会員社の一言

 今は、実学の時代で、とりわけ虚学である文学などは、どうも勢いが良くありません。しかし、かつては、 一人の文学者が社会に与える影響は大きく、また時代もそれと共にあったという時もあった。今はある意味で、 世界中が生産効率ばかりを猛スピードで追い求めている時代だとも言えそうです。
 だからこそ、“便利”だけに価値があるように思ってしまう。しかし、本当にそうなのだろうか。加藤周一氏にある対談をお願いした時に、 「なぜ文学に身をおいていらっしゃるのか」とたずねた折、即座に「東京から大阪まで何時間かかるかということは、これは理科系の問題だが、 今東京にいる人が今日これからどこへ行こうかということは心の問題で、これが大切なので文学をやっているんです。」と言われた。 人の心の問題が既に破綻をきたしているのは、少年による殺人事件などを見ても良くわかる。逆に言えば、こういう時代だからこそ、 言葉も文学ももっとよく噛み締めていく必要があるのではないでしょうか。
 情操教育とよく言いますが、音楽や美術ももちろん重要ですが、想像する力を養うのは、言葉によるものが一番の稽古になるのではないでしょうか。 見たり聞いたり味わったりと言うことは、直接的に感じるものだけれど、人の心の痛みなどは、決して覗けるものでも味わえるものでもなく、 心をいたせるかにかかっています。この訓練は、貧しい時代のときは、外的要因によって育まれますが、便利な時代には本当の訓練、  そう今の環境問題を小学生から教え込むようなものが必要になっていると感じます。
 とにかくわれわれの役目は重いのだとこの頃感じる次第です。



明治書院  松井孝夫






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