注意! 内輪の会議の記録ですので、引用は厳禁です。NO ROBOT

「デジタル時代のことばと社会」研究会1997年1月

ドンパチするユニコード

帝国主義とディアスポラ的態度

小林龍生

 高本 それでは皆さんおはようございます、今年も新たな年が始まりまして、なんていう挨拶は抜きにして、今日は当初3人でやれといっていた悪の張本人、小林龍生さんに予想通りご登場願うことなりまして、文字コードと現在日本語がおかれている、あるいは言葉がおかれている状況等々、いろいろなお話がうかがえるんじゃないかと大変期待しておりますので、まず最初に一くさりお話をお願いいたします。

 小林 どうやって話をしようかなと思ったんですけれども、一番テクニカルというか、事柄ベースの話でいくと、いまのそういうコード系がどうなってるかというところから、一番いわば社会的な話でいえば、そういったものの中でいろんな軋轢があるわけだけど、その軋轢の背後にある力関係とか、異文化の違いとか、そういうふうなところになると思うのですけれども。当然のように皆さんの関心は最終的には後者にいくと思うし、僕もそういう関心をもちながら現場でドンパチやるというところに、自分の立脚点を置きたいと思っているんで、そういう考え方で話をしたいと思うのです。

 基本的には一昨年の初夏ぐらいから去年いっぱい、いまに至るまでという1年半ぐらいの間の僕のこのユニコードなんかと関わってきた形での話を、順を追って話しながら、その中で僕自身がいろいろそれこそ水越さんなんかで、見城さんなんかも含むんだけれども、気づかせてもらったことがあるわけで、そういうことを折り込みながら、いま自分で考えてることというのがどういうふうにして形成されてきたかというふうなことを、話していくのがいいかなと思っているんです。

 基本的にはユニコードについて、もしくはUCSについてというのがベース・ドキュメント、この中に大体僕がいま考えてることが書いてあります。これはPrinter's circleという印刷技術協会という業界団体というか、そこが出している雑誌に書いたものなんだけど、それは印刷技術協会のユニコードに関するセミナーで話したものがベースになっています。それのテープ起こしをもらって、それを組み替えたものなんです。1ヶ所事実誤認があります、それはあとで僕が訂正します。それからこれは実際に出たものとは違います、なぜ違うかというと、特に最後のところなんだけれどもわりとゴリゴリに6ページ目に出てくるんだけれども、クリントン、ゴアの情報スーパーハイウェイの話が書いてあるあたりのところというのが、ジャストシステムの小林という立場から考えてもPrinter's circle、という雑誌の性格から考えても、ちょっと過激なんじゃないかというので、編集部と相談して書き換えたんです、だけどこっちのほうが僕の本音です。

 それからついでにお配りしたものについて説明をしておくと、「未来の文字コード体系に私たちは不安をもってます」というこういうのがありますけれど、これは電子協といってるのは何だっけ、電子産業振興協会というのかな、日本電子工業振興協会、電子協といっているんですけれども、それが93年のユニコードが出る直前あたりに出したパンフレットなんです。背後で作ったのは坂村健で、これはかなり重要なドキュメントだと考えてください。

 それと縦書きの江藤淳さんのトップシートが付いてるのがありますけど、これはたぶん間もなく出る『三田文学』に吉目木晴彦さんという人が書いたユニコード批判のもので、前回の国語審議会の総会のときに江藤さんのほうから言及があって、総会のときには配られなくて、その次の第二委員会というのか漢字問題を扱う委員会でその委員に配られたはずです。僕もそれに出てないので配られたわけではないんだけども、その前に文化庁の国語課の担当者から見せてもらったものです、これについてもいいたいこといろいろある。

 最後は、横書きの二段組み、これはやっぱり僕が委員長をやってる電子協の電子化文書動向調査専門委員会というのがあって、これに日立の小池さんという、ここ10年ぐらいの漢字コードについて、本当に現場で中心になって活動されてきた技術者がいるんですけれども、彼にきてもらってヒアリングをしたもののテープ起こしです。これは生の部分もかなり多くて、わからないところとか、起こしたまんまで記述が正しくないのとかというのがありますので、そのまま出してもらうと困るのですけれど。事柄 としてはそのISOとユニコードの出来上がってきた過程について、最も正確にかつ中立的に書かれていたのではないかなと思って、僕はこの文章は非常に重要だなというふうに思っています。こういったものを背景にしながら話をしてみます。

1.1 ユニコードとの出会い


 一番最初は、僕はユニコードに関わったというのは、一昨年のたぶん初夏だったと思うのですけれども、Asmus Freytagという、名前でわかるようにドイツ系のアメリカ人ですけれども、彼がどういうつてをたどったか僕知りませんけれども、ジャストシステムを訪ねてきた。そこで専務の浮川にいわれて一緒に会えというので会ったんです。彼はいまでもそうですが、ユニコード・コンソーシアムで、裏側にノンプロフィットの株式会社をもっていて、ユニコードInc.とも申すのですけど、そこのマーケティング担当のバイスプレジデントなんです。それと同時に自分でアスムスInc.という個人会社をもってます、前歴はマイクロソフトにいた。それが友好的にか非友好的にか僕は知らないけれども辞めて、自分一人で会社をつくって、さまざまな企業のユニコード化のためのコンサルタントをやっているんです。

 ユニコードというのは、いまいったように基本的にはアメリカの西海岸に基盤を置く、アメリカ資本のグローバル企業、IBM、ヒューレットパッカード、サンマイクロシステムズであるとか、あはとアップル、もちろんマイクロソフト、そういったような企業がコアになってつくったものなんです。これもだからコンソーシアムが企業になってる、株式会社になってると、僕らから見ると奇異なんだけれどもアメリカではそういう形って非常にポピュラーらしいんですね。各フルメンバーの会社がいわば出資者になって、それで株式会社をつくって、ただしそこの株式会社は利益を上げてはいけませんと、それがユニコードInc.といえばカリフォルニアの州法の法律に基づく形で運営されているものなんです。その経営面というか、その組織を金銭的に運用していく、権利を守るみたいなところというと、すっとInc.というのが前に出てきて、規格や何か、そういうテクニカルな話というのはコンソーシアムが前に出てくるという、実にうまく使い分けというのができています。これはだからInc.とコンソーシアムがどういう関係にあるのかといったら、まさに表裏一体です、そういう形で 運営されている。

 そのアスムスがきていったことというのは、日本のいわば最大の独立系ソフトウエア・ベンダーであるジャストシステムは、世界に打って出るためにユニコードをサポートすべきであると。ついてはアスムスInc.と契約をして、コンサルテーションを受けなさいということだったわけです。ところがその時点で僕は、それこそこっち側のユニコードに対する悪い話というのを散々聞かされていたから、ソースとしては大修館の「しにか」をやっていた森田さんという人であったり、これは坂村さんとは犬猿の仲なんだけども、JISをユニコード対応のISOの10646、いまでもありますけど、これですね、これの日本語化をやったときの委員長をやってた芝野さんという東京国際大学だったか、そこの先生をやってる人とか、そういう人たちからユニコードの問題点というのはインプットされてたので、わりとそれをもってドンパチに打って出たわけです。その時点で挙げた問題というのは、ここにも書いてありますけれども、例えば、「骨」が日本の字と中国の簡体字で違っていて、それがユニコードの中では1つのコードにまさにユニファイされて割り振られている、そういう問題がある。

 それからその頃話題になっていたんですけれども、ユニコードではバージョン2に当たるのですけれど、ハングルがそれまで6,000文字ぐらいしか持ってなかったのが、11,000スペースを取っちゃったんです。それが採択されちゃったというふうなことがあって、そういったような問題についてアスムスについてどうなんだ。もう一つは、ISOの10646というのは、実は32ビットの体系で、360億だけの文字を持てるストラクチャーを持ってるんだけども、ユニコードというのは基本的には16ビットなんです、16ビットだと65,000ぐらいしか持てない。そこでちょっと文字数が足りないんじゃないかと、それずうっと前から燻ってきた話なんだけども、そういったようなことについての批判。それに対してアスムスはいちいちこれはこうでという弁明をしてくるわけです。それはこっちは喧嘩をしていってるから、いったってだから何なんだよという状態になるわけですけど。

 で、1つ彼がいった中で面白かったというのは、ハングルが6,000しかなかったのが11,000になったというのにユニコードというのは非常に大きな働きをしたというわけです。その頃アジアから入ってるフルメンバーというのは、ハングルガコンピュータというソウルの会社1社だけだったと思うのです。アソシエート・メンバーという投票権を持たないメンバーとして、台湾のダイナラブという会社が入ってたんですけど、恐らくその2社だけだったと思うのです。そのハングルアンドコンピュータも含めて、 ユニコードがロビー活動という言葉を彼ははっきり使ったんだけども、ロビー活動をやってISOを通したんだというふうないい方をしたんですね。だから何かやりたいことがあればユニコードは力になるよといういい方です。それともう一つは、力になると、少しこれニュアンスが違うと思うんだけども、いいたいことがあるなら中に入っていいなさいと、それに対する聞く耳はもつよという、そういういい方もしていた、ちょっとニュアンス違うけども。彼としては何としてもコンサルタント契約を結びたかった。そのためにはジャストシステムをユニコードに引き入れたかったんだけれども、結果的には僕のデシジョンはこうで、絶対アスムスのコンサルテーションを受けるべきではない、なぜかというとあいつは虫が好かないからと、(笑)それが正しいかどうかわからないけど。

1.2 日本から唯一のユニコードのコンソーシアムのフルメンバー


 そこで別れたんですね、ところがハッと気がついてみると、どういうことか知らないけれども、ジャストシステムはまあいえば日本から唯一のユニコードのコンソーシアムのフルメンバーになっていて、その代表者は僕になっているわけ。荒井ってその専務の秘書をやっている非常に英語の堪能な男がいるんだけども、彼がいろいろ手続きをして、小林さん行ってきてくださいというんで、9月にサンノゼでユニコードのカンファレンスがあったんですけども、そのカンファレンスにもう否応なしに行かされた。

 カンファレンスの話簡単にしておきますと、大体いままでは年に2回やってました、秋にサンノゼでやって、春にこの前でいえば、去年でいえば香港でやったし、その前ヨーロッパでやったのかな、今年は3月にマインツでありますけれども、だから秋に本拠地のサンノゼでやって、春に世界を回るというふうなそんな形でしてたんですけど。そこへ行ったらこうなんです、まずキーノート・スピーチがドナルド・クヌース、聞くとプレナリーというか全員集合のオープニング・セッションいうのがあって、ちょっとチャーミングな女性がカンファレンスのチェアーをやっていて、それでまず歓迎の意味を表するために、ジャストシステムの小林と、それともう1人近藤というのが一緒に行ったんだけど、立たせて拍手させるから、呼ばれたらちゃんと立ってくれよなというわけね、おおわかったわかったと。それでこうやって、どうもどうもとかいう感じですね。そうやってそのあとキーノート・スピーチでクヌースが、彼のいわば文字に対 する関わり方みたいな話をして、その中でクヌースってあれ漢字の名前持っているんで、あれが木村泉先生訳した共立から出てるプルガーとかの『プログラム処方』とかに何か出てる、じゃない?。あれはだってクヌースじゃないから、クヌース何かの本に出てくる、アルゴリズムの出てるね。それでそのクヌースが話をして、結構かれのお弟子さんには中国人が多かったというふうなことですね。

 そのあといろんなセッションがあるんだけど、確かに彼のお弟子さんでIBMに入って、中国の研究所で簡体字と繁体字の間の意味的なことまで考えてトランスレーションをやるシステムを作ってる人とか、台湾の人とかで話をしたり。それからヨーロッパ、スイスだと思うのですけど、オメガシステムといって、テフを発展させてマルチリンガルにしたものの発表があったりとか。そういうのをクヌースは一番前の席に座って、ちょっと何かずり落ちたジーンズ穿いて、ユニコードから貰ったTシャツを、何かセンス違うという感じでシャツの上から着て、それでこうやって座って聴いてて、セッション終わると一番最初に手を挙げるわけ、それで質問して、こうやったらどうかみたいなことまでいって。クヌースなんて僕から見れば本当にもう神話上の人物ですよ、その人がいま目の前にいて、そこでセッションに参加してる。自分から見ればテフが子どもだとすると、孫みたいなものがあって、それを作ってるのを聞いて、なおかつそれに対して積極的にコミットしようとしてるわけですよ。そういうのを見てるとかなりくるわけ、グラッとくるわけ。へーえ、こんなんでやってるのかって。それはだからユニコードに対するすごくいい印象、最初の印象として僕にはありました。

 そのあとでわかったことですけども、ユニコードのカンファレンスいうのは、企業の集合体がやってるから、決してそういうアカデミックなものじゃないわけですよ、にもかかわらずアカデミックな体裁をとろうとしているんです。だからコールフォー・ペーパーみたいなのがまず回ってきて、それに対してコントリビューションして、レビュー・ボードがあって、レビューして、OKとなったらプログラムに載るという、そういう手続きをとってるわけです。そういう形でやってて、そこにクヌースがいたというのは非常に何か象徴的というか、うまくやったなという感じだったんです。

 そんなやかやでユニコードのカンファレンスに出たのが9月、戻ってきて12月にテクニカル・コミッティーというのがその辺でベイ・エリアであって、テクニカル・コミッティーというのは基本的にはユニコードの活 動のコアになるものなんです、そこでほとんどすべてのそういう技術的なことが決まるわけですけど。それに出ろという話があったんですけども、その前にInc.のほうのボードメンバーを選ぶという話が出てきたんです。ボードメンバーというのは、Inc.株式会社ですから、株式会社の役員です、それの選挙があると、ついては日本の小林は立候補しないかというわけ。そういうのが荒井のとこへポコポコきて、僕も基本的にはおっちょこちょいですから、おおディレクターか、悪くないな、アメリカのディレクターよしやろうとかいって、それでじゃあ立候補するよといって、立候補のための経歴みたいなのを書いて、専務の浮川が推薦状みたいなものをやって出して、それが、その選挙が行われるわけですけど、選挙するのはユニコードのフルメンバーが1票ずつ票持っててそれでやると。

 ちょっと話がややこしいんだけども、フルメンバーというのは基本的にはテクニカル・コミッティーのメンバーなんです。12月に行ってテクニカル・コミッティーの最初の30分ぐらい、ユニコードのメンバー・ミーティングというのをやる。それはアソシエート・メンバーとか、オブザーバーなんか全部追い出して、クローズドでやる。そこでそれ僕出て、みんなが記名投票で投票して、で、めでたくボード・メンバーに選ばれて、それはもうそれで終っちゃってあとテクニカル・コミッティーの会議です。テクニカル・コミッティーのミーティングというのは、もう一つそのとき面白かったのは、そのときは実は初めてだったんですけれども、日本ではISOの10646という規格ですけれど、これを作ってるのがISOとIEC、国際電気なんとかコミッティーというのがあるんだけど、ISO/IECと書いて、それのジョイント・テクニカル・コミッティー、JTC1というのがあって、その下のサブコミッティー2というのの下のSC2ですね、の下のワーキング・グループ、WG2というのがこの10646をやっているんで、それは何か法律というか国際条約があるんでしょうな、ISOを支えている。それに基づいてつくられている委員会なんですけれど、その委員会の日本での対応の委員会というのが当然あるわけです。情報処理学会が事務局をしている情報規格調査会というのがあるんで、そこが事務局を担当していて、そういう委員会を回しているわけですけど、それに対応するアメリカの委員会もあるんです。それがX2L3かX3L2か、そういったものだけど、どっかに書いてあると思いますが、X3L2ですね、これの僕のドキュメントの5ページに書いてありますけど、3つ目ぐらいのパラグラフかな、アクレディッテド・スタンタード・コミッティーというのがあって、それの下のX3L2。これはだからISOに対応するアメリカの内部のナショナ ルボディーといういい方をするけれど、それを代表する委員会なんです。それと私的なコンソーシアムであるユニコード・コンソーシアムのテクニカル・コミッティーを一緒に合同でやっちゃおうというわけ。彼らは、バック・ツー・バックといういい方をしてましたけれども、メンバーはほとんど重なってるし、なおかつ全米から集まらなければならないので、旅費の問題とかで大変なんで、一緒にやっちゃおうというわけ、ものすごい乱暴な話なんですね僕から見れば、それやるというわけ。だからそれ乱暴だというの彼ら気づいてないんですその時点で。

 それでそれ出ていって、じゃあISOのSC2、WG2のこの問題についてユニコードとしてはどういうデシジョンをしますかということをみんなで議論して決めてくわけですけれども。そのときにその投票するんです、挙手で。その投票のときにユニコードとしての意思決定というのと、X3L2と投票を一緒にやろうとしたわけ。で、僕はそこでもう完全に切れて、おかしいんじゃないのといって、ユニコードというのはそういうインターナショナルな集まりのはずだ、X3L2というのは、そこのドメステッイックな話なんで、それを一緒にされたら僕は居場所ないじゃないかみたいなことをいったんです。そうしたら彼らは、あっそうかという感じです、うん、そういわれればそうだ、小林のいうことは正しいといって。それ以降テクニカル・コミッティー大体4回やって、そのうちの2回をX3L2とジョイントでやるんですけども。やり方が変わって、まずX3L2だけで集まる、それからジョイントでやって、ジョイントの間の意思決定は基本的にはユニコードの意思決定しかやらない。最後にそこで意思決定されたものについて、X3L2のメンバーだけが残って、もう1回X3L2としての意思決定の確認をやっていくという、ほとんど結果的には重なるんだけども、全く意味が違うと僕は思うのです。そういうふうな形にそれ以降なりました。

1.3 スター型のLAN―中心は英語


 そんなんで、いえばわかるんだなみたいなんで、またちょっと僕は気をよくしたりして。ただ、全体としてはどうも違うな。ちょっと僕その12月のときか、あとか、1月にユニコードのボード・ミーティングがあって、僕はもう1回アメリカへ行ってるんですけど、その行ったときに、午後ボード・ミーティングあって、その午前中時間があるもんだから、一つ「骨」の問題なんかで僕は考えてたことがあったんで、アジアの問題に関 心を持ってるメンバーに集まってもらって、そこでちょっと提案をしたんです。その前後関係僕はっきり覚えてないんですけれども、水越さんに会ってるんです、たぶんここで会ってる。その水越さんに、僕12月に行く前かもしれない。水越さんに会って話を聞いたのは、韓国のことを知りたかったんで、奥さんが韓国の人だから。そうしたら奥さん随分何かいろいろ新聞や何か調べて教えてくれたんですけど、12月の前です。9月のカンフレンスにいった時点で僕はある程度気がついたんですけれど、基本的にはユニコードの考え方というのが、スター型のLANに非常に近いなと思ったのね。

 どういうことかというと、いま彼はすごく慎重にローカライゼーションという言葉を避けてますけど、インターナショナライゼーションとかグローバライゼーションとかといういい方をしてますけど、基本的には彼らの考え方というのはローカライゼーションなんです。USAというのがあって、これはアルファベットです、こういう世界が、これは8ビットで前はいけるわけです。それを、例えば、日本みたいにやって16ビット、それから中国にやって16ビット。前はこういう作業を、それぞれ日本が持ってるコード系も、中国が持ってるコード系も違うわけです、それを全部バラバラにやってたわけです。もちろんこれはトルコもあれば、モンゴルもあれば、ロシアもあれば、スペインとか、ポルトガルとか、非英語圏のヨーロッパの言葉もあるわけです、ギリシャ語もあります。こうやってそれぞれ、場合によっては8ビットだし、8ビットのこれはABCというのは7ビットで実は書けます、アスキーのコードというのは。それに対してこういう非英語のヨーロッパの言葉というのは、この辺が8ビット使って、最後の一番上のビットを立てて、そこにアクセントつきのものを、それぞれの言語にユニークなものを入れていくという、別々の8ビットがいろいろあるわけです。ギリシャとかロシアは文字が違うから、同じようにはいかないですけれども。

 こういう形で前やってたのを、面倒臭いと、面倒臭いから外側にユニコードというのを作って、これ16ビットですね。そのユニコードの中から必要な部分だけを切り出していくような形で、ローカライゼーションをと考えたんですよ。ずうっと楽、1個作っておけば、あとそこの部分、部分を切り出すだけですむから。これがユニコードのもともとの発想、その発想の中には、この関係というのが入ってないわけ。だから、というのは、ちょっと正確じゃないんですけれども、ユニコードの側から見ると、例えば、さっきいった「骨」が形が違うみたいなことというのはどうでもいい ことなんです。日本の「骨」が出ればいい、中国の「骨」が出ればいい、だけどそれぞれの言語からいえば、メタレベルの記述になりますけれども、日本語で「中国では骨のことをと書きます」ということを書こうと思うと書けないんですユニコードの中では。それについての発想が実はない、それは悪意ではなくて、ないんですよ。そのことに僕その9月あたりの時点で薄々気がついて、そんな話を水越さんにしたの。そうしたらそこで彼が教えてくれたのがサイード。僕のそういう考え方。みんないい人なわけですよ、善意があって、熱意があって、それで誠意がある。いい人なんです、1人1人とるとみんないい人。だけどこいつら何考えてるんだろうと思うわけです。そういうことを水越さんに話をしたら、水越さんていうのご存じ?、じゃあ見城さん説明して。

 見城 水越さんてメディアの社会史をやってる方で、例えば、アメリカでラジオが登場してきたときに、初めはコミュニケーション・ツールとしてすごくいろんな可能性を持っていて、例えば、ラジオが電話的な使われ方をしたり、無線的な使われ方をしたりということがあったんですけど、それがアメリカ社会の中のすごく産業的な論理とか、あるいは政策的な論理の中で、マスメディアという形で固定されていったとか。あるいは、逆に電話というのは、初めはラジオ的に使われていた、まさにマスメディア的な使われ方も可能性として持っていた、実際にそういうふうにされていったこともあったんだけど、それもまたさまざまな社会的な要因の中で、ひとつのメディアの形、いまの僕たちが当たり前と思ってるようなメディアの形をとってきたという。要するに僕たちが自明視してるメディアのあり方というものが、社会的、歴史的な構成物であるというような立場から、さまざまなメディアと社会との関わりについて発言をしている、新進気鋭のメディア論者。

 小林 見城さんと僕をつないだのは水越さん。一歩間違うとこの前の盛岡に、水越さんもいってたかもしれない。(笑)いまコロンビア大学へ行っちゃってるから、帰ってきたら彼はきっとここへ引きずり込めるんじゃないかなと思ってますけど。で、彼がサイードの、要するに僕のその見方というのは、サイードのオリエンタリズムそのものですというふうなことを指摘されたんです。そういわれて、あれ僕そのオリエンタリズムを読みかけたんだけども、でっかい本で、だけどもよくわかる。要するに、間違ってたら見城さんに訂正してもらうこととして、要するにヨーロッパから見た近東というのは実はつくられたものだと。ヨーロッパというのはそういう近東を、トルコみたいなもののイメージというのを、適当にでっち上げ て、ありもしない近東というイメージをつくって、そのことによって逆にヨーロッパというものを、自分自身を確立したという、そういうふうな構造になってるというふうな話だと思うのです。

1.4 パックス・アメリカーナ―アメリカの情報覇権主義


 彼ら、これもそうなんですよ、実は彼が見ている、前はファーイースト、東アジア漢字圏というのは、どう考えても表象、representationというふうにいうわけですけど、なんです。何か自分たちが勝手に思い込んでアジアというイメージをもっていて、それに基づいて、でもアメリカの技術は優れているんだから、それは何としてもアジアの人たちに伝えてあげなければならない。そのためにはやっぱりローカライゼーションする義務があるんだと、彼は絶対そう思ってると思う。そう思ってどんどんやって、やっていくに当たってはもちろん企業なんだから、営利性も追求しなければならないし、コスト安くなるんだったらそうしたほうがいいというので、こういうふうにユニコードを作って、どんどんローカライゼーションするというのいいことだと思ってるんです。

 もう一つそのとき水越さんがいったのは、パックス・アメリカーナといういい方をしたけど、そうなんですよね。その時点でこのユニコードの人たちに対するイメージと、それからもう一つは、その頃結構まだクリントン、ゴアのインフォメーション・スーパーハイウェー、その話というのは賑やかだったんですけども。で、彼らのレポートとか講演記録とかというのをちょっと読んでみると、明らかにそれはアメリカの覇権主義なんです。もうしつこいほど出てくるのは、「次の世紀でアメリカの優位性を確保するためには、インフォメーション・スーパーハイウェーをつくらなければならない」と、ほとんどそのことしか書いてないとしか僕には読めないです。そのクリントン、ゴアの政治的な動き、それと彼らがここでやってることというのが、実は彼ら自身は意識してないかもしれないけれども、ものすごく重なってるんじゃないかと僕には思えたんです。ちょっと先取りになってしまうんだけど、言ってしまいましょうね。 3月に僕は香港へいって、カンフレンスに出るわけですけれども、そのときにマカオへ、いうなよなという感じで遊びにいったのね。マカオへ遊びにいったら、丘の上に教会があるわけ。有名な観光地なんだけど、イエズス会の教会があって、その教会の前の壁だけしか残ってないんです。横道に何かフ ランシスコ・ザビエルの通りとかそういうのあったりするわけ。もうちょっと高い丘があって、そこに砲台があるわけ、その砲台非常に見晴らしがよくて、登ってみたらとかって、松岡栄志さんて漢字のこの辺にもすごく関わる人らしい、彼がいって彼は登らなかったんだけど、えっちらおっちら紀田先生やなんかと一緒に登っていって見たら、その砲台もイエズス会なんだ。それであっとか思って、もしかしたらユニコード・コンソーシアムというのは、大航海時代のスペインとかポルトガルの帝国主義に対するイエズス会が果たした役割を果たしてたんじゃないかな。僕カトリックの信者だから、にもかかわらずやっぱり悪いことは悪いわけで、明らかにあの頃のイエズス会というのは信仰を布教するという形でというか、そう思っていたと思うのです。自分たちの神はいい神だから、世界中に広めましょうと。善意でやってたと思うんだけども、にもかかわらず結果的には。うん、それは正しい、そういう見方はできますよね。

 見城 というか、歴史的にはそうなんでしょうけど。

 小林 ああそうなんだなと思って、結局同じことやってるなというふうに思えたわけです。

 見城 私たちもはからずも、あの当時のイエズス会は、といったけど、いまでもそうですね宗教というのは。

 小林 いまの話は僕はやっぱり弁明しなけりゃならない立場になるけど、結局でも宗教ってそういうもんかもしれないですよ。

 見城 宗教とほかの文化を切り離すことできませんけど。

 小林 この調子でいくと随分時間たっちゃいましたから、ちょっと急ぎますね、そこまでがいえば第一弾です。アメリカの情報覇権主義に対するその線というと、しかもユニコード。

 そんなような形で僕はユニコードに関わっていったわけですけれども、本当にみんないい人なんですよ、熱心だし。例えば、あるカナダに住んでいるインディアン、インディアンといっちゃいけないんだよね、そこのネイティブの人たちが使っている文字があると。ただし、それはカナダだけではなくて、ロシア、アラスカの一部にもいるし、ロシアの一部にもその人たちはいる。そうした場合にその文字について、カナダの何とかといういい方をしてはいいのかと、カナダというのは外すべきじゃないかということも議論するわけ、真面目でしょう。そういうふうなとこまで一生懸命やってるんだけど、わかってない。ただし、わかってないことについてこちらが指摘すると、指摘したものについては聞いてくれます。

 この前行ったときですけど、もうBMPという最初の16ビットの面が足 りなくて、そこから出ていかなければならないという議論を始めているんですが、出ていくときにどうしようかというので、ある1つの面を非漢字の面に、もう1つの面を漢字の面に割り振ったらどうかというふうなことで。

 見城 面というのはどういう。

 小林 16ビットの面なんです。この10646というのは32ビットのコードを持っていて、この解説のあれがいいんじゃないかな8ページですね。

 高本 8ページ、9ページあたりがBMPですね。

 小林 16ビットが1面で、それが16ビット分です。一番最初の16ビットしかまだ決められてない、それがもう外に出ていこうという話になってきたんですけども。その出ていくときに、彼らがいうには、あと16ビットというか、65,000あったら漢字足りるだろうというんで、1面を漢字に割り振るというふうなことで、決をとったんです。僕はちょっと納得できないことがあったんで、保留にしたんですよ。納得できないというのは、たぶん足りると思うけれども、詰め込めば絶対入ると、だけど詰め込んだ結果形が汚くなったら嫌だなと思ったの。例えば、JISの0208という、いわゆるJISの一水、二水とあるんですけど、それなんかは、一水というのは読みの順に並んでて、二水は部首順に並んでるんですね、こういうのって汚いと思うのです。やっぱりきれいに並んでたほうがいいと思うので、そんなことをちょっと思ったんで、僕は保留にしたんです。そうしたらグレン・アダムスという奥さんがベトナム人の人がいるんだけど、いまはスパイグラスという会社にいますけど、そのグレン・アダムスが、何で小林は保留にしたのかなというふうに聞いてくれたの。それに対して僕はそういうふうに思うから、たぶん足りると思うけれども、アーキテクチャーはきれいにすることをまず考えて、その結果3面いるんだったら3面とることも考えたほうがいいんじゃないかといったら、いったん決とったにもかかわらず彼らは直した。それぐらいやってるわけですよ。

1.6 国語施策懇談会


 そんな形でユニコードと関わってたのですが、去年の2月かな、2月に文化庁の国語課が国語施策懇談会というのをやりますというふうな話があって、それを覗きにいきました。2日あってそれは第20期の国語審議会の答申がその頃出るというので、それのプロモーションの意味もあったと思うのですけど、毎年文化庁では2月頃やってるらしいのですけど。2日 セッションがあって、1日目のセッションというのは言葉遣い、特に敬語の問題で話がされて、2日目が漢字の字体の問題で話がされた。1日目に井上ひさしさんが出てらして、ほかの人はみんな「国語」とか「国民」とかという言葉を使うんだけど、井上さんだけ「日本語」「市民」と使う。最後すごい短時間しかなかったんだけど、質問の時間があって国研の水谷修さんが司会やってたんだけど、質問出してくださいといって、質問だけバーッと出して、それに対して答えたい質問に対してパネリストのだれかが答えるというのがあって、僕は質問としていまの井上さんはどうも「国民」という言葉を使わないで「市民」という言葉を使ってたし、「国語」という言葉を使わないで「日本語」と使ってたんですけど、どう違うんですかあって、(笑)聞いたんだけど。井上さんも答えてくれなかったし、ほかの人も答えてくれなくて、みんなしかとしてたわけです。

 それが2月、それで答申が出まして、国語審議会の騒ぎが起こったのが9月頃だっけ、6月だっけ、ちょっと僕正確に覚えてないんですけど。21期の国語審議会が招集されますという話があったんですけど、何かで僕アメリカへ行ってたら、その間に社長の浮川の秘書からメールが入ってて、社長の代理で国語審議会に出てください、はいわかりましたとか思って、僕はその時点では何かヒアリングか何かかなと思ってて、気楽に引き受けて戻ってきたら。まず社長は僕に代理に出ろというのは自分はいないわけ、すれ違いでアメリカへ行っちゃってて、帰ってきて見たら新聞に、第21期国語審議会招集さる、みたいなのが載ってるわけ。会社へきたら電話掛かってくるんだ、鳥飼さんとか、で、やりましたね小林さんとかと、何やりましたのといったら、浮川が委員になった、どうもそういうものらしいです。そんなんでゲッていう感じで、これはヤバイなと、代理で出るけどといってそんなのいいのかなんて思って、さすがの僕も不安になって、秘書に代理だということをちゃんと事務局にいってたほうがいいぞといったわけ。

 そういっておいて出掛けたら、ジャストの小林ですといったら、スッと横から見たことのある人がきて、どうぞ席用意しましたというんで、その人は実は氏原さんという文化庁の文化部国語課の人で、さっきのISOのほうの日本の対応委員会というのがあって、漢字ワーキング専門委員会というのですけど、ごめんなさい、ISOのさっきのWGの下にIRGというのがあるんです。イデオグラフィック・ラポーター・グループというのがあって、これはあとで読んでもらえばいいんですけど、これつくったときに漢字問題についてややこしいというので、ボランタリーにCJK、チャイ ナ・ジャパン・コリア・ジョイント・リサーチ・グループというのをつくって、それに台湾も入ってこの漢字統合化作業というのをやったんです。そのときのコア・メンバーがこの小池さんであり、学芸大の松岡栄志さんだったんですけど。そのIRG、CJKJRGというのが、これファースト・バージョンができた直後にISOの正式な組織の中に組み込まれて、IRGとなったんです。いま僕はそのIRGの委員もやってるんだけど、入れてもらったんですけど。そのIRGの日本の委員会に氏原さんという人がオブザーバーで出てきていて、それで僕のことを知っていて、それでスッと横に入れて、事務局席なんだよね。

 事務局席で何か東条会館の建物のでっかい広間に、ロの字型のテーブルがあって、そのテーブルの真ん中にまず文部大臣が座るわけ、その横に文化庁の長官が座って、横に文化部長、国語課長とズラッと並ぶわけ。その後ろに事務局席があって、ちょうど僕は文部大臣の真後ろに座って、会長席と副会長席というのが空いてるわけ。それでそこで互選によりとかいうんだけど、できレース、それでだれかが、じゃあ何とか先生推薦しますとかいって、会長が選ばれて、会長が副会長に江藤淳を指名して、それもシャンシャンシャンで決まるわけ。決まったら江藤淳が、皆さん私を副会長に選んだというのは口封じのつもりでしょうがそうはいきませんよとか、副会長といえどもいいたいことはいわせていただきますからとかいうわけ。そうするとそこのところで文部大臣は所用がありますので退席しますけど、退席した直後に江藤さんが、ちゃんと最後まで聞いててほしいですよねなんて話をするわけです。そんな話で国語審議会にも期せずして関わるようになってしまったわけです。

 それでいまはどうなっているかというと、基本的には総会は浮川に全部出てもらうつもりなんですけど、オブザーバーみたいな感じで出てます。大体記者席に座ります、ところがその下に漢字の問題と言葉の問題もあるんですが、扱うところの委員会をつくって、委員会というのは通例いままで非公開だったんです。非公開だったんですけど、そこで前回の総会で江藤淳がばかなもの配ったものだから、何としても僕はそこにいないと、浮川にいうとわからないというので。ところが前回の委員会は浮川が出られなかったものだから、レター出して、それで担当者のオブザーバー出席を認めてほしいみたいなことを浮川にいってもらって、それもだから事務局と口裏合わせておいて、それで次回から僕も出るという話になっているんですけど、そんなようなことをやってるというわけです。

1.7 低次元のユニコード批判


 そこで出てきた話というのはこれです。前回の総会で、この話なんですけど、ユニコード批判というのが燻ってました、実はずっと。日経新聞であるとか、朝日新聞であるとか、そういうのにちょこちょこ出てくるんです。その背後にいるのは坂村健というのは間違いなかったわけです。ところがここで江藤さんが、実はユニコードとというユニックスをベースとした文字体系というのがあるのをご存じでしょうか、それは漢字を全部入れることもできなくて、なおかつアメリカで作られたもので、非常にこういうものが跳梁跋扈すると、日本にとって由々しき問題だと思います。それについて若き芥川賞作家の吉目木晴彦さんが、今度の『三田文学』に評論を発表されてますので、それについて草稿を事務局にお渡ししてありますので、皆さんぜひ読んでくださいというようなことをおっしゃったんです。そこで切れたね。大体ユニコードとユニックス関係ないだろう、ばかやろうとかね。(笑)わかったような口聞くなよこの野郎とか思ったけど、そこで血相変えて事務局に寄越せといったのがこのことだったんです。

 この電子協のパンフレットと、この吉目木さんの原稿というのを見比べてみると非常に面白いと思います。ことはこういうことなんです、ISOの10646というのは1993年に正式にインターナショナル・スタンダードになってるんですけれども、その直前に電子協がこのパンフレットを作ったんで、その時点での日本の、日本のというのは日本からISOに出てる人たちの全体の立場としては反対である。それは一貫して反対だったんです、その反対のキャンペーンを国内でやるためにこのパンフレットは作られたんです。ところがそれがどうして日の目をみなかったのは僕は詳らかにしないのですけど、電子協としてはこのパンフレットを配らなかったんです、幻のパンフレット。

 見城 これすみません、いつのものです?。

 小林 1993年のある時点、正式に出る前です、直前です。ところがそれを坂村健さんは持ってるんですよ、それを持っていて配りまくっているのねこの時点で。読んでいただければわかりますけれども、事柄としてはほぼ正確です、非常に正確といっていいと思います。ユニコードのその時点で持っていた問題点についても的確に書いてある。ただしその背景になる考え方というのは、僕と立場が全然違います。この吉目木さんのこの評論というのは、事柄としては明らかにこれをベースにしている。

 問題点は大きく挙げると2つあると思います。1つは、事実の誤認、も う1つは、その1993年の時点での事実理解をベースにしていて、1996年の現状についての情報が欠如している。その上で、これ絶対平田さんなんて、みんな読んでみてやると面白いけれども、このレトリックというか、ディスクールがあるんですよ。実に何というか貧相な、人を小馬鹿にしたディスクールというのがあって、1例を挙げると、(18-5)と書いてあるでしょう、鉛筆で線書いてあるでしょう、これは実は僕が付けた線ではなくて、文化庁の氏原さんが付けたあれなんですけど、文字数が違うんです。JISの0208というの漢字は6,355字、僕は実は正確に知らないけど。こういう別にこの6,353と書く必要ないわけで、6,300文字余りとかいってれば、僕だって普段は6,000文字と7,000文字の間だぐらいの認識しかないわけ。それを細かく数字を書くことによって、あたかも書いてる事柄が正確であるというふうな認識を持たせようという意図が見え見えです。そこまでやるなら間違えるなと僕はいいたいわけだけど、間違ってる。そういうことは非常に多いわけです。

 例えば、もう1ヶ所例を挙げますけど、その例の続きでいくと6枚目です、『康煕辞典』とか『漢語大辞典』とか書いてあって、『康煕辞典』は正確な数字挙げていて、『漢語大辞典』はオフィシャルに何字というのは入ってないから、数えるの大変だと思うけれども、こういういい加減なことするなよな。『康煕辞典』だけが書いてあって、諸橋の『大漢和』はこれ通し番号入ってますから調べればわかるはずなんで、僕でも下へ降りて調べればわかるんです。そういうふうなことについていい加減です。

 それから、「DTP」という言葉が出てくるところがあるんですけれども、11ページ目です、これは僕が書いたとこですけれども、真ん中辺に「現在印刷業務は全工程をコンピュータ化したDTPと呼ばれる処理方式へ急速に移行している」、これ嘘です。実をいうと日本ではDPTは残念ながら立ち上がらなかった、だから松本さんが苦労してるという、こういう話になるわけで。なぜ立ち上がらなかったかというのは、結局JISの0208の問題点があまりにも多すぎて、商業印刷には使えなかったんです。彼はこのDTPというのと、CTSといわれる、いわゆるもともとはコールド・タイプ・セッティングで、後にコンピュータライズ・タイプ・セッティングというのが一般的になりますが、そういったものと混同しているわけです。僕は知らないのは構わないと思うわけ、それはその素人にそんなこと求めたって仕方がないわけだから求めませんけれども、知らない素人がもっと素人をだますために、いい加減に使うなよなと思うわけですよ。

 そういう形で、これはまだ許せる、坂村は許せる、だけど吉目木は許せ ないというのは、事実誤認に基づいた脆弱な理論構築でもって話をするなということなんです。いま僕はすごく憂慮しているのは、こういうものが独り歩きしてしまって、国語審議会という場で、あたかもこれが正しいということを前提として議論をされたら、僕は別に国としての国語がどうなろうと構わないけれども、やっぱり僕らが生活する日本という場所の日本語というののあり方に、悪しき影響を与えると思うのです、それは勘弁してほしいなと思うんですね。

 で、ここの問題点について、93年から96年の間に何が変わったかということの、もう一つあるんですよ彼らのレトリックの問題というのが。それは、例えば、森鴎外の鴎文字というのはよく話題になりますよね。それについていうと、JISの0212といういわゆる補助漢字というのがあるんですが、それはこのJISでいうと0221にも含まれているんですね、当然のようにユニコードにも入っているんですが、その中には鴎外の「鴎」の字はあるんですよ。国語審議会の20期の答申の中にも、いわゆる常用漢字以外で略体化された字の問題、ワープロ等の漢字の問題について、補助漢字なんかも使って解決する方法があるんじゃないかと書いてあるんですけれども、僕はそれ賛成なんです。少なくともいまの日本の国内の環境でいえば、0208、いわゆる一水、二水の範囲でしかワープロなんか文字が扱えてないんです。これがユニコードになれば僕は完全とはいいませんけれども、現在問題点になっている多くの問題が解決できるわけですよ。ということは、ベストではないかもしれないけれど、ユニコードというのはいまのJISに比べればベターな選択なんです。それをベストでないからといって、現状の国内の問題を棚上げして、それでユニコードを叩くなよといいたい、そういう構造になってます。

 それともう一つ、ユニコードの問題として指摘されてるのは吉目木さんの「吉」の字なんです。これは下が短い「吉」の字の俗字です、これはJISの0208にも入ってないし、0212にも入ってないんです。これはJISが作られた過程の中で、いわゆる日本の国字、特に国字俗字です、日本スペシフィックで特に個人に張り付けられた文字の形というのが、かなりないがしろにされてきていて、その結果として「吉」の字が、これだけポピュラーな字が入ってないわけです、それは国内の問題なんです。ISOは日本でJISになった文字というのは、オートマティックに入れてますから、日本で入ってれば入るわけです。それは国内の問題だ、インターナショナルな問題じゃない。そういうすり替えというのは随所に見られるんです。その問題が1つ。

 それと最後、全体のトーン、これは江藤さんの論点もそうなんですけど、漢字というのは大体5万字から6万字ある、にもかかわらずいまのユニコードは16ビットの体系なので入り切らないということなんです。それが基本にあるんですけれども、これはもう嘘なんです。93年の時点では、ISOの問題はOKです、32ビットありますから、ユニコードは16ビットだったんでだめでした。しかしそれを解決するために、このISOユニコードでは、UTF16という仕組みをつくって、窓を広げるような形で、16ビットの体系の中で複数のページを持てるような仕組みを作ったんです。現状では16ビットのプレーンを16ページ、いま1ページあるんであと15ページ使えるような仕組みが作ってあります、だから大体100万文字ぐらいなんですけど。もうこの時点でですよ、それユニコードのバージョン2に入ってるし、ISOでもアメンドメントで正式のものになっている、これはずなんだけど、僕正確にフォローしなければいえないけど、ものなので。ユニコードは文字に制限があるというのは、もう終わっているんですね議論としては、そんなような話でやっているということです。

 この話で僕非常に生々しくて、なおかつ感情的になってしまって、整理がついてないと思うのですけども、これ本当は高本さんなら高本さんの立場で、見城さんなら見城さんの立場で、これを冷静に読んでいくとすごい面白いと思いますよ。僕は当事者になっているんで、これについてはちょっと冷静に読めないけれども、すごくいろんな、まさにディスクールというのかしら、そういうふうな問題がこの中にはあるような気がします。で、最後、坂村さん、江藤さん、吉目木さん、すべて含めていえることというのは、情報鎖国主義というか、この前の上野さんの言葉でいくと情報天皇制、そういうものじゃないかなと思うのです。何か日本語というので、見城さんに指摘してもらった酒井直樹さんの『死産される日本語、日本人』あの中に本居宣長に対する批判というふうな形で書いてあったと思うのですけど。日本語をすでにあるものとして、いわば措定することによって、それが学びとらなければならないものになるというふうな議論があったと思うのです。まさにそれは彼らにそのまま僕は投げたいと思ってるわけで、日本語の危機とか漢字の危機とかというふうなことをいってるけど、じゃあこの人たちの日本語って何なの、漢字って何なのといいたいわけです。日本の文化を守るとかって偉そうなこといってるけども、少なくともここらでやってる議論というのは、それを無視するとは決していってないし、無視しようという気もないんだけど、いま自分たちが生きていて不便に感じてることを、どういうふうに解決しようかという視点でやっ てるわけです。それをいえばありもしない日本語みたいなものを嵩に着て、できもしない原則論でもって何いってるの、いっていただいても結構です。あとでこれかなり削ってくださいよ。

 結構ですけれども、世界はユニコードになるんですよ、それはもう仕方がないこと。欠点もあるしいろいろ問題点もあるけれども、そうなって使われていくわけです。であるとすると、それをどうやって使いやすいものにしていったらいいかというふうに考えなければならないわけで、全否定して自分たちの世界に閉じこもるという選択肢は僕はないと思うのです。そんな歴史のこと詳しくないけれども、ちょうど幕末の頃の尊王攘夷ですよね、それと同じに僕は見えます。彼らはいまそれをやってる、その結果日本がそうやって情報鎖国をやったら、日本が日本がって何か、そういうわけじゃ僕はないんだけど、別にどうなったって構わないんだ僕は、やっぱり世界の中で取り残されていくと思います。その結果困るのは日々生活してる井上さんの言葉でいうと市民ですよね、僕は民という言葉嫌いだから、市民という言葉は使いたくないのですけど、日々生きてる人々ですよ、そういう人たちが結局不利益をこうむるんじゃないかなと思うのです。

1.8 覇権も鎖国も


 だから情報覇権主義も嫌、そんなんで英語がもう使えない人間はインターネットに入ってくるなというのも絶対嫌、かといって日本の情報覇権主義も嫌ですし、情報鎖国主義それも嫌、どうしたらいいかって僕はわかりません。わからないけども、少なくともいま自分はこう考えていて、それはだから日本に住んでいて、日本語を母語として、少しはコンピュータのことも知っていて、アメリカにサーバー持ってて、日本で比較的影響力を持っているソフトハウスにいる自分は、こう考えていると。そうすることがたぶん多くの人にとってメリットがあるだろう、そういうふうなことを、そういう立場でものをいっていきたい。いう義務は、だれに対する義務かというと、いまいったような何人かの人たち、そういう人たちに対して僕はそういう義務を負っているんじゃないかなというふうに思ってますけど。

討議へ.