2001年11月15日(木)

『実践国語研究』大好き

ことばというもののメディアだと思います。でも、そのことはとてもわかりにくいことのようです。どうしてなのでしょう。

『実践国語研究』の2001年の8・9月号の編集後記に次のようにありました。

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先日、ある国立大学の付属学校の研究公開講座に招かれました。新教育課程の全面実施を来年度に控え、諸課題に確実に取り組んで成果を上げていることを実感しましたが、それとは別に、児童生徒を励ます、学校としての配慮の行き届いた点が印象に残りました。

たとえば、次は、中学3年のある学級に、生徒作成のモットーとして掲げられていたものです。

学校大好き

先生大好き

みんな大好き

児童生徒の学習は、仲間や教師、保護者等の理解と励ましの中で進んでいくべきものです。国語科の学習も、「大好き」な空間で、「大好き」な人たちと安心して進められるようにしたいものです。

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結論というものは、それが結果的に正しいものであったとしての、標語にして張り出すことは違った意味を持つことがあります。「大好き」をやんわりとであっても強制されることほど、つらいことはなく、言葉に対して不感症に閉じこもるか、無視をする以外にそこから逃れる方法はないのではないでしょうか。これは非常に危険なことのように思います。

どうしてそんなことがわからないのだろう?よいことばを張っておけばよい人間関係ができるという信仰はどうしてあるのでしょうか? 良い本を読み聞かせようという運動が、出版界と図書館の世界にはありますが、いつも反感を感じます。ばか者! というのは簡単なのですが、その本人にも、そして、まじめに標語を張っている人たちにも理解してもらえないでしょう。

この編集後記を書いた人のような人が、その雑誌を作っている以上、あるいはその先進的であるはずの中学校が、そのような標語を掲げている以上、新教育課程つまり「総合的な学習」は、根っこのところで間違ってしまうでしょう。来年、私の娘が、小学校に入る私としては、とても気になるのです。

ある友人は、「学校大好き」のあとに、「テロ大好き」と落書きすると言っていました。そうだ!と思うし、共感する学生は少なくないでしょう。安楽なコミュニケーション観から抜け出すために何をしたらいいのか。

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