになるということや、普遍的なポピュラリティや時代を超えた普遍的な価値をつかむという方向とは別の方向です。普遍的な価値を目指していないということではなくて、メジャーとしての扱いを受けることを目的としないということです。

さて、リモート時代に、読者が出版社を支えたくなるようなアイデンティティを私たちは持っているでしょうか。リモートでたまたまの出会い、路面店での出会いがなくなってしまっている中で、わざわざ通りに面していないような店に立ち入ってまで、本を見たい、本を作っている編集者と話がしたいと思ってくれるような魅力のあるアイデンティティというのはどういうものなのか。そういうものをきちんと持っているのか、ということを考え直す必要があるでしょう。新しい研究がこんな感じで生まれている、新しい研究が起こっていますということが分かるということ。新しい研究を世に出すことに熱意をもって取り組んでいること。かりにまだ世の中で認められていなくて、優れたものであれば、あるいはまだまだ価値が分からないものであっても、世に出すことをしたいとそういう提案をしていいんだ、むげに断ることはしないということを伝えていくしかないのではないかと思います。会って、気まずい思いをしないはずだと。

ふらっと寄れるようなイメージをリモート時代に魅力として作れるのか。このためには私は、漠然としていたり、ことばたらずであったり、不明瞭であっても、発信していくしかないのではないか。こちらとしてもこんな馬鹿な提案をして笑われるのではないかと思う気持ちを抑えつつ、少し前に出ようと考えることが必要ではないかと思います。福井さんの発信は作家としてのものですので、私たちのアイデンティティはむしろ画廊のアイデンティティに近いかも知れません。その意味では『職業は専業画廊』というような本があれば、ぜひ読みたいと思いました。研究者の方や教職に就かれている方も『職業は専業画家』という本を読んでいろいろと考えることをおすすめします。

誠文堂新光社の『職業は専業画家』のページなのですが、立ち読みのページもあります。そのページの最後に直接購入のページへの案内がでるのですが、「電子書籍を買う」も「この本を買う」もそれらのページにはいけないようです。

https://www.seibundo-shinkosha.net/book/art/63646/

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執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。



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