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8月

2009.8.28(金)

スピーチ大会に行ってきました

今日は日本語学校のスピーチ大会に審査員として参加してきました。 みなさん、とても上手で、すばらしいスピーチ大会でした。

なんと、スピーカーの中には、7月に日本にやってきたばかりの生徒さんもいらっしゃったとのことで驚きました。(語学の習得能力というは、やはりセンスなのでしょうか…)
上手、というだけでなく、内容も興味深いものが多かったです。

どれもおもしろかったのですが、特に、日本での日常的・非日常的な経験をさらっと語っている中に、自分の変化をおりこんでいるものが印象深かったです。

その変化とは、心境であったり行動であったりと様々ですが、留学生活における成長の過程を聞いているようで、ほほえましく思ったり、また考えさせられるものでもありました。

中には、警察に何回も呼びとめられる中で、はじめは緊張していたが、怖い警察官たちと自然に喋れるようになった、そしてそれは会話の練習である、と笑わせてくれた生徒さんもいました。
彼はとてもユーモラスに語ってくれたので、思わず笑ってしまいましたが、外国人登録法のことや昨今の厳しい入管のことなどを考えると、ただ笑って聞いているだけではすまされない問題がひそんでいると思います。 ネガティブな話題をポジティブに、ユーモラスに語れるかもスピーチ力のひとつのポイントかもしれません。

日本語学校の生徒さんたちのすばらしいスピーチを聞いて、自分もがんばらなくては、とひきしまる思いです。審査員に呼んでくださったK先生、本当にありがとうございました。



2009.8.28(金)

ZINE

月刊言語が休刊ということです。

具体的に何部刷られていたのかということは知りませんが、維持していくのに必要最低限の部数が売れないと言うことは、言語学関係で本誌を必要とする方の人数が、必要な数だけ居なかったということでしょうか。それとも、本誌が書店で並んでいるのを見て、自分たちが買い支えないと、ここに並ぶことも無くなってしまうのだ、という想像力が無かったのでしょうか。分かりませんが(というか実際はそんな白か黒かの原因みたいなものじゃなくて、ぼんやりとした『言語』という雑誌がある、という認識、または安心感みたいなものがあってまさか休刊になるとは思いもよらなかったというところがあるでしょうか)、休刊になったことで、残念だという気持ちになる方の人数は結構、本紙を維持していくのに必要最低限の人数に迫るのではないかな、と思います。

つらいなーと思うのは、ライバルとの競合に敗れて撤退というのだと分かりますが、そういう感じでもなくただいつの間にか、無くなってしまうところです。商業誌がなくなってしまったら、後はもう学会誌ということになりますが、商業誌の各月の特集によって同時代的な動向やムーブメントを知ることができたとすれば、それがなくなるというのは、これからは動向やムーブメントは結構で、私は私で個別にやるから結構です、ということでしょうか。休刊という結果から考えられるのは、そういうこともあると思います。

学会とも商業誌とも違う場として、同人誌というものもありますね。ファンの間では有名なSFの同人誌で『宇宙塵』というものがあります。先日『宇宙塵』を作り、主催された柴野拓美さんのインタビュー本を読んだのですが、日本でまだSFという言葉も輸入されていなかった時代に、しかしファン達はどこからかいつしか集い(特に今の有名人もたくさん参加されていた円盤研究会だったそうな)、柴野さんが主催されて、創刊されたそうです。その勢いやすさまじく、ガリ版時代から月1のペースで何年間も刊行し続けたそうです。当時のファン達の熱と柴野さんのバイタリティあってこそと思います。1957年に創刊されて、今もまだ続く長寿雑誌です。

この話はまだ黎明期のSFの話であるので、分野として確立されている現代の言語学とは違いますが、個別の時代に入り、学会誌に発表するのとは違うような(または学会誌未満の)言語学をし出す人が増えて同人熱が高まり加熱していくことで、またいつしか、商業誌もやっぱり必要じゃん、ということで未来の『言語』が復活すると良いなと思います。

SFマガジンの刊行が1959年とのことなので、『宇宙塵』の2年後のことですね。 (当時のことに特に詳しいわけでも無く書いているので、勘違いがありましたら、すみません)

もしくは商業誌はもう不要で、批評家の宇野常寛の言う『決断主義』の時代が来て、言語学内部で生き残りをかけたバトルロワイヤルが行われるのでしょうか。もしくはまさに今がその時代なのでしょうか?



2009.8.21(金)

アシンメトリー

人間の顔は、よく見ると左右対称ではない。
右目の方が大きいとか、
左側から見ると有名人に似ているとか、
皆どこかに違いがある。

CGで人工的に作った、完全に左右対称の顔よりも
その顔をわずかに非対称にした顔の方が
人は、圧倒的に魅力を感じるそうだ。

マリリン・モンローも
吉永小百合も
万人に受け入れられたのは
その非対称の誤差が絶妙な比率だったからだという。
体型にも、黄金比とかいう絶妙に美しいバランスがあるのだから
わずかに非対称、というのは
色々なものを良く見せるのかもしれない。



だからこの間、前から歩いてくる人が
右足はスニーカー、左足は革靴だと気付くのに数秒かかった。



2009.8.11(火)

お盆といえば

甲子園が始まり、いよいよ夏本番という時期を迎えました。

野球はくわしくないのですが、
高校球児を見ていると、いかにも健全という感じがするため
夏の風物詩のひとつとして、楽しんでいます。

夏の風物詩というと色々ありますが、
お盆のお供え物に、キュウリとナスに割り箸を刺して 動物に見立てたものがあります。

あれを見ると何だか笑ってしまうのですが、
ちゃんと意味があるそうです。
さらに、あのお供え物は三頭(三体?)一組で 最後のひとつは
サツマイモだそうです。 サツマイモに夏野菜のイメージは全くありませんが 昔からそう決まっているようです。

私には子どものいたずらのように見えるけれど 物事にはちゃんと意味があるんですね。

ことばや習慣の由来をたどるのは、 とても面白くて興味深いと思っています。

お供え物の三頭(三野菜?)の由来も、
ぜひ調べてみて下さい。


明日からひつじ書房はお盆休みを迎えます。 皆さまも、よいお盆休みをお過ごし下さい。



2009.8.11(火)

お盆ですね

東京で比較的大きな地震が最近2回あった。揺れを感じている瞬間は時のながれが止まったような感覚になり、「ここで死んでしまうのだろうか」という不安な気持ちになる。
幸い大きな被害はなかったが、自然災害はほんとうにいつどこで起きるのかわからない。阪神大震災を経験した友人は、「なによりもこわいものは地震」と言っていた。 日本は世界のなかでも地震の多い地域であり、それは変えられるものではないし、みんなもよくわかっているつもりである。

『地震イツモノート』(地震イツモプロジェクト編 木楽舎 2007)という本は「もしも地震が起きたら」ではなく「いつでも地震が起きる」という心構えで生活する必要を述べている本である。自然災害は「いつでも起きうる」という心構えでいるだけで、暮らしのなかで防災を考えられるようになる。

家に「もしもゴキブリが出たらどうしよう」ではなく、「ゴキブリはいつでも出てくる」という考えをもって、ゴキブリ●イ●イやホウ酸団子を置くように、自然災害とつきあっていかなければならない。



2009.8.7(金)

立秋と入稿と花ぎれ

部屋とYシャツと私〜♪、というように、書籍を言ってみると
カバー(部屋)と表紙(Yシャツ)と中身;本文(私)です。

今日はそれらカバー、表紙の箔押し用データを入稿しました。しかし、書籍は、部屋と、Yシャツと、私、だけで完結しません。(私、は入稿済みです。)それで、終わった!という気になっていると、見返しの色は? 花ぎれの品番は? スピン(栞)の品番は? と装いをあたえるものがたくさんあるのです。
メン、タン、ピンで終わりかと思ったら裏ドラ3つものっていた、というような感じです。わたしのふがいなさのせいで、入稿するときはいつもばたばたしてしまいます。
やれやれ。

装いをあたえることはとてもおもしろいことの中で、特に花ぎれは奥深い世界です。 あるひとと「花ぎれは、さながら着物の伊達襟のようだ」と話したことがあります。 書籍の中のちっぽけな存在ではありますが、まさに「小粒でぴりり」と、大事な役割を果たしてくれるのです。

立秋なのに、暑い毎日ですが、皆さまどうかご自愛ください。



2009.8.5(水)

スペリング・ビー

最近、“スペリング・ビー”を「思い出し」ました。
というのは、山口美知代先生のご著書『英語の改良を夢みたイギリス人たち』の中に“スペリング・ビー”のことが書かれていたからです。その単語自体をみたときは?だったのですが、急に結びついたのは、ちいさいころに繰り返し読んでいた、ワイルダーの『大草原の小さな町』の中に、“スペリング・ビー”のことが書かれていたことを思い出したからでした。『大草原の小さな町』の中にも“スペリング・ビー”という単語でそのものについて紹介があったかもしれませんが、それは覚えていません。
とにかく、“スペリング・ビー”に興じるひとびとの熱狂といきいきとした姿が記憶に残っていて、それで、「あっ」「あれのことか!」となりました。

昔読んだひとつの物語(というか伝記と言いますか)の中の1コマが、歴史的な流れの一部分として取り戻され、「把握」できてよかったです。
お盆に帰るか分かりませんが、もう一度読み返したいと思いました。

なんと、もうお盆ですね。



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