言語習得はプロセスである 2006年2月10日(金)
2006年2月10日(金)

言語習得はプロセスである

言語教育・習得の目的は、変化を起こすことである。大本の目的は、外国人と話しができるようになるように変化すること。人前でプレゼンテーションができるように変化することといったふうに実現したい目的があるが、その目的のために変化することが目的となる。2段構えの目的ということになるのだろうか。あるいはこの2つを分けた方がよいのだろうか。(どっちかが目標でどっちかが目的?)

変化が起こるには、プロセスと時間と気持ちが重要となる。何かのノウハウを知ったとしてすぐに変化できる(話せるようになる)わけではない。プロセスがあり、そのためには時間を要する。また、その時間、習得のプロセスを行うための気持ちが必要だ。やる気とかモチベーションとか面白いと感じることが重要である。つまらない、面白くない、楽しくないという気持ちでは、変化は起こらないだろう。

そのためには、さらに、そのような気持ちでプロセスにつきあい、ある時間を気持ちを維持するためには、メソッド(方法)と能力と環境が必要である。適した方法とそれを実行する能力(あるいはどの段階からスタートするのかという出発点として)そして、それらを維持していく環境。学びやすい環境かそうではないのかはとても重要だろう。

これは、言語の習得に限らず、優れた編集者になるであるとか、優れた技術者になるであるとか。人間が変化するとかいう場合に基本的なことだろう。重要なのはプロセスという考えである。なぜこのようなことを強調するのかというのは、情報にまつわることでもある。情報や知識やことばを単なる記号としかみないということがある。かなり知識の優れた人や技術者でもそうだ。優秀であるだけではだめで、後輩を育てたりしたことがないとわからない。ネットに情報があれば、それが情報の共有であるとか、カンタンに言う人が多い。そういう人は情報は記号だと思っている。あるいは、単純に実行するだけのプログラムだと思っている。かなり賢い人でもそう思っている。そうではなく、プロセスであり、さらにいうと知識は活動なのだ。このことは強調してもしすぎることはないだろう。このような視点にたってはじめて、教師の重要性がわかると思うし、編集者という営みが、社会的に必要なものだということがわかってもらえるのではないだろうか。少数の人間が天才的にひらめいて、その正しい知識が、瞬間的に習得されるのであれば、教育や編集はほとんど必要がないだろう。

 

 

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