ことばの研究というジャンルをつくりたい
書店の棚で、言語学・日本語学というジャンルがうまく定着していない。たいていが、哲学の棚の一部になっているか、外国語をマスターするための
「○○語入門」といった語学の入門書の棚のすみに置かれている。
日本図書コードでは、8番で、語学・辞書というカテゴリーになっている。言語学というカテゴリーはない。日本の図書コードのもとになっている
十進分類表がそうなっているからだが、十進分類表のさらにもとになっているデューイの十進分類表では、4番でLINGUISTICSという分類があるから、
言語学というべきなのにどうして語学というカテゴリーになってしまったのだろう。ヨーロッパでは宣教師が未開の地に出かけて、聖書を普及すると
きに言語学が必要であったのに対して、日本では欧米に追いつくために語学が必要であったということなのか?あるいは語学というカテゴリーが、外国語を
習得すると言うことに特化されてしまったのが、後から西欧を追いかけてしまった国のせいなのだろうか。
書店で、意図的に昔の分類をそのまま使っていると言うことではないだろう。言語学を哲学から独立させて、新しいカテゴリーをつくるほどには、書店の
売り上げの中では、残念ながら、存在感がないということかもしれない。
言語学書として売れたという本は、戦後1冊でもあったのだろうか。哲学書の付属として売れていたというのが、せいぜいなのだろう。あるいは日本語学
の書として売れた本はあるのだろうか。哲学書、人文書の中ではそれなりに売れた本というものはある。
このまま、存在感がなく、ずれた棚に入れられている状態を甘んじて受け入れるしかないのだろうか。ことばという課題は、普遍的な課題であり、そんなに
小さなテーマではないはずである。それを成長させることができていないという点は、言語学専門の出版社として、深く反省すべきだろう。ジャンルをつくる
というようなことは、ひつじ書房には荷が重すぎる。
書店的な知の中で言語学はいったいどの位置をしめるべきなのだろうか。書店の中で未だに位置づけられてない。ことばの仕組みを解き明かしたいという知的欲望
はいったいどこにむかうべきなのだろうか。
予言としていうならば、それは、ことばのスタイルというものなのではないだろうか。
ひつじ書房 松本 功