【出版】分かりやすい印象を与える文章

2007年10月17日(水)

【自問】分かりやすい印象を与える文章

copy-editorは、表記体裁についての編集を行う人。日本で言うと校閲的な感じのニュアンスがする。それに対して、その本を出すかどうかを決める人はcomission editorというらしい。執筆をお願いし、どういう条件で執筆してもらうかどうかを決める人という印象だ。ここで気になるのは、この2つの間のことだ。つまり、内容について助言をしたり、書きぶりについてコメントをしたりする編集の仕事について、誰がやるのかということだ。copy-editorは、一般的に文章についてコメントをすることはできるだろうが、内容に立ち入って、こういう点をもっと書いてもらえると面白くなるのではないか、というようなことは言わないような気がする。

もしかしたら、そうではないのかも。でも、いうなればcontent editorというべき存在はどこにいるのだろう。もちろん、その企画を出すのか出さないのかを決めることは重要なことであるし、そのためにはそのジャンルの出版市場(読者がいるのかどうか)という点はもっとも重要な出版行為と言えると思う。comission editorというのはもっとも重要な役割をもっているということは間違いない。プロデューサー的な仕事。

でも、原稿を読んでコメントをすると言うことも大事なことなのではないか。あるいは、それは編集者にとっては一番面白いことなのではないだろうか。著者はその分野の専門家であり、アカデミックなレベルでかなりのトレーニングを積んでいる。そのような優れた研究者の方々に、少しでも意見を申し上げて、それが反映されるということにとても喜びを感じるものである。

著者の文章を読んで、内容にコメントをするということ。タイトルにあるように分かりやすそうに見えるように書き換えてもらうことということもある。でも、その場合でも80パーセントくらいはテクニカルなことなのだと思う。たとえば、1ページの中で段落は3つ以上あった方がわかりやすく見えるであるとか、1つの段落に文章は3つ以上はあった方がよいであるとか、この程度のことであれば、箇条書きにして机の端に貼っておくことさえできないわけではない。

そのようなベーシックでテクニカルな、アンチョコを作れるような才気とはあまり関係ないレベルから、内容に立ち入ったコメントが必要な場合もある。内容に立ち入ったコメントは、勉強と経験が必要なのかも知れない。それでも、大部分はマニュアルで処理できるようなテクニカルなような気がする。そういうことは重要だと思う。それでも、20パーセントはどうしたらいいのだろうか?やはり、基本的にパッと見で、分かりにくいのは困る。今、かなり入門的な言語学の本を作ろうとしていて、このことに悩んでいる。というか困っている。もっとも、われわれは往年のカッパブックスを作ろうとしているわけではないから、もっとも尊重されるのは研究のオリジナリティだ。

コメントする方も、勉強していかなければならないことは真実だ。私はできているのか?私は編集長として、たんたんとこなしていかなければならないのだろうか?これらは自問である。自答はまだできない。


執筆要綱・執筆要項こちらをご覧下さい。



「本の出し方」「学術書の刊行の仕方」「研究書」スタッフ募集について日誌の目次

日誌の目次へ
ホームページに戻る


ご意見、ご感想をお寄せ下さい。

房主
i-matumoto@hituzi.co.jp