2002年2月9日(土)

コンテンツビジネスを見直す

―委託制度と再販制度を見直す?

現在、出版社は業界的には5年連続売上減であったり、レコード業界もインターネットの拡大や携帯電話にお金を取られてビジネスとしては厳しくなっていると言われる。出版の世界では昨年、中堅取次店である鈴木書店が倒産するということも起きた。コンテンツビジネスは、そのコンテンツが受け入れられるか否かにかかっていて、売れるものは売れるが、売れないものは売れないのであり、システムがそこにはないから、ビジネスモデルにはなりきれない。あたるとしてもあたるまでの期間は誰かの思いこみでしかない。誰でも納得できる説明が出来ないから、投資を受けることも難しい。あまり先行き見通し明るくないとさえもいえる。出版などビジネスとして小さいし、もうだめだなとおもったりもする。現実の業界の中での危機管理は弱く、どうしようもない業界だと思って暗澹たる思いに襲われる。

ところが、ちょっと違うなとこのところ思うようになってきた。ビジネス支援図書館推進協議会などに関わり、中小企業の支援とはなんだろうかと考え、SOHOの仲間と付き合ったり、NPOの中に入ってマネジメントの研修を受けたりした経験からすると出版界は確かにひどい連中ばかりだが、ほかの世界はもっとひどいのではないかと感じるようになった。

どういうことか。現在の日本の中小企業の問題は、製品開発型ではなく、受注型であることだとビジネス支援図書館推進協議会の会長で経営コンサルタントの竹内さんはいう。企画して、商品化して、マーケティングして、営業して、売れるか売れないかのリスクは、大企業が負い、中小企業は、大企業から、その中小企業の得意な部分の商品化の発注を受けるだけだったからだという。よい下請けであったということである。中小企業はリスクを負って来なかったということである。これは、私の実感とも会う。国立国会図書館で電子図書館のシンポジウムの席上で、ある電子機器・通信機器の日本を代表するあるメーカーのえらい人が、「出版社は企業だからつぶれてしまうので、コンテンツは国会図書館がすべてもって公開してしまったらよいのではないか」といっているのを聞いたことがある。彼らは、大企業だと思うが、実はNTTから発注を受ける下請けに過ぎなかったわけだ。自分たちは企業ではなく、つぶれない国家の一翼か何かだと思っている。O電気が、経営が悪くなるとNTTから前倒しで半導体の発注してもらうことで、救済されていたのは有名な話である。経営能力がある人物ではなく、NTTとの折衝がうまい人が社長になっていた。

最近、付き合いのあるSOHOもどちらかというと自分でリスクを追う企画制作型ではなく、受注型、下請け型がほとんどであるように思う。イラストレーターとか、DTPのスキルを持って、これも仕事を個人で請け負うようなこと。多くは、リスクは他人に負わせ、仕事を作るわけでもない。企業のある部分が、分社化したか、社内よりもコストが安い外注先として使っているに過ぎない。これでは、せっかく大企業の時代が終わり、SOHOによって新しい産業社会が生まれるというかけ声はほとんど実現する可能性はなくなってしまう。単に下請けが増加しただけで、果敢にリスクをとらないのであれば。

日本社会の企業のほとんどがそうであるのだとしたら、出版界はずいぶんましなほうではないか。少なくとも自分たちで企画を探し、企画を立て、自分たちのリスクで本をだしている。マーケティングがないとか言うが、それは多くの出版社の何倍も大きい経済規模の中小企業が、そもそもそうなのであり、出版社だけの問題ではない。

また、分散型社会という点でいえば、読者の評価に依存して成立している出版というビジネスは多くの装置産業的な企業に比べれば、よほど分散的である。分散的であることが、岐路に立たざるを得なくなっている理由であり、買うか買わないか日々判断しないようにしてなりたっているビジネスよりはよほどバザール型である。(大企業や大学などの伽藍型の組織に勤務している人が、暇なときにやるビジネスがバザール型であるということなのか?大企業に勤めている山形浩生氏を見るとそう思えてくる。だが、彼を代表と考えるべきではないだろう)ただ、後ろ向きになってしまうと誰にでもある欲望に依存してしまいエッチな内容ばかりとか他社の後追い企画になってしまう。

音楽で見れば、ストリートで演奏している連中と付き合ったり、ライブハウスに行ってみたり、町の中から、つくり手を見つけようとして、実際に見つけているという点を注目してみれば、よくわかる。今の時代、ストリートで学者を見つけるだろうか、ストリートで経済評論家を見つけるだろうか。大学などでのE-learningは結局、資格ビジネスの道を選んだということは、分散型でもなんでもない。面白い授業のこまの分だけ、学費を払うといった仕組みはないのであり、立ち読みして、買うか買わないかを決めるという程度の分散性もないことを考えると、個々のコンテンツが売れるか売れないかのリスクをヘッジして経営を成り立たせているビジネスというのは、なかなかないことがわかるだろう。

と考えると出版ビジネスも、捨てたものではないなという気がする。著作権の共有化ということを言うときに、現在の技術と経済論理だけで共有できるものだけを考えるのは、視野が狭いといえるだろう。大学の授業はどうしてオープンソースにならないのだろうか。特許はとうしてオープンソースにならないのだろうか。本はそもそも立ち読みもできるし、ゼロックスでコピーもできる。内容を読むという点ではそもそもオープンソースなのだ。

コンテンツビジネスということをまじめに考えると出版市場の拡大という追い風があって、出版社は成り立っていたという過去の事情はあるものの、取次も書店も出版社も返品可能であるという不確かさを使いながら、曲がりなりにも経営が成り立ってきたというのは、捨てたものではない。コンテンツビジネスのリスクをどう分散していくかということは、もしかしたら、創造性をどう作り上げていくかということにもつながるだろう。きちんと評価し直していく必要がある。その中で出版の慣行を殺すのではなく、普遍性をもった仕組みに作り替えていくことができるだろう。

私は、現在の委託性も再販制も全く評価していないが、委託性も再販制もその中で評価し直せるかもしれない。小田光雄さんによれば、前払い金付きの委託制は、東京堂の大野孫平が、博文館を見返すために新潮社などの新興の出版社を支援するために考え出した仕組みだと言う。ある意味で、新しい企業を支援する仕組みであったのだ。その点ではそのインキュベーションの仕組みを既得権にするのではなく、プレゼンテーションをしてよい企画であれば、若い企業に特例として柔軟に適応するとかそういうこともあってもいいだろう。また、従来の制度が壊れているので有れば、別の投資を呼び込むありかたも検討される価値があるのではないか。

志の出版と言われたものも、社会起業家的に考えれば、ひとつのマーケティングであったといえる。誰も評価していないが、かならず支持する人が生まれるはずだという「志」というものは、社会起業家的なマーケティングであったはずだ。

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