書籍とは何か―なぜ行というものがあるのか? 2006年8月6日(日)
2006年8月6日(日)

書籍とは何か―なぜ行というものがあるのか?

書籍とは何か、ということの形態的な局面について考えてみたい、どうして綴じられているのか、ページがあるのか、ということ。

何か変わったことをいいたいわけではない。

行、ということを考えてみよう。

なぜ行というものがあるのか?

技術的な側面は、活版の時代には文字と文字の間にインテルというものを入れていた。活字はあくまで1つのラインに配置される。それは文字の行と行の間にインテルが挟まれていたからだ。

というものの、これは原因と結果を取り違えた考えなのかも知れない。

江戸時代の木版を見ても、基本的に行の空間は均等のように見えるものがある。木版は、版木を彫ったものであるから、彫る場合別に行を均等にしておく必要は、物質的にはなかったはずである。(ただ、これは活字版の影響があるのかもしれない。)

行が空いていないと文字の行が読めない。くっついてしまっていると、縦に読むのか横に読むのか分からなくなるし、行を追っていくのに労力がとてもかかる。間違えて違う行に目線が動いてしまうかもしれないからだ。

では、行が均等であるべき理由はどこにあるのだろう?行が空いている必要は可読性の点で理由があるだろう。行が均等である必要性は?推測だが、行が集まって段落ができる。もし、その段落が1つのまとまりであるなら、その中は1つの論理・感覚でまとまっていてほしいと感じるだろう。その場合の均一性は、文字の大きさ、文字のフォント、行の送りが均等である必要があるということではないだろうか。文字1つ1つ、行1行1行が個性を発揮せず、文章として読まれようとするとき、均等性が必要になる。

行長も均等である必要がある。途中で改行を入れてしまうとどうなるか。詩人の荒川洋治さんが面白いことを言っている。「詩のかたちをしたものは敬遠されることだ。(中略)詩のかたちのなかでもっとも目立つものは、行分けというスタイルだ」「詩だと、何か思わなくてはいけないのか、考えなくてはいけないのか、と思うから」(I 詩のかたち『詩とことば』荒川洋治 岩波書店2004)

したがって、本文の内容を読むということが目的である書籍の場合は、次のかたちが必要になる。

均一な文字の大きさ
均一な文字の書体・フォント
均一な行の送り
均一な行の長さ

もし、文字の大きさが不均一であるとそのこに「メタに何か考えないと行けない」要素がしみ出してくることになる。

ただ、均一というのは本当に実現できるのか?文字には行頭に来てはいけない文字がありので、そのような文字がきた場合、前後で調整される。また、欧文と和文が混じってしまうと不均衡が起きてくる。また、句読点や約物という言われるカッコ類もそうだ。これらのものが、入ってきた場合、文字のバランスが混乱する。この不均等になったバランスをバランスが取れているように「繕う」ことは簡単ではない。人間の目の持っている錯覚やルーティンな見方を利用して、全体としてバランスが取れていると思ってもらうようにする。

横組みであることは、1行あたりの文字数が少ないということであり、破綻が起こりやすい。さらに欧文、約物の非常に多い言語学書の場合、きちんと横組みで組まれ、読みやすいということは非常に奇跡のようなものである。ということもあり、できるだけ、標準的な組版を採用するのが原則となるだろう。

行03文字03文字04

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