学術書の刊行というものは、日本社会の知価社会化にとって必要欠くべからざるもの 2007年4月15日(日)
2007年4月15日(日)

学術書の刊行というものは、日本社会の知価社会化にとって必要欠くべからざるもの

学術書の刊行において、学術振興会の公開促進費というものは、制作費の部分を助成してくれるという点で、たいへんありがたいものである。制作費という意味は、組版代、印刷費、製本代、用紙代の一部ということである。決して、編集や校正や企画や流通という点については、一切の助成はない。

しかしながら、たぶん、インターネットの時代、単純に印刷してということであれば、著者が自分でもできないことではない。ご自身でwordで組んで、pdfにしてネットで公開するということも不可能ではないわけである。

だから、むしろ、製作ではなく、編集こそが重要な時代になったと言っていい。どのように企画を立てて、どのように執筆をお願いし、どのように読者に届けるのか、という点こそがより重要になったと考えられる。

しかしながら、どうも20世紀中期の発想から抜け出ることができないらしく、制作費の一部への助成ということである。これは、はっきり言って『知価社会』以前の発想である。『知価社会』以後の公開の意味は、印刷ではなくて、知的な付加価値つまり編集にあるのだ。したがって、『知価革命』以前の政策のようで、印刷の見積もりを取ってもっとも安価なところにしなさい、ということばがでてくる。労力がもっとも重要であった時代、堺屋太一的に言うと石油文明以前の発想である。

私は、この石油文明以前の学術政策は数年続くと見ている。正直に言って非常にめんどくさい。とはいえ、学術政策の説明責任を果たすという道筋としては間違っていない道である。方向性は正しいのだが、運営方法が現代的ではないのだ。ひつじ書房は、できるだけ根本に立ち返って、この数年間を乗り切ろうと思っています。学術書の刊行というものは、日本社会の知価社会化にとって必要欠くべからざるものだと思うから。

学術書を出すと言うことは生やさしいことではない。中島みゆきの歌ではないが、「君が笑ってくれるなら悪にでもなる」という気持ち。その覚悟のない出版社は、学術出版の世界から去った方がよいだろう。


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