学術出版の説明責任 2006年12月29日(金)
2006年12月29日(金)

学術出版の説明責任

現在、学術振興会の助成を受けている学術雑誌について競争入札をするについての厳命が、助成を受けている学会に対して通知されているとのことである。ひつじ書房は、直接学会誌の運営・編集に関わってはいないから、直接は分からないが、人文系の学術雑誌の編集委員の先生から、入札してみるということは考えられる?と最近聞かれたこともある。競争入札ということが広く求められているということだろう。もともと学術助成の元を考えれば、国民の税金であり、透明性と説明責任が問われているということは、当然のことである。透明性と説明責任というものについて、厳密に行っていなかったということは、あらためなければならないことと思われる。

学会誌を請け負っている印刷会社の営業の方が、たいへんなことになりましたというのだが、競争入札自身は恐れるべきではないと思う。問題は、評価の方法だろう。ものごとの運営には数字に反映しにくい様々なことがある。実際のノウハウや経験、技術というものがともなう。これらは暗黙知的な要素を持っているといえるだろう。そういういったいわば付加価値というものについて、評価する方法が開発されていないのではないか。無ければ正しい評価が行われなくなる。問題はこのことではないか。

評価がうまく機能していない例として、公共図書館の指定管理者制度の問題がある。実際の運営についての評価の基準と方法がなければ、図書館についての運営の長年の経験とノウハウよりも、箱だけ作って箱だけ管理するような単なる建物管理会社の方がコストが安いということで、単なる建物管理会社が受注してしまうということになる。(もっとも、従来の運営体がきちんとした水準であったかという点は常に問われなければならないであろう。これは前提だ。)

とすると運営に対する評価内容、評価技術が重要と言うことになる。これのノウハウについてはほとんど今まで認識されてこなかったのではないだろうか。日本評価学会に森脇が参加してきたが、アメリカでは評価疲れというのが問題になっているということの報告もあったとのこと。アメリカの二の舞が得意な日本は心配である。つまり、評価の手法が未発達であること、評価内容についての透明な議論がないこと、評価コストの算定がないこと。この状態で、単にコストだけを評価基準にしてしまうとこれらは非常に大きな問題である。

学術出版に関する評価の方法を早急に作り上げなければ、杓子定規な規約によって振り回されてしまう。その結果、日本の学術出版の品質が下がり、学術活動に悪影響を及ぼしてしまうとしたら、将来に禍根を残すことになってしまうだろう。

ひつじ書房としては、他人事ではない。もし、日本言語学会と日本語学会が競争入札を求めたら、入札するかもしれない。最安値を目指すのではではなく、それなりの編集の費用を求めた上で。

追伸

説明責任は果たすべきであるが、果たすためのインフラ不足という点では心配である。納税者民主主義というのは原則として正しいと思う。しかしながら、陪審員制度を実現するために「法律テラス」を作ったように、納税者が審判者であるのなら、審判トレーニングというものが必要なのだ。判断するためのリテラシー。学術雑誌の場合で言うと学術雑誌リテラシーである。気になる点がある。今、多くの人の心性として「自分は割を食っている」という気持ちがあるのではないだろうか。だから、本来的に正当なコストであっても、必要と考えられないという気持ちが世の中に蔓延している危険性がある。その状態では納税者民主主義は機能しないだろう。


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